しゃおれんの旅日記

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群馬総社古墳群ツアー

先日、最近入ったばかりの古代史サークルの日帰りツアーに行ってきました。

主宰された方とはメールでやりとりはあったけどお会いするのは初めて。

ガイドさんも含めて総勢12名、初めての人たちと日帰りツアーというのはドキドキでした。

今回のツアーは、群馬県の総社古墳群・山王廃寺跡・上野国分寺・国分尼寺跡・妙見社寺という古墳だけでなく史跡も社寺も周るという盛沢山でした。

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集合は10時群馬総社駅

総社古墳群

群馬県前橋市社町付近にある5世紀後半から7世紀末にかけて作られた古墳群です。畿内では大規模古墳が作られなくなる7世紀末でも関東では大規模な古墳が築造されています。

今回はそのうち①総社二子山古墳(6C後半) ②愛宕山古墳(7C前半) ③蛇穴山古墳(7C末) ④宝塔山古墳(7c中~後半)を周りました。登れたし、石室の中にも入れましたよ。

今回行っていない遠見山古墳(5c後半)は3段築成、全長88mの前方後円墳で集濠に榛名山の火山灰が堆積していたそうです。王山古墳(6c初)は全長76m前方後円墳、横穴式石室で内面は赤く塗られていて、墳丘は積石塚のようだとか。(朝鮮半島の影響あり?)王山古墳は他の古墳と少し離れているし、系統が違うので総社古墳群に入れなくてもいいかもとガイドさんは言っていました。

いずれも上毛野氏との強い関連あり、と言われています。

総社二子山古墳

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二子山古墳

6世紀後半築造。全長90mの前方後円墳、二段築成。前方部と後円部の両方に石室があります。先に造られたのは後円部の石室ですが、今回は埋もれていて入れず、入れた石室は前方部のものでした。

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前方部の石室 頭椎大刀が出土したそうです

入れると聞いてテンション上がってしゃがんで入り込む。小さいから大丈夫かと思ったけど、手をついたらドロドロでした(笑)カバンのファスナー開いてて家に帰ったら砂がザラザラ出てきたのも多分ここのせい。

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大きな天井石

山用のヘッドランプを忘れたので、スマホのフラッシュだけではピンボケでした。残念無念。

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石室内から開口部

開口部にかけて羨道の石を見ると切り石ではなく丸い石を積んでいるのがわかります。安山岩を使用。

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上に登りました

雨時々曇りで斜面はぬかるんでいました。

二子山古墳と名が付くだけあって、前方部と後円部の高さがほぼ同じ。6世紀後半は畿内では古墳時代終末期。だけど関東ではまだまだこんなに大きな前方後円墳が作られているんですね。

山頂から群馬の山々が見えました。親切に「あれが榛名山、あっちが赤城山」と教えてくださったのに覚えきれない・・・

ここに眠る被葬者はきれいな山並みを日々見ていたのですね。

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豊城入彦命の碑

ここで「おぉ、豊城入彦命♪」と声を上げる参加者の皆様。嬉しい・・・同志だわ。

豊城入彦命とは崇神天皇の皇子で東国を治めるために遣わされ、上毛野氏や下毛野氏の祖と言われています。

この二子山古墳はその陵墓とされ明治時代まで墓守もいたようですが、6世紀の築造のため豊城入彦の陵墓参考地ではなくなったということです。

日本書紀でいう東国に派遣された崇神48年って、紀元前ってことになるので・・・(笑)

 

愛宕山古墳

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愛宕山古墳

歩いて愛宕山古墳に移動。

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一辺56mの方墳 7世紀前半2段築成

こちらも登れるだけでなく石室に入れました。

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家型石棺に穴あり

こちらの石室には石棺が残っていました。ツアーの参加者の男性に「登ってみたら」と声をかけた方がいて、「石室の大きさがわかるからー」なんて登らせてしまいました。

成人の男性が石室の上に正座して腕を伸ばしたら天井石に手が届くくらいの室内の高さです。3mくらいはあります。

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天狗岩用水路と愛宕山古墳(左手の丘のようなところ)

この天狗岩用水というのは江戸初期の領主秋元氏が作り石高が増え、わずか2代しか総社にはいなかったのに領民に愛されて碑まで作られたとのことです。

 

お昼はお店が混む前にということで、ここでお昼です。

「大村」

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ソースカツ丼とおそばの美味しい「大村」さん

こんなご時勢なので11名の大人数って気が引けますが、奥の座敷で美味しくいただきました。

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レディースセット1100円

ソースカツ丼とそば・うどん(温冷選べます)・サラダとわらび餅がついていました。美味しくてボリューム満点でした。

みなさんが歴史の話に花を咲かせていて(天智天皇百人一首のTシャツを着ている人がいてビックリ)、大学卒業後(私は史学科)歴史ヲタがばれないように肩身を狭くして生きてきたので、ここまでマニアックな話をしている人たちに一度にたくさん会ったのは驚きとともに嬉しい―。

しかし、歴史ヲタと言っても、好きなジャンルは色々あり。

お話した中では「街道好きの方」(東海道はじめ色々な街道を自分の脚で踏破したと言っていました!)「神社好きの方」(一の宮めぐりとか・・・これまで全国の一宮なんて意識したことなかったー)等々、飛鳥時代の「天上の虹」というマンガについて語ったりしました。楽しかったー。

今、私の中では「倭王」「倭国」がブームなので、いつか諸先輩の意見を聞きたいです。

脱線しすぎました。

 

前橋市総社歴史資料館

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無料なのにパンフレットが充実

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総社二子山古墳から出土した頭椎大刀の復元

出土した本物は無くなってしまったそうですが、資料を基に復元したそうです。

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庭にいた埴輪

かわいいけど両目が顔の前についている。作る技術者のセンス?うーん。

蛇穴山古墳

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蛇穴山古墳

資料館の隣にある蛇穴山古墳。桜の名所になっているそうですが・・・本来は1辺44mの方墳で7世紀後半の二段築成。内堀と外周溝がありました。

古墳時代の末期、総社古墳群最後の首長墓と考えられます。

築造されたころ、山王廃寺も創建されていたようで、やっと関東でも権力を示すのに巨大古墳から寺院作りへと移行が始まったようです。

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すみません。参加者の方を☆で消すという失礼さ

開口部の上の石に切り込みがあったり、前庭部はハの字に開いていたりとおしゃれ。

羨道はなく「ワンルーム」でした。

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大きな切り石

最初にみた二子山古墳の石室内と大きく違っています。石室の壁が大きな切り石で、しかも漆喰が塗られていたそうです。

この技術はヤマト王権と関係があるのではと考えられます。

 

石棺は見つかっていなくて、棺台だけがあります。

(でも、この開口部から石棺を出せたのかな?盗掘者は中で石棺を割ったのかな?)

こちらは階段があるので皆で登って記念撮影をしました。

送っていただいたのですが、私のブログに載せていいか確認していないので写真は私の思い出用にしました。

宝塔山古墳

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宝塔山古墳

7世紀中葉、1辺66mの方墳で三段築成。一重の周濠まで含めると1辺102mでこの時代の方墳としては最大級。羨道・前室・玄室からなる複室構造。

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こちらも見事な切り石

角を落としてしっかり組むようになっています。前室と玄室の入口には門柱状の石が設置されていて、壁面は漆喰が塗られていました。

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輝安石安山岩製の家型石棺

こちらも穴が開いていました。盗掘?ここから?疑問です。

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資料館にあった復元模型

古墳の中では暗くてちゃんと石棺が撮れなかったので。

この宝塔山古墳と蛇穴山古墳は今でこそ間に資料館ができるほど離れていますが、当時は集濠があったのですごく接近していました。

角度も適当に見えますが、もしかしたらこの二つの方墳の登頂部を結ぶと何かがあるのかもしれないですね。

 

光厳

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宝塔山古墳の隣にあった秋元氏の菩提寺

江戸初期で二代で領地替えにあったのにここを菩提寺とするなんて、領主の秋元氏もこの地が好きだったのかも。

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門が素敵だったので

ぶらぶらと歩いて移動。おそらくほとんどの方が私より年上と思われますがみなさんとても元気。好きなことをしているのがいいのですね。最近更年期なのかしんどい日々があるけれど、好きなことをして乗り切るか―。

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午後からとても良い天気♪山がとてもきれいに見えます

午前中の雨が嘘のような快晴。日焼け止め忘れたー。

山王廃寺(放光寺)

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山王廃寺跡(塔心礎などがあるのは隣の日枝神社

東国最古の寺院の一つ。山王廃寺と呼ばれていますが、出土した瓦に「放光寺」の文字があったことから元の名は放光寺だと考えられます。

(ちなみに上野三碑の一つ、山上碑は放光寺の僧長利が建立)

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説明板

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放光寺の石製鴟尾(しび)と根巻石

鴟尾は寺院の屋根に載せるしゃちほこのような飾りです。根巻石は柱の飾り兼安定させるもの。こんな重いものを加工したり、載せたりする技術が当時あったということはヤマト王権の寺院作りの技術が伝わったということでしょうか。

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塔心礎

中から仏舎利が出てきたとか言っていたかな?ガイドレシーバーが音割れしていて途中からスイッチ切っていたのでよく分かっていない。

国分尼寺跡の碑

さらに歩いて次は「国分尼寺跡」のを探します。

発掘が終わり国分尼寺の史跡は埋め戻されてしまったため、現在は碑しか見ることができません。高崎市は国指定史跡の登録を目指しているようです。

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上野国分尼寺跡の碑

途中迷ったかと思いましたが畑の中にあり。Googleマップで探しても見つかりにくかったです。見つかって良かった♪

 

上野国分寺跡

国分寺国分尼寺聖武天皇の勅により全国に作られました。上野国のように二つの寺院の所在地がはっきりわかっているのは珍しいそうです。

国分寺は正式には「金光明四天王護国の寺」国分尼寺は「法華滅罪の寺」といいます。

皇族以外の皇后を立てたり、長屋王を死罪にしたりとやりたい放題の藤原氏は祟りを恐れてたんだろうけど甘い!と、私はアンチ藤原氏なので思う。

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講堂跡

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講堂の基壇

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塔の基壇

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説明によると、塔の礎石は2個だけ復元でそれ以外は本物です

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資料館にあった七重塔模型

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築地塀も復元されていました

 

妙見寺

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右が妙見寺、左が妙見社

吉祥院妙見寺は天台宗の寺院で本尊は釈迦如来。隣には妙見信仰の総本社といわれている妙見社が並んでいます。

妙見信仰というのは「北斗七星や北極星」を神格化する信仰で、千葉氏も確かその信仰をしていて、北斗の拳とコラボ企画があったっけ。(一時期千葉市在住)

この妙見社は、平将門の乱上野国衙を攻めた将門がここで「新皇」の位に就いたと伝わっているとか。

 

本日の行程はこれにて終了。ここで16時少し前。バスで前橋駅まで戻ります。

この近くに上野国衙跡や総社神社などもあるのですが、そちらを周っていると時間が足りないので今回は周りません。

総社古墳群も初期の首長墓の前方後円墳は泣く泣く断念しています。

 

古墳巡りの最初が群馬だったので(学生時代は除く)、なんだか感慨深い。

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帰りは高崎で食事をして帰るという皆様もいましたが、家が遠い私は寄り道せず。

同じように帰る方お二人と高崎線で色々お話できて良かったです。

「東日本で一番好きな神社は」という問いに「諏訪神社」「大宮の氷川神社」との答え。お二人ともご旅行も好きみたいです。

どうしよう、なんて答えよう・・・落ち着く感じだったのは・・・

三峰神社です!」良かったー。それなりの答えが出てきましたよ。

うっかり一番行ってる地元のお稲荷さんを答えちゃうところでした。

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お薦めの本をお聞きしたらすぐに教えてくださったり。

早速図書館で借りて読んだら面白かった!別ブログで読書ノート挙げますね。

有り余る体力とマニアックな趣味のため、私はどちらかというと旅は一人のほうが気楽。(夫さんには無理してつきあってもらうこともあり)

だけど私よりも相当マニアな方がたくさんいたので刺激を受けました。

歴史は本を自分で読んで知識を整理しているだけで十分と思っていましたが、サークルのオンライン講座も申し込みました。

いくつになっても知りたいと思うことはいいことですよね。

それがたとえ1円にならないことでも、お金なら本業で稼ぐから、趣味は好きなことを極めようと思いました。