しゃおれんの旅日記

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高麗神社に行ってきました

春が来る前に、ひとり古代史愛好会の散策で高麗(こま)神社に行ってきました。

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高麗神社

 高麗神社

ご祭神と由来

高麗神社のご祭神は高麗王若光です。

飛鳥時代、唐と新羅の連合軍の侵攻に対し、若光は日本へ援軍の要請のため来日します。しかし、その後高句麗は敗れ国は滅んでしまい、若光は祖国へ帰れませんでした。

高句麗や同じく国が滅んでしまった百済からは、王族だけでなく多くの民も日本へ逃れてきました。(日本が百済復興のために援軍を送り大敗したのが白村江の戦です。)

高句麗から日本に渡り来た人たちは関東に分散して送られていましたが、奈良時代に武蔵の国(現埼玉県日高市)に「高麗郡」が創設され、高句麗王若光が郡長に任命され1799人の旧高句麗人たちとともに開拓に励んでいったとのことです。

その高麗郡の祖「若光」を偲んで建立されたのが高麗神社です。

併せて導きの神猿田彦命、長寿の忠臣武内宿祢命が祀られています。

代々の宮司さんは高麗王若光の末裔で「高麗さん」とおっしゃるそうです。

ご利益

開拓を進めた高麗王がご祭神なので「出世開運」、猿田彦命と武内宿祢命から「正しい道に進める」「健康長寿」のご利益があります。また水天宮も境内にあるので安産の神社でもあります。

アクセス

JR八高線高麗川駅から徒歩20分、もしくは西武秩父線高麗駅から徒歩40分です。

高麗駅のそばには巾着田彼岸花の名所)があるので、季節にはあわせて観光するのも良いですね。

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続日本紀」の高麗郡設置の条

韓流ドラマでは、新羅に滅ぼされたのは高句麗(コグリョBC37?-668年)で、「朱蒙」や「ケベク」の国です。

高麗(918-1392年)は別の時代の話で「奇皇后」や「信義」なのだけど、高麗郡というのはなぜなのかしら。

将軍標(チャンスン)

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チャンスン

 道祖神のような一対の門、将軍標とも長丞(チャンスン)とも呼ばれています。韓国でも村や寺院の入口にある道しるべや魔除けの役割です。「天下大将軍、地下女将軍」の対ですが、こちらはちょっとお顔の印象が強すぎかも。

 

 多くの植樹

高麗郡の郡長となった若光は郡民を指揮し未開の地の開拓を進めました。近代に至り、この史実に惹かれ、政治家、文学者、歴史家ら多くの参拝者が訪れます。更に参拝後に内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことで、「出世明神」と称されるようになりました。現在では様々な分野で活躍を目指す人々の崇敬を集めております。」

 と高麗神社のサイトにありました。

なので、錚々たるメンバーが植樹をされています。

 

が、かつては高句麗から亡命してきた人々が日本に帰化したという歴史事実を戦前の植民地支配に重ねて、日本への同化政策に利用されたとも。

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大韓帝国の皇太子英親王と李方子妃のお名前あり
 本殿

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御神門

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高句麗神社とあります

こちらの扁額の文字は明治33年に当社を参拝した朝鮮王朝の貴族 趙重応の筆によるものです。

高麗家住宅

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高麗家住宅

慶長年間に建てられた高麗家の旧宅です。国の重要文化財に指定されています。

ちょうど梅がきれいな時期でした。立派なしだれ桜があるのですがまだ早かったです。 

水天宮

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水天宮遥拝所

高麗神社の中に水天宮?この登り口から急な坂道を登った小山に水天宮があるので、登るのが難しい方はこちらの遥拝所で参拝します。

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本殿を足元に見る

こちらの小山、10分ほどで山頂の水天宮につきますが、道が急なので気をつけてください。ご年配の方はお参りするのを悩んでしまっていました。(そのために遥拝所があるんですよー、無理しないで)

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山頂には小さな鳥居

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こちらのご祭神は安徳天皇

水天宮が山の上にあることもビックリですが、安徳天皇がお祀りされていることも驚きです。なぜ武蔵国に?調べたけど見つけられませんでした。どなたか教えてください。

 

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高麗神社のキャラクター

お兄ちゃんはトライくん。妹はミライちゃん。二人の間にいる猫はナビにゃん。蝶のことをハングルで「ナビ」というのですが、猫のしっぽに蝶がついているのはそのせい?

トライくんは看板の「狩猟図」の絵と同じ服装をしています。

高句麗騎馬民族なので馬を乗りこなしています。頭に鳥の羽を飾っていますね。 

 

宗教的な行事だけでなく、国際交流行事なども盛んなようです。

政治はともかく市民レベルで交流して互いに知るということは大事な気がする。

 

参拝してみて

遠くに秩父の山が見えて、現代でもかなりのどかな町でした。

建郡当時はおそらく未開の地ですよね。それをみなで開拓した。祖国が滅んでしまったから戻る場所もないから仕方ないのかもしれないけど、戦争のない場所で新生活を始めるのは希望も多かったのではないかしら。

なんて、いい歳をして希望的妄想をしてしまう。

 

私は日本古代史が好きで、色々調べたりしてみると、奈良時代くらいまでは渡来人(海の向こうから渡り来た人たち)がすごく多いことに驚きます。

「高麗王」に王(「こきし」と読みます)という姓(かばね)を与えたのは奈良時代ですが、百済王(くだらのこきし)と並んで高句麗王という外国の元・王を日本の廷臣としたのは、対外的に日本の優位性を示したかったからです。

高麗王氏は現在高麗氏ですし、百済王氏はその後三松氏と改姓します。

 

平安時代初期の「新撰姓氏録」には「諸藩」に分類された外国起源の氏族が約3割くらいいます。

学問の神様の菅原道真の菅原氏ももとは土師氏という渡来人でした。菅原の地に住んでいたので改姓しました。

古墳時代以前から渡ってきたのか、白村江の戦前後の後から渡ってきた氏族なのかはさておき、起源がどうであれ、日本に住んで日本を一緒に作っていったならみんな日本人でいいんじゃないかなあと思うのは単純すぎですか。

単一民族」ではないと思う。

 

これから、日本は労働力不足で移民を受け入れるようになるかもしれない。

色々な課題もあると思いますが、必要なのでは。

 

余談ですが、

2017年9月に平成上皇(当時は天皇)ご夫妻が高麗神社を私的旅行の一環で訪れています。宮司の高麗文康さんが案内をしたそうで、上皇ご夫妻は高句麗について質問をなさったそうです。

この訪問について、色々憶測が飛んでいます。

私は平成上皇さまのファンなので、批判的な論調を見るとちょっと悲しい・・・