しゃおれんの旅日記

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鹿児島旅行⑩最終日は知覧観光と維新ふるさと館

白水館でゆったり休んで、いよいよ今回の旅行も最終日。

お姉さまたちはスーツケースを宿から送って身軽になってます。

私は小さめのボストンバッグだけなので、背負っていきます。

 

知覧へはバスがあります

白水館から指宿駅までは送迎があります。

9:00のバスで約10分ほどで指宿駅に着きます。

別行動のお姉さまを見送り、知覧組は観光案内所でバスチケットを買います。

一人のお姉さまは「あたし、そういうのつらくてダメなの」と別行動。

指宿駅前10:01発、特攻観音入口11:05着のバスで向かいます。

2日乗車券

こちらのチケットはお得です。

鹿児島~知覧~指宿の路線バスが、2日間乗り放題で2200円。

指宿駅前」から、知覧特攻平和会館のある「特攻観音入口」まで1150円

「特攻観音入口」から「武家屋敷入口」まで170円

武家屋敷入口」から「鹿児島中央駅」まで1100円

220円お得になります。

が、もし、行きに「いぶすきのたまて箱号」に乗らずバスで来たら、1210円なので、併せて1430円のお得になります。

これだけお得なバスですが、本数がすくないためか空いていました。
指宿駅前から知覧に向かうバスは一日4本。知覧から鹿児島中央に向かうバスは9本あります)

みんなレンタカーで移動するのでしょう。

 

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

太平洋戦争末期に、飛行機で敵艦に体当たりして自爆して倒すという特攻という戦闘法があったことは知っていました。

若い兵士たちが、国・愛する家族を守るためとしてその任務についたことも。

 

その遺品や御遺影、遺書などを見るのは、とてもつらいけど、これからも平和であることを祈るなら、見学しておかなければならない気がしていました。

一式戦闘機「隼」(映画撮影のための復元機)

鹿児島の知覧には、陸軍飛行学校としての飛行場があり、沖縄を本土決戦までの防衛線とするため、派遣する特攻隊員の訓練などを行い、出撃基地となりました。

沖縄戦には全国から特攻作戦に動員された兵士1036名がいましたが、そのうち402名が知覧から派遣されています。

 

本当に、戦争がなければ、その若者たちが日本のために生業に励んでいたのにと思うと悲しいです。

生きたかっただろうにと思うと。

 

多くの若者の遺影と遺品が展示してありました。

文章が真面目で、語彙も難しいものを使ってる。

純粋な気持ちに心が洗われます。

陸軍士官学校は難関だというから、優秀な子が多かったのかしら。

若い父親が残される子ども宛にカタカナで書いた手紙に泣く。

教官が教え子たちを送り出すだけでなく、自分も志願したのに上の許可がなかなか下りなくて、妻が妨げにならないようにと子供を道連れに自殺して夫を励ますという手紙があり、夫である教官も志願する云々があるのですが、戦争中でなければこんな悲劇って起きないのにと、また涙。

こんな発想になるほど、洗脳というか考えが染まっていたのかと思うと。

 

特攻作戦に至るまでの経緯や、数人の遺書の紹介の映像を見て、見学者の多くは泣いていました。私も涙が止まらないです。

泣かせるように作られているのはわかっていたけど。

 

館内の写真撮影は不可なので写真はありません。

今回の旅行で一番見学者が多かったのが特攻平和会館でした。

外国人の団体も映像を見ていました。どう思うんだろう?

復元された三角兵舎

半地下の木造の小屋で出撃前の数日を過ごしていたと聞くと切ない。

うまくまとめられた30分の映像と館内を少しまわるだけで苦しくなってしまい、そうそうに切り上げる。

お姉さまたちに無理につきあってもらったくせに、ていたらく。

 

私は、日本の平和と繁栄を割と享受できた世代なのではないかと思う。(バブルは学生時代に終わっているけど、今ほど閉塞感はなかった気が・・・)

ウクライナイスラエル、シリアなどの内戦も含めると、世界中には戦闘が続いている地域や国が未だにあって、「日本は平和で良かった」と他人事でいるのは能天気すぎる。

かといって、何ができるかというと・・・

 

語り出すと長くなるので、この話題はこれにて。

 

知覧武家屋敷

バスに5分ほど乗って、次の観光地へ。

武家屋敷庭園案内図

こちらの地域は伝統的建造物保存地区となっていて、実際に今もお住まいになっている屋敷を公開しています。

「見学はお断りします」という案内が門に出ているお家も多いので気を付けないと。

石塀の道

こちらのような切り石の塀は格が高い。

立派な門

次のバスまでの一時間でさらっと見ようとブラブラ歩いていると、凛とした高齢の女性に話しかけられる。

お屋敷にお住まいの方でした。

門の横にもう一つ屋根がある門は格が高い、あっちの家は分家だからそれがないとか、見学者が来る前に庭の掃除をしないといけないから大変なのに、お金を払わずに写真だけ撮っていく人がいるとか、

なんと返したらいいか分からず、適当に相づちを打っていたら、話がちっとも終わらない。

「貴重なお話をありがとうございました。勉強になりました」とお姉さまが、強引に打ち切って、助けに来てくれなかったら、私はずっと聞き続けなきゃいけなかったかも。

確かに、由緒正しい家柄とはいえ、歴史的建物に住むって苦労が多そう。迷惑な観光客もいるだろうし。

お庭を見学する時間も無くなって、そのままバス停に戻りました。

石敢當

沖縄で見た魔除けの石。丁字路などにあります。

鹿児島は琉球朝貢を受けていたから影響があるようですね。

 

ふるさと維新館

バスで鹿児島中央駅に戻ってきたのは15:30。

飛行機は鹿児島空港20:10発だったので、最後に維新ふるさと館を見学。

維新ふるさと館

幕末の薩摩の様子がよく分かる展示になっています。

ジオラマや等身大の人形が動くシアターもあって、子どもが好きそう。

大河ドラマで使われた衣装も展示してありました。

右奥が篤姫、左が和宮の衣装

 

鹿児島出身のお姉さまがいたから、なるほどーと言った顔で見学していましたが、正直薩長はあまり好きではない。

でも、社会科の教員免許を持ち、日本史と世界史を教えたことがあるから、幕末も明治維新もそれなりに知っている。

鹿児島はとにかく西郷さん推しがすごい。

他にも維新の英傑っているのに、やはり西南戦争で敗れたというところが効いているのかしら。

維新ふるさと館は川沿いにあり、ちょうど桜が咲いていて、花見をする人が多かったです。夕方でも暖かいのがいいなあ、今年の桜は鹿児島で見るのかと思いながら眺める。

(家に帰ってから近所の桜を見に行ったら、十分間に合って良かったです)

 

空港バスに乗る前に、アミュプラザ(駅ビル)の地下で、ざぼんラーメンを食べました。美味しかったです。

 

3泊4日の鹿児島旅行はこれにておしまい。

これで、47都道府県をとりあえず制覇しました。(八幡平だけの秋田や高千穂峡だけの宮崎でいいならば)

「神代三陵に行きたい」から始まった鹿児島旅行でしたが、美味しいものを食べて、いい宿に泊まって、温泉や砂蒸し風呂まで体験して、なかなか充実していました。

仕事をやめてからも、お姉さま方と旅行ができて良かったです。

さて、次はどこへ行こう。

鹿児島旅行⑨指宿白水館・伝承館と砂蒸し風呂

指宿白水館

この日の宿は、白水館。こちらもお姉さま方の意向でなかなか素敵なお宿。

指宿観光後、送ってくださった姉上様を見送ってチェックイン。

ロビーが広い

ロビーでチェックインの手続きを待つ間、ウエルカムドリンクで黒酢ドリンクを飲む。

鹿児島は黒酢も有名なんですね。焼酎もありました。

 

オーシャンビュー和室

広めの和室に四人で泊まったので二食付きの割にはお得な感じでした。

お風呂もとても広くて堪能しましたよ。

大きな旅館あるあるだけど、お風呂や夕食会場までが遠いんですよね。

一人じゃ泊まらないから、館内のお店や中庭や廊下の調度品なども眺めて楽しみました。

夕食も時間をかけて長々とおしゃべりしながら食べました。

前菜盛り合わせ

お造り

黒豚角煮とさつま芋の天ぷらとトマトのワインゼリー寄せ

ワインゼリーがしっかりワイン風味でこれまた食べられず。

 

黒豚のしゃぶしゃぶがあったのに、写真撮り忘れ。

どうも火がついていると気分が上がって、早く食べなきゃと思って写真を忘れるようです。

かつおのたたき

ご飯と豚汁が出て、最後はデザート。

アイスクリームとプチ道明寺とフルーツ

翌朝もしっかり食べたので、最終日も昼抜きでした。

薩摩伝承館

白水館には、幕末から明治にかけて薩摩で作られた美術工芸品を展示する「薩摩伝承館」という博物館があります。

堀を渡り廊下を進んでいく

欧米に輸出された金襴手薩摩焼などは白水館が買い戻して集めたそうです。

一階は主に金襴手薩摩焼。二階は、民窯の間、歴史的な展示の間などです。

一階は撮影可だったので、思わずあれこれ撮りましたが、実際に見た時のあの素晴らしさがイマイチ撮りきれない。

金箔の壁に薩摩焼が展示されています

腰壁の陶板は、15代沈壽官氏の作品で、日本の植物を描いています。

パリ万国博覧会で日本のやきものが売れると気付いたイギリスの商社が薩摩藩に売れ筋商品を作らせたもので、金襴手薩摩焼といい、盛んに輸出したそうです。

鹿児島だけでは職人が足りなくて、東京遷都後に失職していた京都の職人さんの手も借りて輸出したそうです。「京薩摩」といいます。

明治時代はジャポニズムが流行っておおいに輸出しましたが、その後欧州で戦争がはじまり豪華な薩摩焼のブームは去りました。

観音様

ゴージャスな観音様。お顔が凛としているけど優しげ。

白地が美しい

照明のせいでわかりづらいのですが、生地が白く見えて、派手な色彩がより映える気がします。

青磁白磁のようなシンプルなものが好きだったはずなのに、豪華さに圧倒され、思わず写真を撮ってしまいました。

 

白水館の創業者とその息子さんが二代60年かけて、薩摩焼の名品を買い戻して、美術館を作りました。

二階には、宮城から叙勲を受けた勲章や賞状などもありましたよ。

二階の歴史的展示の中には、西郷札軍票)、西南戦争の錦絵などもあり、なかなか面白い。西郷さん所有の懐中時計もあったけど、私は西郷さんに特に思い入れはないので、あっさり見る。

白水館に泊まったら、ここは絶対に見学すべきです。

 

砂蒸し風呂

なんとなく指宿といったら「砂蒸し風呂」を連想します。

先月のブラタモリでもタモリさんが砂に埋もれていました。

指宿は火山が多く、地熱が高いところがあるのです。

人生初の砂蒸し風呂は白水館で体験しました。

 

建物の中なので、雨でも大丈夫。

受付で浴衣を借りて、浴衣だけを身に着け会場へ。

いくつか仕切られた砂場(?)があり、順番になると呼ばれ、木の枕にタオルを敷いてうっすら凹んだ穴に横たわります。

「10分から15分を目安に、手を出して砂を払って起き上がって下さい」と言われる。

じんわり暖かくて気持ちいい。

担当の人が砂を載せてくれる。砂って結構重いんですねー。

身体全体に砂が載って、ほかほか。そして、だんだんと暑くて汗がたらーっと垂れる。

岩盤浴は接地面しか温まらないけど、これは全身温まっていいかも。

ザザーっとすごい音がするので、ゲリラ豪雨?と思うと、「あの音は、隣の砂場にシートを敷く音。雨じゃないのよ」と経験者のお姉さまが教えてくれた。

身動きできず見えないので、教えてもらって良かった。

反対側のお姉さまは妙に山が高い。

こんなに貫禄良かったっけ?と思っていたら、「お腹が冷えるからたくさん載せてって言ったの」という。そんなリクエストもできるんだ。

15分ほどで手をがばっと持ち上げて、それから体の砂を除けて、起き上がりましたが、浴衣の中にけっこう砂って入ってしまうもんですねぇ。

汗をかいた足にも砂がくっついているし。

会場に隣接するシャワーで砂を流してから、大浴場へ行きました。

露天風呂もあったし、温度の違う浴槽もあって、なかなか楽しかったです。

 

サウナは好きだけど、岩盤浴やこちらの砂蒸しみたいに顔が熱くならないタイプの温浴って楽で気持ちいいですね。

 

鹿児島は温泉だらけ。

今回の旅行はとにかく温泉に浸かって気持ち良かったです。

手術後ひと月以上経っているけど、温泉と豪華な食事で療養できたと思います。

 

記念の写真について

 

砂蒸し風呂に入っている写真は、お抱えカメラマンが撮ってくれて1000円するので、ばかばかしいので撮りませんでした。

そもそも、景色や美味しい食べ物は撮るけど、自分が映る必要をそれほど感じない。

鉄人28号くんをたまに入れて映すだけでいい。

ですが、お姉さまたちは違うんですよねー。

何かと言うと、「はい、こっちむいて!」と撮ってくれる。

私がすごく美人で景色負けしないならともかく、そんなに記念は要らない。

旅行の思い出は頭に焼き付けておくだけでいい。

(といいつつ、一応声をかけられたら笑顔で応える)

 

お姉さまのスマホがCMで見る「消しゴムマジック」ができるらしくて、映りこんだ人物を消してくれた。

「すごーい」とみんなで見ていたら、「あれ?今、私、どのボタン押してた?たまたまできちゃったから、もうできないわ。帰ってからお嫁ちゃんに聞かないと」という。

頼りになるお嫁ちゃんがいると聞けるからいいなあと思う。

後日、あげてくれた写真は人物が全部消えて閑散とした写真になっていました。

私のように不自然に顔を消すのも変だけど、消し過ぎるのもいかがなものか。

 

旅行から帰ってから、とうとう私も4年ぶりにスマホの機種変をしました。

ライブの時に周りの子たちのスマホの画像の鮮明さに驚いたものの、まだ使えるしーとめんどくさがっていました。

旅行前に替えるのもちょっと心配だったので、帰ってきてからやっと。

次の旅行から写真が少し良くなるのではと思います。

鹿児島旅行⑧枚聞神社と竜宮神社

枚聞神社

お昼を食べた唐船峡そうめん流しは、池田湖のそばにあります。

池田湖というと「イッシ―」がいたはず。

探しには行かず、お参りを続けます。

枚聞神社

薩摩国一の宮の「枚聞(ひらきき)神社」は、ご祭神が「大日孁貴命(おおひるめむちのみこと。天照大御神の別名)」で、他に皇祖神八柱を祀っています。

いつ創設されたかもわからないほど昔から信仰を集めて、三代実録(平安時代初期の歴史書)にも載っています。島津家は代々崇拝しています。

新緑がまぶしい

本殿の向こうに開聞岳が見えるはずなのですが

交通安全、航海安全、漁業守護の神として信仰され、島津家に入貢していた琉球の人たちも航海安全の祈願をしていました。

その他毎月、旧23日には他国に出稼ぎに出かけた肉親の無事安泰を祈る旧23日祭が行われているそうです。

自転車お守り、ベビーカーお守りなどがありましたよ。

枚聞神社の伝説

私がここに来たかったのは、上記由緒正しい神社だからというだけでなく、なんとも不思議な伝説があるからなんです。

こちらに伝わる「松梅蒔絵櫛筍」一式は、蒔絵の立派なお化粧道具一式なのですが、「玉手箱」と伝えられています。昭和2年に国宝指定されましたが、現在は重文です。

指宿には竜宮伝説があるのです。

 

また、開聞岳の麓で生まれた瑞照姫(別名大宮姫)は、2歳で上京して藤原鎌足に育てられ、13歳で天智天皇の妃になったが、他の后たちに妬まれて帰郷。その時持ち帰った大甕の一つが現在も宝物殿に残っているとか、後に天智天皇は姫を忘れられずに下向して、姫ともとで余生を過ごし79歳で崩御したとかいう伝説もあります。

すごいなー。初めて聞きましたよ。

壬申の乱後、大友皇子が落ち延びて生きていた話は聞いたことがあるけど、まさか天智天皇が指宿で余生を過ごしていたなんて。

 

竜宮神社

今日の観光の最後は、竜宮神社です。

浦嶋太郎伝説って、丹後の国の浦島子だけかと思ったら、全国各地にあるんですね。

鹿児島の場合は、竜宮城に行ったとされる山幸彦がいるから有利かも。

鳥居から見るといかにも竜宮城

もともと長崎鼻(別名竜宮崎)の断崖絶壁の上に、豊玉姫をご祭神とした「竜宮」

というお祠があったそうです。台風の被害にも幾度かあいながら、地元の人の信仰を集めていました。

昭和31年に台風により東海した木造の神社に代わりコンクリの神社が再建されますが、老朽化が進んだため、平成22年に本殿を残し、拝殿・社務所は解体されます。

が!ここで!

平成23年、鹿児島への新幹線乗り入れ、「指宿のたまて箱」の運行もあり、「竜宮伝説」キャンペーンが指宿で行われ、竜宮神社の再建を行ったそうです。

地元の大工さんが工事を行い、地元の積立金と浄財で建てられたそうです。

すごいですね。

手水鉢に亀

拝殿にも亀

本殿

貝に願いを

竜宮神社は海の守り神ですが、浦島太郎と乙姫さまの伝説にちなんで縁結びの神様としても有名です。

貝に願いを書いて奉納するという面白いものがありました。

 

再建のいわれの説明書きを読んで、おぉーっと思っていたのですが、天気の悪い平日の午後は閑散としていて、ちょっと心配な感じでした。

神社の近くまで行き、駐車場を探していると、原付のおじさんが現れ、「無料駐車場に案内するよー」と勝手に先導してくれて、駐車するとお土産屋さんの案内をくれる。

「お茶も飲んでいって」というけど、それって何か買ってということですよね。

トイレを借りるついでにお店をのぞいて、何か買わなきゃと見ていると、客一人に店員さんが一人ついてちょっと怖い。

結局お姉さまがかつお節を買って(鹿児島はかつお節も有名)放免されました。

 

鹿児島旅行⑦釜蓋神社とそうめん流し

鹿児島出身のお姉さまの姉上が車で指宿を案内してくれました。本当に感謝です。

釜蓋神社

事前に聞いてなかったのですが、連れて行ってくれたこちらは素敵でした。

黒白赤の鳥居

鳥居をくぐって進むと

釜蓋神社

張り出した岬のような位置に立つ神社。お釜の蓋が目につきます。

射楯兵主(いたてつわものぬし)神社(通称:釜蓋神社)

ご祭神はスサノオノミコト

「勝負の神様で、なでしこジャパンの澤選手が来て有名になったのよ」とお姉さまがいう。

(本殿の中には、多くのスポーツ選手や芸能人のサインがありました)

願かけかぶり

神社は最近,、アトラクション化してきてますね。

こちらの神社では、釜蓋を頭に載せ、鳥居から手を触れずにお賽銭箱のところまで来れたら、願いが叶うそうですよ。

「厄除け」と「必勝」の二種類しかありませんが、どちらにしても「開運」はついてきます。

これがなかなか難しい。おばさんたちのよちよち画像は見苦しいので割愛。

参拝のさいにはぜひチャレンジを。

もう一つの願掛け

こちらは粘土でできたかまふたを投げて、うまく御釜に入ればOK。

すぐそこにあるのに

小さな粘土の蓋を投げることなんて日頃無いから、力の加減が分からず二つとも外しました。

一人のお姉さまは一度目のチャレンジで、お釜に当たったので「次こそは」と合計4個投げたけど、結局入りませんでした。

この入りそうで入らないのがミソ。

JR最南端の駅へ

車で移動なので、雨でも楽々。

開聞岳は見えず

途中で展望スポットに寄っていただきましたが、この日も天気が悪く開聞岳は見えませんでした。

西大山駅

次に連れて行ってくれたのは、JR日本最南端の駅。

(沖縄にはゆいレールがあるけどJRではないから)

多分開聞岳と撮るのが正解

無人駅なので、ホームに入って写真撮り放題。

幸せの黄色いポスト

「あなたの想いを届けましょう」とあったけど、葉書などを持ち歩いていないと難しい。

 

そうめん流し

「指宿に来たら、お昼には『そうめん流し』に行きましょう」と強く推される。

朝食をしっかり食べたし、そうめんをわざわざ外で食べるのってどうなんだろう?

流しそうめんって、子供がキャンプ場でやるものですよね?

くらいに思っていたけど、鹿児島出身のお姉さまとその姉上が問答無用で連れて行ってくれました。

唐船峡そうめん流し

市営と民間のお店が並んでいますが、お姉さまたちの行きつけは市営のお店。

渓谷にあって、階段を下りていくと何やらひんやり。

豊富な湧水でそうめんを流して食べるそうです。

大きな建物

テーブルがいくつもあり、それぞれにプラスチックのたらいのようなものがあり、すごい勢いで回っています。

ニジマスやおにぎりなどのついた定食もありますが、そうめんだけにしました。

まわるそうめん

常に湧水が出て回っているので、ぬるくなったりしないそうです。

春休みの雨の平日だったのに、半分くらい埋まっていてびっくり。

夏は、テーブルの横で立って待たれるくらい大盛況だそうです。

そうめんの出汁はやや甘めで美味しかったです。

なかなか面白い体験でした。

 

そして、ふと思う。

日頃あまり外食をしないから、お客さんが来た時に連れて行きたいお店がない。

「〇〇に行こうよ」と言える店を一つくらいはほしい。

鹿児島旅行⑥指宿のたまて箱号に乗りました♪

私は観光列車が好きです。

えちごときめきリゾート雪月花のような豪華なものや、しまてつカフェトレインのような素朴だけどほんわかするようなものまで。

指宿に行くならぜひとも、いぶたま号に乗ってみたい!

乗ってきました。

電光掲示板を見てテンション上がる

早めにホームに降りると、すでに撮影会状態。

白黒の不思議なカラーリング

これは、竜宮伝説をもとにしていて、「黒髪だった浦島太郎が玉手箱をあけたら白髪になった」のを表現しているそう。海側が白、山側が黒に塗られています。

玉手箱が描かれています

海側は窓に面したカウンター席。

カウンター席を予約してくれました♪

山側は二人席

ソファー席もあります

玉手箱や、海の生物が描かれています。

平日でもほぼ満席でした。乗客は予想に反して日本人ばかり。

鹿児島中央駅

西郷さんと桜島鹿児島中央駅を9:56に出発したら、終点の指宿に10:47着で途中停車駅無し。(一か所、すれ違いのため停車したことがあった)

内装がおしゃれでいいのだけど、すごいスピードで飛ばすのでとにかく揺れるのも、亀の背に乗って竜宮城に行くことを思えばありかな。

この日は雨で桜島は当然見えず、車窓からの景色は楽しめませんでした。

 

それでも、約50分の列車の旅は楽しかったです。

スィーツやコーヒーなどもあるし、事前予約すればお弁当も食べられます。

いぶたまグッズもタオルやストラップなどがありますよー(私は当然買わないけど)。

旅行で、普通に電車に乗っていても楽しいけど、おしゃれな電車だとより楽しい。

指宿駅構内にあった写真スポット

大河ドラマに頼りすぎでは

竜宮城のような門

鹿児島というと、指宿の砂蒸し風呂は外せない気がして、今回旅程を組んでもらいました。

さらに、指宿には竜宮神社をはじめとしていくつか由緒正しい神社があるので、そちらも楽しみにしていました。

だけど、駅からのバスはすごく少ないし、駅前も閑散としていて驚くほど。

この日は、鹿児島出身のお姉さまの姉上が車で迎えに来てくれて、指宿を案内してくれたのでした。車じゃなかったら、周れなかったかも。

(ちゃんと手土産とガソリン代は持参しましたよー)

鹿児島旅行⑤豚しゃぶ「いちにぃさん」と城山ホテル

私の中で「鹿児島といえば黒豚」という話をしていたら、鹿児島出身のお姉さまが「豚しゃぶ」を食べようと言う。

お姉さまお薦めの「いちにぃさん」は数店舗あるけど、駅ビル「アミュプラザ」店に行きました。

豚しゃぶのコース

いちの味という一番安いコースにしたけど、メインの豚しゃぶの他に、先付・ヒレカツ・生そば・蒸し寿司・豚汁・デザートというボリュームで、完食できず。

美味しいのにー、食べきれないなんてー。残念です。

4人だけどコースは2人前にして、お肉とデザートを追加するだけにすれば良かった。

「若いんだからたくさん食べなさい」と言われたけど、退院してからの1ヶ月、家でゴロゴロしていたら食欲落ちて、自分の分をこなすだけで精一杯でした。

 

こちらの豚しゃぶは、薄味のそばつゆに柚子胡椒を入れて食べる。

初めてのお味で、ポン酢が好きじゃないのでなかなか美味しい(でも、しゃぶしゃぶはごまだれが好き)。

醤油を入れて食べたほうが美味しいと、あるお姉さまは言っていた。

 

今日の宿は城山ホテル。

城山の頂に見える立派なホテル。

鹿児島市民は「城山ホテルで結婚式した」「城山ホテルで父の還暦祝いした」などというと、一目置かれるという。

鹿児島出身のお姉さまも、勿論何度も利用したという。

が、広いので、迷ったらしい。

大浴場からの帰りに、エレベーターホールにお姉さまがぽつんと立っているのを見て「何度か来てるんですよね?」と聞いてしまった。

今思うと、感じ悪っ。ホントに驚いたにしても。
私もあと15年もすれば、ソウルの地下鉄の乗換えに手間取ったりするのでしょう。

桜島ビュートリプルルーム

桜島ビューのはずなのに、天気のせいで見えず。

ソファとリクライニングチェアもありました

広い部屋で洗面所が二か所あって、KBSで韓国の歌番組も見られてなかなか良い。

もう一人のお姉さまは急遽後から合流することになったので、シングルだったけど、良かったそうです。

 

大浴場の露天風呂からは、晴れたら桜島が見えるはず。

初日は夜だったので見えないのは当然としても、翌朝の朝風呂でも見えませんでした。

薩摩の悪口そんなに言ってないのになー。

大浴場の写真はパンフレットから

大浴場には、日本人と東洋系の外国人の方が多かったです。

内湯と露天風呂の2つしかないので、霧島ホテルに比べると物足りない。

それでも、寝る前と翌朝とお風呂を楽しみました。

 

朝食のビュッフェも充実していて良かったですよ。

鹿児島の郷土料理メインの和食を少しずつ楽しんだ後で、第二弾としてデザートもしっかり。

くまのスィーツが美味しかった

日頃、一人だと食材の品数が少ないので、少しずつでもあれこれ食べられるのは良かったです。

食事の準備も片付けもしないで、美味しいものが食べられるのはいいですよね。

 

この後、3日目は指宿のたまて箱号に乗って指宿へ移動です。

鹿児島旅行④仙厳園

鹿児島中央駅でさらにもう一人のお姉さまと合流。

シティビューバスは便利?

コインロッカーに荷物を預け、カゴシマシティビューバス(一回230円)で、仙厳園へ向かいます。

レトロな外装のバスで、一回230円。

一日乗車券(600円)もありますが、仙厳園に行くだけの私たちは都度払いしました。一日乗車券は、割引になる施設もあります。

バスは市内の名所を通過しながら、その都度車内放送で案内してくれます。

行きは城山を登り、西郷洞窟(西郷さんが最期を迎えた洞窟)や今和泉島津家本邸跡(篤姫生誕地)なども周って最後に仙厳園に行くので、50分くらいかかります。

名所を回るので、急ぐ時には不便かも。帰りは海の方を周って鹿児島中央駅に戻ります(帰りは30分くらい)

若き薩摩の群像(車窓から撮る)

市内には維新の義士たちの像があちこちにあり、前を通るたびに車内放送が流れますが、バスはそこそこ混んでいたので写真を撮るのは難しかったです。(そもそもそれほど興味がなかった)

分かったのは、鹿児島はとにかく西郷隆盛が大好きということ。

前にも書きましたが、東北に親戚がいる私はどうにも薩長が好きになれない。

なので「篤姫」も「西郷どん」も見ていなかったのですが、お姉さま方に言われ、「篤姫」は見はじめました。

小松帯刀って篤姫のことをすきだったの?と、大河ドラマというよりフュージョン時代劇の感覚で見ています。

 

世界文化遺産の構成遺産

2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼・造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。

「旧集成館」はその構成遺産で、仙厳園や尚古集成館はその一部です。

仙厳園は島津家の別邸で、尚古集成館(休館中)は島津家の歴史や文化を紹介する博物館で、本館は現存する最古の石造様式機械工場「旧集成館機械工場」です。

中には反射炉で作られた砲台などが展示されているそうです。

世界遺産のマーク

まずオリエンテーションセンターをざっくり見学。

 

出るとすぐに反射炉跡があります。

反射炉

切り石のまっすぐな線が好き。

反射炉といえば、韮山にも行きました。

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

園内には、薩摩焼の窯跡や

「石垣と薩摩焼の窯跡」

水力発電用ダム跡もあります

ダムの跡(今はこの後ろには池などはない)

島津家の家紋のある石塀

桜島眺望ポイントにあるなどの丸十字。なんだろうと近付く。

「島津家水天渕発電所記念碑」でした。

明治40年、金山採掘のために建てられた水天渕発電所の一部で、九州電力に譲渡されたが、昭和58年に取り壊される前に、壁の一部を譲り受けたそうです。

 

御殿も見学

島津家別邸の御殿も見学しました。

御殿(ソテツが南国ぽい)

薩摩焼蓋付壺

ロシア皇帝ニコライ2世が即位した際に、島津家が贈ったものの複製品。

薩摩焼は欧米人好みの派手な造りです。

中庭

八角形は風水的に良いとかで、中国の影響を受けていると聞く。

この中庭に面した縁側にはベンチがいくつかあったけど、たいていイチャイチャしているのは外国人カップル。なぜ公共の場で・・・

 

前半はサクサク見ていたのだけど、途中から天井が高くなり、畳のふちも豪華になりました。

そばにいたガイドさんが「ここからはお殿様のスペースだから」と。

お殿様のスペースはさすがです。

 

謁見の間(明治17年に改築)

しまった・・・シャンデリアを撮り忘れ。丸十字紋がシャンデリアに施されていました。

それにしても、畳にテーブルと椅子を置いてしまう発想がすごい。

この謁見の間の外には、縁側があり、庭苑や桜島を見ることができるのですが

こんな感じ

この日は雨や霧ではなかったけど、桜島の全貌は見えず。

御居間

晴れていたら桜島がよく見えるお部屋。

鷹の屏風はいいとしても、机に丸十字紋が散らし過ぎ。

過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉を実感しました。

御殿の庭を散策。

外から見ると御居間は広く感じます

藤が咲いたらきれい

後ろの山の中腹になにやらある。

千尋

千尋巌」は「とても大きな岩」という意味で、この文字を刻むために、杉や竹で足場を組み、延べ3900人が動員され3ケ月もかけたそうです。

27代島津斎興が文化11(1814)年に作らせました。

3文字で11mの大きさがあり、胡粉で塗られています。景勝地の岩に文字を刻むのは中国ではよくあり、その影響を受けていると説明書きにありました。

昔、大工の父が足場から落ちて骨折したことがあるので、
殿様の道楽で危険な作業を・・・と、つい批判的な目で見てしまう。

 

薩摩切子

園内に、仙厳園ブランドショップというのがあります。

切子や薩摩焼屋久杉を使った木彫作品などが売っています。

他のお店では、普通のお土産も売っていますが、日ごろ物欲のない私にとって、買いもしない切子のお店に入るのはなかなか敷居が高い。

お姉さま方に、ついて回って見学しました。

薩摩切子ごしの桜島

仙厳園の見学を終えた後、隣にある薩摩切子の工場で、切子のペンダントヘッドをお買い上げしていた。

お姉さま方は「大人になったらお着物の一つや二つは当たり前」の世代で、宝石やお着物などを持っていて、旅先ではひょいっと何かをお買い上げになるのでへぇーと思う。

「気に入ったから」というより、「何か買いたくて・・・これにしよう」という感覚だから。

私は着物も宝石も持ってないけど(前夫にもらった小さなダイヤくらい)、これでもアパート一棟と家一戸持ってるんですよー。可哀そうじゃないからーーー(心の中で言う)。

園内は広くて、まるまる3時間くらいかけて見学しました。

尚古集成館の隣にあるスタバ

シティビューバスで、鹿児島中央駅に戻り夕食です。