しゃおれんの旅日記

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鹿児島旅行⑧枚聞神社と竜宮神社

枚聞神社

お昼を食べた唐船峡そうめん流しは、池田湖のそばにあります。

池田湖というと「イッシ―」がいたはず。

探しには行かず、お参りを続けます。

枚聞神社

薩摩国一の宮の「枚聞(ひらきき)神社」は、ご祭神が「大日孁貴命(おおひるめむちのみこと。天照大御神の別名)」で、他に皇祖神八柱を祀っています。

いつ創設されたかもわからないほど昔から信仰を集めて、三代実録(平安時代初期の歴史書)にも載っています。島津家は代々崇拝しています。

新緑がまぶしい

本殿の向こうに開聞岳が見えるはずなのですが

交通安全、航海安全、漁業守護の神として信仰され、島津家に入貢していた琉球の人たちも航海安全の祈願をしていました。

その他毎月、旧23日には他国に出稼ぎに出かけた肉親の無事安泰を祈る旧23日祭が行われているそうです。

自転車お守り、ベビーカーお守りなどがありましたよ。

枚聞神社の伝説

私がここに来たかったのは、上記由緒正しい神社だからというだけでなく、なんとも不思議な伝説があるからなんです。

こちらに伝わる「松梅蒔絵櫛筍」一式は、蒔絵の立派なお化粧道具一式なのですが、「玉手箱」と伝えられています。昭和2年に国宝指定されましたが、現在は重文です。

指宿には竜宮伝説があるのです。

 

また、開聞岳の麓で生まれた瑞照姫(別名大宮姫)は、2歳で上京して藤原鎌足に育てられ、13歳で天智天皇の妃になったが、他の后たちに妬まれて帰郷。その時持ち帰った大甕の一つが現在も宝物殿に残っているとか、後に天智天皇は姫を忘れられずに下向して、姫ともとで余生を過ごし79歳で崩御したとかいう伝説もあります。

すごいなー。初めて聞きましたよ。

壬申の乱後、大友皇子が落ち延びて生きていた話は聞いたことがあるけど、まさか天智天皇が指宿で余生を過ごしていたなんて。

 

竜宮神社

今日の観光の最後は、竜宮神社です。

浦嶋太郎伝説って、丹後の国の浦島子だけかと思ったら、全国各地にあるんですね。

鹿児島の場合は、竜宮城に行ったとされる山幸彦がいるから有利かも。

鳥居から見るといかにも竜宮城

もともと長崎鼻(別名竜宮崎)の断崖絶壁の上に、豊玉姫をご祭神とした「竜宮」

というお祠があったそうです。台風の被害にも幾度かあいながら、地元の人の信仰を集めていました。

昭和31年に台風により東海した木造の神社に代わりコンクリの神社が再建されますが、老朽化が進んだため、平成22年に本殿を残し、拝殿・社務所は解体されます。

が!ここで!

平成23年、鹿児島への新幹線乗り入れ、「指宿のたまて箱」の運行もあり、「竜宮伝説」キャンペーンが指宿で行われ、竜宮神社の再建を行ったそうです。

地元の大工さんが工事を行い、地元の積立金と浄財で建てられたそうです。

すごいですね。

手水鉢に亀

拝殿にも亀

本殿

貝に願いを

竜宮神社は海の守り神ですが、浦島太郎と乙姫さまの伝説にちなんで縁結びの神様としても有名です。

貝に願いを書いて奉納するという面白いものがありました。

 

再建のいわれの説明書きを読んで、おぉーっと思っていたのですが、天気の悪い平日の午後は閑散としていて、ちょっと心配な感じでした。

神社の近くまで行き、駐車場を探していると、原付のおじさんが現れ、「無料駐車場に案内するよー」と勝手に先導してくれて、駐車するとお土産屋さんの案内をくれる。

「お茶も飲んでいって」というけど、それって何か買ってということですよね。

トイレを借りるついでにお店をのぞいて、何か買わなきゃと見ていると、客一人に店員さんが一人ついてちょっと怖い。

結局お姉さまがかつお節を買って(鹿児島はかつお節も有名)放免されました。