しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

群馬総社古墳群ツアー

先日、最近入ったばかりの古代史サークルの日帰りツアーに行ってきました。

主宰された方とはメールでやりとりはあったけどお会いするのは初めて。

ガイドさんも含めて総勢12名、初めての人たちと日帰りツアーというのはドキドキでした。

今回のツアーは、群馬県の総社古墳群・山王廃寺跡・上野国分寺・国分尼寺跡・妙見社寺という古墳だけでなく史跡も社寺も周るという盛沢山でした。

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集合は10時群馬総社駅

総社古墳群

群馬県前橋市社町付近にある5世紀後半から7世紀末にかけて作られた古墳群です。畿内では大規模古墳が作られなくなる7世紀末でも関東では大規模な古墳が築造されています。

今回はそのうち①総社二子山古墳(6C後半) ②愛宕山古墳(7C前半) ③蛇穴山古墳(7C末) ④宝塔山古墳(7c中~後半)を周りました。登れたし、石室の中にも入れましたよ。

今回行っていない遠見山古墳(5c後半)は3段築成、全長88mの前方後円墳で集濠に榛名山の火山灰が堆積していたそうです。王山古墳(6c初)は全長76m前方後円墳、横穴式石室で内面は赤く塗られていて、墳丘は積石塚のようだとか。(朝鮮半島の影響あり?)王山古墳は他の古墳と少し離れているし、系統が違うので総社古墳群に入れなくてもいいかもとガイドさんは言っていました。

いずれも上毛野氏との強い関連あり、と言われています。

総社二子山古墳

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二子山古墳

6世紀後半築造。全長90mの前方後円墳、二段築成。前方部と後円部の両方に石室があります。先に造られたのは後円部の石室ですが、今回は埋もれていて入れず、入れた石室は前方部のものでした。

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前方部の石室 頭椎大刀が出土したそうです

入れると聞いてテンション上がってしゃがんで入り込む。小さいから大丈夫かと思ったけど、手をついたらドロドロでした(笑)カバンのファスナー開いてて家に帰ったら砂がザラザラ出てきたのも多分ここのせい。

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大きな天井石

山用のヘッドランプを忘れたので、スマホのフラッシュだけではピンボケでした。残念無念。

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石室内から開口部

開口部にかけて羨道の石を見ると切り石ではなく丸い石を積んでいるのがわかります。安山岩を使用。

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上に登りました

雨時々曇りで斜面はぬかるんでいました。

二子山古墳と名が付くだけあって、前方部と後円部の高さがほぼ同じ。6世紀後半は畿内では古墳時代終末期。だけど関東ではまだまだこんなに大きな前方後円墳が作られているんですね。

山頂から群馬の山々が見えました。親切に「あれが榛名山、あっちが赤城山」と教えてくださったのに覚えきれない・・・

ここに眠る被葬者はきれいな山並みを日々見ていたのですね。

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豊城入彦命の碑

ここで「おぉ、豊城入彦命♪」と声を上げる参加者の皆様。嬉しい・・・同志だわ。

豊城入彦命とは崇神天皇の皇子で東国を治めるために遣わされ、上毛野氏や下毛野氏の祖と言われています。

この二子山古墳はその陵墓とされ明治時代まで墓守もいたようですが、6世紀の築造のため豊城入彦の陵墓参考地ではなくなったということです。

日本書紀でいう東国に派遣された崇神48年って、紀元前ってことになるので・・・(笑)

 

愛宕山古墳

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愛宕山古墳

歩いて愛宕山古墳に移動。

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一辺56mの方墳 7世紀前半2段築成

こちらも登れるだけでなく石室に入れました。

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家型石棺に穴あり

こちらの石室には石棺が残っていました。ツアーの参加者の男性に「登ってみたら」と声をかけた方がいて、「石室の大きさがわかるからー」なんて登らせてしまいました。

成人の男性が石室の上に正座して腕を伸ばしたら天井石に手が届くくらいの室内の高さです。3mくらいはあります。

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天狗岩用水路と愛宕山古墳(左手の丘のようなところ)

この天狗岩用水というのは江戸初期の領主秋元氏が作り石高が増え、わずか2代しか総社にはいなかったのに領民に愛されて碑まで作られたとのことです。

 

お昼はお店が混む前にということで、ここでお昼です。

「大村」

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ソースカツ丼とおそばの美味しい「大村」さん

こんなご時勢なので11名の大人数って気が引けますが、奥の座敷で美味しくいただきました。

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レディースセット1100円

ソースカツ丼とそば・うどん(温冷選べます)・サラダとわらび餅がついていました。美味しくてボリューム満点でした。

みなさんが歴史の話に花を咲かせていて(天智天皇百人一首のTシャツを着ている人がいてビックリ)、大学卒業後(私は史学科)歴史ヲタがばれないように肩身を狭くして生きてきたので、ここまでマニアックな話をしている人たちに一度にたくさん会ったのは驚きとともに嬉しい―。

しかし、歴史ヲタと言っても、好きなジャンルは色々あり。

お話した中では「街道好きの方」(東海道はじめ色々な街道を自分の脚で踏破したと言っていました!)「神社好きの方」(一の宮めぐりとか・・・これまで全国の一宮なんて意識したことなかったー)等々、飛鳥時代の「天上の虹」というマンガについて語ったりしました。楽しかったー。

今、私の中では「倭王」「倭国」がブームなので、いつか諸先輩の意見を聞きたいです。

脱線しすぎました。

 

前橋市総社歴史資料館

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無料なのにパンフレットが充実

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総社二子山古墳から出土した頭椎大刀の復元

出土した本物は無くなってしまったそうですが、資料を基に復元したそうです。

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庭にいた埴輪

かわいいけど両目が顔の前についている。作る技術者のセンス?うーん。

蛇穴山古墳

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蛇穴山古墳

資料館の隣にある蛇穴山古墳。桜の名所になっているそうですが・・・本来は1辺44mの方墳で7世紀後半の二段築成。内堀と外周溝がありました。

古墳時代の末期、総社古墳群最後の首長墓と考えられます。

築造されたころ、山王廃寺も創建されていたようで、やっと関東でも権力を示すのに巨大古墳から寺院作りへと移行が始まったようです。

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すみません。参加者の方を☆で消すという失礼さ

開口部の上の石に切り込みがあったり、前庭部はハの字に開いていたりとおしゃれ。

羨道はなく「ワンルーム」でした。

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大きな切り石

最初にみた二子山古墳の石室内と大きく違っています。石室の壁が大きな切り石で、しかも漆喰が塗られていたそうです。

この技術はヤマト王権と関係があるのではと考えられます。

 

石棺は見つかっていなくて、棺台だけがあります。

(でも、この開口部から石棺を出せたのかな?盗掘者は中で石棺を割ったのかな?)

こちらは階段があるので皆で登って記念撮影をしました。

送っていただいたのですが、私のブログに載せていいか確認していないので写真は私の思い出用にしました。

宝塔山古墳

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宝塔山古墳

7世紀中葉、1辺66mの方墳で三段築成。一重の周濠まで含めると1辺102mでこの時代の方墳としては最大級。羨道・前室・玄室からなる複室構造。

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こちらも見事な切り石

角を落としてしっかり組むようになっています。前室と玄室の入口には門柱状の石が設置されていて、壁面は漆喰が塗られていました。

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輝安石安山岩製の家型石棺

こちらも穴が開いていました。盗掘?ここから?疑問です。

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資料館にあった復元模型

古墳の中では暗くてちゃんと石棺が撮れなかったので。

この宝塔山古墳と蛇穴山古墳は今でこそ間に資料館ができるほど離れていますが、当時は集濠があったのですごく接近していました。

角度も適当に見えますが、もしかしたらこの二つの方墳の登頂部を結ぶと何かがあるのかもしれないですね。

 

光厳

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宝塔山古墳の隣にあった秋元氏の菩提寺

江戸初期で二代で領地替えにあったのにここを菩提寺とするなんて、領主の秋元氏もこの地が好きだったのかも。

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門が素敵だったので

ぶらぶらと歩いて移動。おそらくほとんどの方が私より年上と思われますがみなさんとても元気。好きなことをしているのがいいのですね。最近更年期なのかしんどい日々があるけれど、好きなことをして乗り切るか―。

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午後からとても良い天気♪山がとてもきれいに見えます

午前中の雨が嘘のような快晴。日焼け止め忘れたー。

山王廃寺(放光寺)

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山王廃寺跡(塔心礎などがあるのは隣の日枝神社

東国最古の寺院の一つ。山王廃寺と呼ばれていますが、出土した瓦に「放光寺」の文字があったことから元の名は放光寺だと考えられます。

(ちなみに上野三碑の一つ、山上碑は放光寺の僧長利が建立)

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説明板

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放光寺の石製鴟尾(しび)と根巻石

鴟尾は寺院の屋根に載せるしゃちほこのような飾りです。根巻石は柱の飾り兼安定させるもの。こんな重いものを加工したり、載せたりする技術が当時あったということはヤマト王権の寺院作りの技術が伝わったということでしょうか。

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塔心礎

中から仏舎利が出てきたとか言っていたかな?ガイドレシーバーが音割れしていて途中からスイッチ切っていたのでよく分かっていない。

国分尼寺跡の碑

さらに歩いて次は「国分尼寺跡」のを探します。

発掘が終わり国分尼寺の史跡は埋め戻されてしまったため、現在は碑しか見ることができません。高崎市は国指定史跡の登録を目指しているようです。

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上野国分尼寺跡の碑

途中迷ったかと思いましたが畑の中にあり。Googleマップで探しても見つかりにくかったです。見つかって良かった♪

 

上野国分寺跡

国分寺国分尼寺聖武天皇の勅により全国に作られました。上野国のように二つの寺院の所在地がはっきりわかっているのは珍しいそうです。

国分寺は正式には「金光明四天王護国の寺」国分尼寺は「法華滅罪の寺」といいます。

皇族以外の皇后を立てたり、長屋王を死罪にしたりとやりたい放題の藤原氏は祟りを恐れてたんだろうけど甘い!と、私はアンチ藤原氏なので思う。

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講堂跡

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講堂の基壇

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塔の基壇

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説明によると、塔の礎石は2個だけ復元でそれ以外は本物です

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資料館にあった七重塔模型

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築地塀も復元されていました

 

妙見寺

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右が妙見寺、左が妙見社

吉祥院妙見寺は天台宗の寺院で本尊は釈迦如来。隣には妙見信仰の総本社といわれている妙見社が並んでいます。

妙見信仰というのは「北斗七星や北極星」を神格化する信仰で、千葉氏も確かその信仰をしていて、北斗の拳とコラボ企画があったっけ。(一時期千葉市在住)

この妙見社は、平将門の乱上野国衙を攻めた将門がここで「新皇」の位に就いたと伝わっているとか。

 

本日の行程はこれにて終了。ここで16時少し前。バスで前橋駅まで戻ります。

この近くに上野国衙跡や総社神社などもあるのですが、そちらを周っていると時間が足りないので今回は周りません。

総社古墳群も初期の首長墓の前方後円墳は泣く泣く断念しています。

 

古墳巡りの最初が群馬だったので(学生時代は除く)、なんだか感慨深い。

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

帰りは高崎で食事をして帰るという皆様もいましたが、家が遠い私は寄り道せず。

同じように帰る方お二人と高崎線で色々お話できて良かったです。

「東日本で一番好きな神社は」という問いに「諏訪神社」「大宮の氷川神社」との答え。お二人ともご旅行も好きみたいです。

どうしよう、なんて答えよう・・・落ち着く感じだったのは・・・

三峰神社です!」良かったー。それなりの答えが出てきましたよ。

うっかり一番行ってる地元のお稲荷さんを答えちゃうところでした。

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

お薦めの本をお聞きしたらすぐに教えてくださったり。

早速図書館で借りて読んだら面白かった!別ブログで読書ノート挙げますね。

有り余る体力とマニアックな趣味のため、私はどちらかというと旅は一人のほうが気楽。(夫さんには無理してつきあってもらうこともあり)

だけど私よりも相当マニアな方がたくさんいたので刺激を受けました。

歴史は本を自分で読んで知識を整理しているだけで十分と思っていましたが、サークルのオンライン講座も申し込みました。

いくつになっても知りたいと思うことはいいことですよね。

それがたとえ1円にならないことでも、お金なら本業で稼ぐから、趣味は好きなことを極めようと思いました。

 

行田「言な絶えそね」ゆかりの地めぐり

行田市配信のRPG「言な絶えそね」(舞台は戦国時代の忍城下と古墳時代の行田)にハマっていました。

先日、花手水を巡りながら合わせて「言な絶えそね」ゆかりの地も巡ってきました。

忍城

秀吉の小田原平定に関連して石田三成に水攻めを受けたお城で関東七名城の一つ。小説・映画「のぼうの城」で描かれています。

ゲームには甲斐姫が出てきます。

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ゲームでも武勇自慢のお姫様

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ゲームのエンディング「行田の見どころ・忍城址」

というわけで、忍城に行ってきました。

現在は行田市郷土博物館(入場料200円)になっています。

三成の忍城の水攻めに始まり、忍城の歴史、古墳時代行田市行田市の足袋作りの話などの展示があります。

再建された御三階櫓にも登れます。櫓からは行田市内が見渡せます。

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ゲームと同じ場所なのに曇天

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この門のそばにあった花手水の色が好み

 

佐間天満社

ゲームに出てくる地名は実際にあるので、自転車で巡っていて楽しかったです。

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佐間天満社

佐間にある天満社。

石田三成忍城攻めの時に、成田氏長の家臣正木丹波守利英が佐間口の守りを固め死闘を繰り広げました。この天満社あたりが佐間口のあたりにあるということで・・・

 

八幡山古墳

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関東の石舞台とも

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若小玉古墳群の解説

八幡山古墳は若小玉古墳群の一つとされ、7世紀前半に造られた直径80mの円墳で、漆塗りの木棺や銅椀などの豪華な副葬品から被葬者は武蔵国造物部連兄磨とも言われています。

「ワカコダマの里」というのがゲームに出てくるので来たかったのです。ワカコダマは単純な人のいい力持ちの里長で感じのいいキャラでした。

ワカコダマという地名しか共通点はないのですが、なんとなく、この地域にあった集落は「ワカコダマの里」だったような気がして・・・

 

申込をすれば古墳内部の石室に入って見学ができるそうですが、目をこらしてもまあまあ見られます。

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前・中・後の3室からなる全長16.7mの巨大な石室

秩父から運ばれた緑泥片岩と安山岩で作られています。

 

古代蓮の里

ゲームに出てくる「蓮の池」

古代人の美少女ハチスが戦国時代に目覚めて記憶を無くしたまま、主人公たちと出会い妖魔退治の旅に出ます。古墳時代パートにも出てきます。

この「古代蓮の里」は行田のシンボルの古代蓮を始め数多くの蓮を育てています。

この古代蓮とは、公共工事の際に偶然出土した古代の蓮の種子が自然発芽してよみがえって開花したそうです。

なんとなく、ゲームのハチス(レン)とも通ずる?ただし、このハチスというキャラはツンデレ美少女でめんどくさいのでおばちゃん的には好きではない。

 

千葉にも大賀蓮というやっぱり古代の蓮がよみがえって咲いたという蓮があるので、蓮は何百年も眠っていても咲くという強い生命力があるのかもしれません。

展望台(400円)に登って園内の様子や行田の街を見ることができます。

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400円はちょっと高いような気が・・・

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今の時期は蓮は咲いていません

蓮は咲いていないけど、なぜ展望台に上ったか?

それはこちらのため。

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ギネス認定の田んぼアート

衣装や化粧に使われている赤い色の稲が今の時期黒っぽくなっていますが、すごい迫力でした。

田んぼの幅は50mありそれが3枚分、どれほどの大きさか分かりますか?

過去には「陸王」や「のぼうの城ラグビーワールドカップの選手たちなどの図案もあったそうです。

この日は曇っていて、山なみは全く見られませんでした。

 

 

さきたま古墳公園

いよいよこの散策のメイン「さきたま古墳公園」へ。

古代蓮の里」から自転車ですぐです。サイクリングロードが整備されています。

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石田三成が陣をおいた丸墓山古墳

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ゲームに出てくる古墳(懐かしい雰囲気のゲーム)

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ゲームのエンディングでも紹介されます

さきたま古墳といえば、ヲワケ臣!金錯銘鉄剣!ですよね。

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ゲームでもヲワケ臣の武器として出てきます

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なぜか少年のようなヲワケ臣

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稲荷山古墳

鉄剣が出土した古墳です。古墳の上に出土状況を示した解説がありました。

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被葬者のまわりに副葬品がたくさん

ここから出土した「金錯銘鉄剣」には、ワカタケル大王に杖刀人(近衛隊長)として代々仕えたヲワケ臣の来歴について刻まれています。ワカタケル大王は雄略天皇と考えられているので、この出土品からワカタケル大王が実在の人物であったこと、杖刀人という官職や、その官職についた者が関東に埋葬されたことで、大和朝廷の権威が関東にまで及んでいたことがわかります。

(ワカタケル大王の文字は熊本の江田船山古墳からも見出されています。九州にも及んでいたと言うことでしょうか)

 

さきたま史跡の博物館にも寄って、本物の鉄剣や副葬品の数々を堪能しました。

 

前玉神社

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前玉神社

ゲームでも重要な役割を果たす「前玉比売神(さきたまひめがみ)」さま。この「前玉比売神」「前玉彦命」の御二柱を祀っているのが前玉神社です。

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ゲームでもたびたび出てきます

そしてここには、ゲームのタイトルにもなった「言な絶えそね」の歌が刻まれた灯篭があるのです。

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この灯篭の右に「言な絶えそね」の歌が刻まれています

「埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」

この歌の意味は「埼玉の津(船着場・河岸)に帆を下している船が、激しい風のために綱が切れても、大切なあの人からの便りが絶えないように」と考えられています。

「歴史のある行田とゲームを通じてつながった人との関係が今後も絶えることのないように」という思いでこのタイトルになったそうです。

灯篭の文字はすり減っていてよく読めませんでした(涙)

 

もともと、古墳が好きでさきたま古墳には来たことがありましたが、ゲームにハマってから忍城や蓮の里などにも来たいと思い、さらには今回は花手水も見たくて再訪したので、まさに企画者のねらい通りでした(笑)

 

自転車で周っていて見つけたもの

ゲームとは関係ありませんが・・・

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旧忍町信用組合店舗

大正時代に建てられた足袋産業を支えた信用組合の建物。現在は「Vert cafe」としいうカフェになっています。(この日は休業でした)

 

行田は他にも歴史ある建物が多かったです。

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成就院三重塔

しゅっとした姿がきれいな三重塔。成就院真言宗智山派のお寺で、かつ行田七福神の寿老人です。

埼玉県には三重塔は三基しかなくて県の重要指定文化財になっています。

 

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国道沿いにたくさんあった人形の像

「ぶらっと♪ぎょうだ」のある通り沿いには道の両側にこういった銅製(?)の人形がたくさんありました。

名産なのでしょうか?

 

古墳あり、忍城あり、足袋の街としても推していて、最近は女子も呼ぼうと花手水イベントも続けていて、もっと多くの人に注目されていい街だと思います。

楽しい一日散策でした。

緊急事態宣言も解除になったし、私はワクチン2回接種済だし、そろそろ旅行も解禁していいかな。

 

行田花手水めぐりで花手水に癒されました

緊急事態宣言が解除になり、以前ハマっていた「言な絶えそね」のRPGの舞台、行田に行こうかなと思っていたところ、「花手水」というイベントが毎月開催されていることを知りました。

行田八幡神社がコロナ禍の中で参拝者の癒しになるようにと手水鉢を花で飾ったところ、前玉神社や地域の方も賛同してお店や個人のお宅の前にも花手水が飾られるようになりました。

2021年10月は1日から14日まで(11月は15日から12月14日)まで「黄金の浮き球を探せ」イベントも開催中。

期間中は一晩だけライトアップもあるそうです。(10月2日終了)

花手水の中に黄金の浮き球がある鉢が市内60ヶ所中5ヶ所あるので、それをインスタであげれば抽選で商品券がもらえるというのですが、残念ながら私はインスタを始めたもののうまくできないので簡単に挫折。多分当選しないし。

というわけで、色々散策しながら撮りまくった写真を上げていきたいと思います。

ここに載せたのは、ごく一部です。

本当に素敵なお花がたくさんありました。

 

一眼レフを持ったカメラ女子もいましたが、私はスマホのカメラさえうまく使いこなせていません。

が、花手水はどれもみな素敵でした。その雰囲気を味わってください。

 

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観光物産館「ぶらっと♪ぎょうだ」で

スタートは秩父鉄道行田市駅から。観光物産館でレンタサイクル(500円/日)を借りました。

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「花のこいけ」

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「山本の奈良漬」は漬物樽に載っていました

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陶器の浮き球が華を添えますね

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「カネマル酒店」はショーケースでミニ展示あり

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桝にアイビー飾って紅白でおしゃれ

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メイン会場の行田八幡神社

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大きな手水鉢

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どう撮ったら素敵さが伝わる?

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小菊はかわいい~

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水琴窟の花手水が一番感動しました

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願いがかなう結び文

色とりどりでもうほんと女子ウケしそう。

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野菜もありなんですね

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睡眠具プラザタシロの花手水

ハロウィンバージョンもありなんですね。お見せによって色々趣向が凝らされていました。

 

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「十万石」の花手水

黄金の浮き球はこのようにきらめいています。図らずも5個コンプリートできました。

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「うどん大地」の花手水

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忍城には鐘のところに

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手水鉢が大きいのでゴージャス

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もう一つはお城の門を出たすぐのところ

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青い花が好きなのでこの鉢は好み

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戸塚煎餅店の花手水

こちらで足袋煎餅をお土産に買いましたが、自転車移動で割れてしまって夫さんには美味しさしか伝わらず。可愛さが伝わらなかったのが残念。

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前玉神社の花手水は花言葉と誕生日花の解説つき

よく見ると、花手水の真ん中に埴輪の人形もいるのですよ。

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境内にあったもう一つの花手水

森の中にここだけ明るい感じがしました。

 

この日は花手水めぐりと「言な絶えそね」聖地巡りがテーマだったので、聖地巡りは続きは別記事で。

 

偶然知ったこのイベント、花が好きなので、とても楽しかったです。

八幡神社の周りに集中していますが、街のあちこち、個人のお宅の前にも素敵な鉢があるって素敵なイベントですよね。

お店や地域のみなさまの協力があってこそ。ありがとうございます。

 

期間中はずっとお店やお家の前に出ているということで(観光協会に「何時からおいてありますか」と電話で聞いたので)、こんなにかわいいお花をいたずらして持っていこうとする人がいないというのにも感心。日本っていい国だわー。

 

行田は、古墳あり、忍城あり、足袋の街でも有名ですが、どちらも歴史オタク向き。

若い女性向けとしてすごくいいイベントだなと。もっとこの花手水イベントを押し出して行ってもいいのにと。(何様なの?!という感じですね。すみません)

 

「言な絶えそね―行田創生RPG」マルチエンディング完了です

行田市配信の「言な絶えそね―行田創生RPG」にハマっていました。

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

RPG自体が初めてで苦労しましたが、途中見つけた攻略サイトに助けられました。

 

課金なしのマルチエンディング!中断しましたが、やっと3パターン完了しました。

古代史マニアの私は行田には過去に一度行っているので楽しかったです。

 

主人公の銀古は死んでしまうのですが、最終決戦の時に一時的によみがえります。最後の晩に一緒に月を見た人とこのときに会話をして、エンディングの後に後日談を見ることができます。

忍城主成田甲斐姫を選択

怪力で武術しか知らない甲斐姫が銀古と出会って恋を知ったという少女漫画的な設定と甲斐姫がかわいくて、初めにこのエンディングを選択。

 思うに、この二人は身分の差を乗り越えて両想いだったような。

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ラスボスを倒した後の切ない会話

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鍛冶屋の銀古は短刀とかんざしを甲斐姫に残します

後日談では、領民にかんざしが素敵だと言われ、かんざしが良縁を招くという噂に「良縁なら前玉神社に行くといいよ」と勧めるところで終わります。

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行田が幸魂のはじまりと言ってます

行田にあるさきたま古墳群に「さいたま」の発祥の地がありました。そちらにかけているのかもしれませんね。

親友の佐杏を選択

佐杏は薬屋の設定。ゲームではチャラい見た目の回復系のキャラでした。でも、友人思いのいい子でした。

禁術によって苦しめられたので、全国の禁術を持つ人を探し当ててそれを放棄させると言います。

でも、まずは銀古と最後の晩に話していたところを目指します。

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海を見てみたいと銀古が言っていたので

ツンデレ美少女レンを選択

甲斐姫でプレイをした時は、アイテムを探しきれず何度も全滅したので、佐杏はもう一度最初からやり直してました(どれだけ暇人?)

だけど、レンのエンディングは最期の晩の前にセーブして、エンディングだけ分岐させて見ました。

古代からタイムスリップしてきた美少女レン(ハチス)は、ワガママでめんどくさい。

こういうキャラがアニメの定石なのかしら。

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ラスボス勝利後の会話

この会話の後、銀古は死んでしまうのですが、この後もレンはゴネ得な感じ。

思わず「そうなの?!」と思ってしまいました。

行田の見どころ

行田には行ったことがあるので、ゲーム中も楽しかったです(初めだけ。慣れると普通)

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忍城

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古墳公園

ここで、銀古と会っているのはヲワケ臣。ワカタケル大王の部下だったヲワケですよー!(古代史マニアには超有名だと思います)

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社会科の教科書に載っている国宝

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前玉神社

「さきたまじんじゃ」と読みます。さいたまの語源となっています。

以前行った時は蓮の季節ではなかったので、古代蓮の池に行っていないのでまた行きたいです。

GPS特典で、現地に行くと最強の武器が手に入るそうですが、2018年配信のこのゲーム、今もこの特典生きているのかしら。

 

課金なしで十分楽しめて、マルチエンディングで、声優さんたちの声付き。

行田市には感謝です。

「房総のむら」は夏休みにぴったり♪

千葉に住んでいた時に千葉の古墳にハマり、芝山千代田のはにわ祭りに参加したこともありました。

龍角寺古墳群が気になるものの交通の便が悪くて車の運転ができない私は二の足を踏んでいました。

夫さんがレンタカーを借りてくれて行くことができました♪

 

 龍角寺古墳群は「房総のむら」にあります

龍角寺古墳群は「千葉県立房総のむら」にあります。

房総のむらは体験型博物館で、有料エリアと無料エリアに分かれており、無料エリアには古墳群や整備された広場や公園があり、有料エリア(大人300円、小中学生無料)には房総の商家や武家屋敷、農家の建物が移築されて町並みが再現されています。

その中で伝統の技や農作業などを体験することができる博物館(テーマパーク)なのです。

残念ながら私の行きたかった「風土記の丘資料館」は令和4年春まで閉鎖していますが、園内も古墳も満足でした!

 

園内はコスプレが似合いそう

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コスプレの館

有料エリア受付前に「コスプレの館」があります。

最大3時間借りられる時代衣装がたくさん。

子供用忍者(1000円)から大人向け新選組(4000円)や奉行所同心(2500円)など。

気になるのは、町娘2000円と看板娘2500円の差です。500円で何が違うのでしょう?

若かったらやりたかったなあ。シャワーもあるし。

 

ロケも多いようです

こちらは色々なドラマやCM、PVの撮影に使われているようです。

その様子や色紙がたくさんありました。

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近代建築の建物

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夫さんは「相棒」が好きなので嬉しそう

まず商家の町並み

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商家の町並み

この日はとても暑くてスタッフの方が打ち水をしていました。

人影はまばらでちょうど良いです。

店先の体験コーナーに親子連れがたくさんいました。

夏休みの工作にぴったりかも。

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店内から通りを見る

午前中のためか外の日差しの割には思ったほど室内は暑くないです。

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薬屋さん、お隣は酒屋さん

こちらの町並みは香取市などに残る古い街並みを参考に、商家16棟と総屋、地蔵、辻広場、稲荷社などが再現されています。

タイムスリップしたみたいです。

県立のためかスタッフの方がニコニコと親切で、押し付けるような商業的さがないのでとても良いです。

蕎麦屋さん、お茶屋さんもありますよー。

建物の2階は展示室になっています。

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酒屋さんの2階にあった千葉の地酒

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お酒の値段の変遷など

私はお酒が飲めないので今はどうなっているのか分かりませんが、へぇーと見る。
(我が家は夫さんは自分のお小遣いでお酒を買う。家計費からは出しません)

明治時代はお酒が安かったのねぇ。というかそばの値段が高かった?

 

 

武家屋敷

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座敷の奥に鎧と太刀

 

江戸時代に建てられた佐倉藩の中級武士の家を再現しています。

外観の写真を忘れましたー。

屋内は思ったよりも涼しかったです。

離れではお茶とお菓子を頂けます。

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玄関から外を見るー風鈴が大吉

道よりは数段高くなっています。

馬上から家が見えないようにだそうです。

 

このほかに上総の農家、下総の農家、安房の農家があり、水田や水車小屋もありますが暑さのためこちらは割愛。

 

101号古墳

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商家の町並みに溶け込む古墳

龍角寺古墳群は房総のむらの中にありますが、前方後円墳がゴロゴロというより、小さな円墳や方墳が点在しているようでした。

こちらの83号墳は商家の町並みの中にある広場の中に「83号墳」という標識があったので気が付いたほどです。

101号墳は有料エリアから離れた場所にあります。

車で来ている方は101号墳のそばの駐車場まで車で移動したほうが良いと思います。

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駐車場から広場をぬけると古墳があります

広場には学習院初等科正堂があります。が、こちらの見学は後ほど。

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6世紀前半に造られた円墳です

復元された埴輪が当時のように飾られています。

円筒埴輪は120以上、人物埴輪は盾持ち武人、椀を持つ女性、馬、犬、鹿などがいて葬送儀礼などを表していると考えられています。

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きれいに整えられています

6世紀初頭に2重の周濠を巡らせ埴輪を飾り作られましたが、その後内側の周濠を埋葬施設に替えています。6-7世紀の数回にわたり複数人が埋葬されていました。

東側の墳丘部の石室からは成人男性3、成人女性3,小児1,幼児1の人骨が出土しています。

副葬品も碧玉の管玉や金箔の耳環の副葬品、鉄製の馬具、直刀、鉄鏃などの武器が出土しています。

ということは、こちらの埋葬者は首長の一族なのでしょうか?

資料は「風土記の丘資料館」に展示してあるとのことですが、令和4年春まで閉鎖中です。

以前行った芝山古墳にある埴輪はサンタクロース型埴輪とでもいうのか、髭を生やしとんがり帽子の埴輪でした。(渡来人だったのではと資料にありました)

こちらと直線距離で25kmくらい離れていますが、たったこれだけの距離でも首長が違うのか埴輪が違うのですねぇ。

ただし、こちらの古墳。房総のむらのスタッフの方に聞いたところ

「定期的に草刈はしていますが、たまに草が茂って埴輪がよく見えないこともあります」と言っていましたが、私たちが行った時はしっかりよく見えました♪

本当に房総のむらのスタッフの方は親切で、笑顔が良かったのが印象的でした。

 

 

学習院初等科正堂

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学習院初等科正堂

101号古墳に行く前に前を通り過ぎました。

こちらの建物、AKBや乃木坂46のPVのロケ地になっているそうです。

帰りに中に寄って見ることに。

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中に入れます

中も時代劇の撮影に使われそう。

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扉の上に菊の御紋?

御紋のない扉もあります。明治時代に建てられた学習院初等科の建物だけに宮さまはこの扉から、とかあったのかしらと思ったりして。

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舞台

舞台もあります。こちらには入れませんがなかなか雰囲気があります。

 

岩屋古墳

こちらから歩いてすぐのところに岩屋古墳という日本最大の方墳があります。

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道から見える大きさにテンションがあがります

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岩屋古墳の案内板

一辺78m、高さ13mの古墳時代終末期の最大の方墳ということです。

印波国造一族の墓と伝えられています。

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登ってはダメの看板が

見るからに登り跡があるのに登ってはダメとあるので我慢。

周囲をめぐって大きさを体感します。

出土品はすでに盗掘されてしまってないため埋葬者や副葬品については詳細は不明です。

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石室の開口部

 公共交通の便がとても悪いですが、園内には桜の木も多く春に来たら楽しいだろうなあと思いました。

体験で工作もできるし、古墳もあるし、自由研究にいいのではないかなあとも。

大人だけでなく子供も楽しいと思いました。

 

「言な絶えそねー行田創生RPG」にハマっています

緊急事態宣言は解除になりましたが、まだまだ旅行できる状態ではないですよね。

オリンピックも私としてはちょっと不安です。

 

さて、旅行の記事は書けませんが、最近はまっているのが、行田市が配信している「言な絶えそね」というRPGです。

と、言ってもこちらの配信は平成30年2月23日からなので、今更という感じなのですが、RPG初挑戦(ドラ〇エやFFもやってこなかった)の私としてはとても楽しいです。

 

ゲームは、安土桃山時代とヤマト王朝時代に渡ります。

鍛冶屋の銀古という若者が主人公。妖魔が忍城城下を跋扈しているので、忍城甲斐姫や、薬屋の佐杏、謎のツンデレ少女レンなどと妖魔を退治していきます。

そして、何よりこのゲームは行田が舞台。すごい人物が登場します。

行田と言えば、「さきたま古墳群」!

「さきたま古墳群」といえば、「金錯銘鉄剣」と「ヲワケ臣」!ですよね。

って、多分私以外はここに食いつく人はいないと思いますが・・・

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 行田のさきたま古墳群は日本史ヲタクの私としては、もう一度じっくり行きたいと思っている所です。

ゲームの中にも古墳が出てきます。

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夫さんに言わせると懐かしい絵柄のRPGだそう

そのためこのゲームには、日本史の教科書に必ず載ってる(今はどうかな?)国宝「金錯銘鉄剣」と、その剣を作らせたとされるヲワケ臣が出てきます。

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少年のようなヲワケ臣

ちなみにワカタケルというのは雄略天皇です。ヲワケ臣は雄略天皇に仕えていたとされる実在の人物です。さきたま古墳群の稲荷山古墳からこの剣は発見されました。

 

安土桃山時代になると忍城やのぼう(「のぼうの城」の成田長親)も出てきたり、スポンサーなのか実在する銀行や足袋屋さん(行田は「陸王」のドラマでも有名な足袋の名産地)、なども出てきたり、クーポンももらえます。(期限が切れていましたが)

 

しかし、RPGをやったことがない私は経験値をコツコツあげることを知らずに無謀に戦いに挑んで全滅していました。

全滅すると「GAME OVER」の文字が出て、行田市のロゴがばーんと。

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行田市のロゴってかっこいい

やっと攻略サイトを見つけて、全滅することなく進めることができています。

 

ただ、私は格安スマホで月に1Gの契約なので、ゲームをするのはWi-Fiが繋がる自宅のみ。家事が終わって寝る前のひとときくらいしかできないので、エンディングはいつ迎えられるのか分かりません。

でもでも課金なしで楽しめるという有難さ。

主なキャラは声優さんが声を入れてくれて本格的です。

ゲームにも出てきた蓮の池には前回行っていないので、また行田に行かなくちゃ。

「埼玉の 津に居る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言な絶えそね」の歌碑が前玉神社にあるというので(前に行った時は気が付かなかった)今度はしっかり見てきます。

 

コロナが終息して、前みたいに自由に旅行ができるようになってほしいです。

高麗神社に行ってきました

春が来る前に、ひとり古代史愛好会の散策で高麗(こま)神社に行ってきました。

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高麗神社

 高麗神社

ご祭神と由来

高麗神社のご祭神は高麗王若光です。

飛鳥時代、唐と新羅の連合軍の侵攻に対し、若光は日本へ援軍の要請のため来日します。しかし、その後高句麗は敗れ国は滅んでしまい、若光は祖国へ帰れませんでした。

高句麗や同じく国が滅んでしまった百済からは、王族だけでなく多くの民も日本へ逃れてきました。(日本が百済復興のために援軍を送り大敗したのが白村江の戦です。)

高句麗から日本に渡り来た人たちは関東に分散して送られていましたが、奈良時代に武蔵の国(現埼玉県日高市)に「高麗郡」が創設され、高句麗王若光が郡長に任命され1799人の旧高句麗人たちとともに開拓に励んでいったとのことです。

その高麗郡の祖「若光」を偲んで建立されたのが高麗神社です。

併せて導きの神猿田彦命、長寿の忠臣武内宿祢命が祀られています。

代々の宮司さんは高麗王若光の末裔で「高麗さん」とおっしゃるそうです。

ご利益

開拓を進めた高麗王がご祭神なので「出世開運」、猿田彦命と武内宿祢命から「正しい道に進める」「健康長寿」のご利益があります。また水天宮も境内にあるので安産の神社でもあります。

アクセス

JR八高線高麗川駅から徒歩20分、もしくは西武秩父線高麗駅から徒歩40分です。

高麗駅のそばには巾着田彼岸花の名所)があるので、季節にはあわせて観光するのも良いですね。

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続日本紀」の高麗郡設置の条

韓流ドラマでは、新羅に滅ぼされたのは高句麗(コグリョBC37?-668年)で、「朱蒙」や「ケベク」の国です。

高麗(918-1392年)は別の時代の話で「奇皇后」や「信義」なのだけど、高麗郡というのはなぜなのかしら。

将軍標(チャンスン)

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チャンスン

 道祖神のような一対の門、将軍標とも長丞(チャンスン)とも呼ばれています。韓国でも村や寺院の入口にある道しるべや魔除けの役割です。「天下大将軍、地下女将軍」の対ですが、こちらはちょっとお顔の印象が強すぎかも。

 

 多くの植樹

高麗郡の郡長となった若光は郡民を指揮し未開の地の開拓を進めました。近代に至り、この史実に惹かれ、政治家、文学者、歴史家ら多くの参拝者が訪れます。更に参拝後に内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことで、「出世明神」と称されるようになりました。現在では様々な分野で活躍を目指す人々の崇敬を集めております。」

 と高麗神社のサイトにありました。

なので、錚々たるメンバーが植樹をされています。

 

が、かつては高句麗から亡命してきた人々が日本に帰化したという歴史事実を戦前の植民地支配に重ねて、日本への同化政策に利用されたとも。

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大韓帝国の皇太子英親王と李方子妃のお名前あり
 本殿

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御神門

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高句麗神社とあります

こちらの扁額の文字は明治33年に当社を参拝した朝鮮王朝の貴族 趙重応の筆によるものです。

高麗家住宅

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高麗家住宅

慶長年間に建てられた高麗家の旧宅です。国の重要文化財に指定されています。

ちょうど梅がきれいな時期でした。立派なしだれ桜があるのですがまだ早かったです。 

水天宮

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水天宮遥拝所

高麗神社の中に水天宮?この登り口から急な坂道を登った小山に水天宮があるので、登るのが難しい方はこちらの遥拝所で参拝します。

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本殿を足元に見る

こちらの小山、10分ほどで山頂の水天宮につきますが、道が急なので気をつけてください。ご年配の方はお参りするのを悩んでしまっていました。(そのために遥拝所があるんですよー、無理しないで)

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山頂には小さな鳥居

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こちらのご祭神は安徳天皇

水天宮が山の上にあることもビックリですが、安徳天皇がお祀りされていることも驚きです。なぜ武蔵国に?調べたけど見つけられませんでした。どなたか教えてください。

 

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高麗神社のキャラクター

お兄ちゃんはトライくん。妹はミライちゃん。二人の間にいる猫はナビにゃん。蝶のことをハングルで「ナビ」というのですが、猫のしっぽに蝶がついているのはそのせい?

トライくんは看板の「狩猟図」の絵と同じ服装をしています。

高句麗騎馬民族なので馬を乗りこなしています。頭に鳥の羽を飾っていますね。 

 

宗教的な行事だけでなく、国際交流行事なども盛んなようです。

政治はともかく市民レベルで交流して互いに知るということは大事な気がする。

 

参拝してみて

遠くに秩父の山が見えて、現代でもかなりのどかな町でした。

建郡当時はおそらく未開の地ですよね。それをみなで開拓した。祖国が滅んでしまったから戻る場所もないから仕方ないのかもしれないけど、戦争のない場所で新生活を始めるのは希望も多かったのではないかしら。

なんて、いい歳をして希望的妄想をしてしまう。

 

私は日本古代史が好きで、色々調べたりしてみると、奈良時代くらいまでは渡来人(海の向こうから渡り来た人たち)がすごく多いことに驚きます。

「高麗王」に王(「こきし」と読みます)という姓(かばね)を与えたのは奈良時代ですが、百済王(くだらのこきし)と並んで高句麗王という外国の元・王を日本の廷臣としたのは、対外的に日本の優位性を示したかったからです。

高麗王氏は現在高麗氏ですし、百済王氏はその後三松氏と改姓します。

 

平安時代初期の「新撰姓氏録」には「諸藩」に分類された外国起源の氏族が約3割くらいいます。

学問の神様の菅原道真の菅原氏ももとは土師氏という渡来人でした。菅原の地に住んでいたので改姓しました。

古墳時代以前から渡ってきたのか、白村江の戦前後の後から渡ってきた氏族なのかはさておき、起源がどうであれ、日本に住んで日本を一緒に作っていったならみんな日本人でいいんじゃないかなあと思うのは単純すぎですか。

単一民族」ではないと思う。

 

これから、日本は労働力不足で移民を受け入れるようになるかもしれない。

色々な課題もあると思いますが、必要なのでは。

 

余談ですが、

2017年9月に平成上皇(当時は天皇)ご夫妻が高麗神社を私的旅行の一環で訪れています。宮司の高麗文康さんが案内をしたそうで、上皇ご夫妻は高句麗について質問をなさったそうです。

この訪問について、色々憶測が飛んでいます。

私は平成上皇さまのファンなので、批判的な論調を見るとちょっと悲しい・・・