西国巡礼も始めたけど、ひとり古代史愛好会の活動も再開。
山の上に巨大な前方後円墳があると聞いて見てみたかったのです。
森将軍塚古墳は4世紀築造で「森地籍」にある「偉い人のお墓」と言う意味で古くから「森の将軍塚」と呼ばれてきたそうです。
こんな山の上にこれだけの規模の古墳を作れるって科野(古代史では信濃ではなく科野が一般的)のクニを治めていた王ってすごい力を持っていたんだなあと。
長野駅からしなの鉄道で17分。屋代高校前駅で下車して徒歩20分。
バスはありません。
科野の里歴史公園に森将軍塚古墳館があり、古墳はその後ろの山の中腹にあります。
歩いている途中から見えてきてテンション上がります。
古墳まで急な坂道を20分登るのですが、古墳館からバス5分も出ています。
皆様歩いていますが、私は駅まで往復40分以上歩くのでここは体力温存したくてバスに乗りました。
バスは古墳館の入り口の横から随時出発です。
(私の時は、私一人でマイクロバスは出発しました)
バスから降りると見えて来るのですが、テンションがより上がります。
20分後に迎えに来ると運転手さんは言ってマイクロバスは降りて行きます。
ちなみに登りと下りのバス停は場所が違うので注意です。
古墳は復元されていて、石が葺いてあって円筒埴輪が飾ってあります。
パンフレットでは上から見下ろせるのですが、実際はやや斜め上からくらいから見ている感じです。おそらくドローン撮影?
もっと上から見られるかとバス降り場から若干登ってみたのですが、木があって見づらくなりました。
全長約100mの前方後円墳は普通の前方後円墳とは違い、後円部分が少し歪んでいます。
資料にはありますが実際に見た時はよくわかりません。
どうしてこんな形に?ヤマト王権から設計図もらえなかったのかな。
地形的な理由かな。
長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mという日本最大級の竪穴式石室を持っていました。
前方部分は綺麗な長方形で玉砂利が敷いてあります。
後円部分からは善光寺平が見下ろせてすごく見晴らしが良くて感動します。
パネルを見ると科野のクニの王は山に古墳を作るみたいで、他にも山に古墳があることがわかります。
山城ならぬ山古墳の攻略は難しそうなので他の古墳は未攻略。
古墳を満喫して、バスの運転手さんが迎えに来てくれました。
帰りも一人だったので、興奮したまま運転手さんに「すごいですね、こんな山の中に」と言ってしまう。
運転手さんもご機嫌で何年か前にNHKの古墳番組で取り上げてから他県からも見学する人が増えたんですよー、という。「でももっと宣伝して多くの人に見てもらいたい」と。私が千葉から来たというと驚いていました。
私はTVでなくて古墳の本で見たのだったかな。
城下町の人がお城を見上げて暮らしていたように、科野のクニの人たちも王の墓を見上げて暮らしていたのかなと思う。
外国からの使者の目につくように海のそばに大規模な古墳を作った百舌鳥古墳群を連想し、山の上に作るというのもアリだなと思ったのでした。
麓にある古墳館で出土物と石室の再現を見る。石室にはベンガラが塗られていて赤かったそうです。
「時を超えて」という6分の映像資料は四季のイメージ映像で歴史的な内容はないです。
うーん。古墳だけでも良いかな?
古墳館を見学せず、バスを利用しない場合は古墳の見学だけなら屋外なので無料です。駐車場からみな歩いて見学してさらっと帰っています。
古墳館の見学を終えて、歴史公園内にある科野のムラも見る。
古代米の稲が実っていて色がついていました。
竪穴式住居が何棟か立っていてそばで炭でも作ろうとしているのか何かを燃やしていてすごく煙かったです。
非常に満足して駅まで20分かけて歩いて戻りました。
戻る前に古墳館の向かいにある物産館に行きましたが、時間が早くてレストランはまだ営業してなかったので古墳カレーは食べられれず。
杏推しが強かったので杏エードを飲みました。
甘くて栄養補給になりました。
長野といえば、武甕槌神が逃げてきたという神話あり。
こういう神話って何かの事件を暗示していると思うので、ヤマトVS出雲、科野の抗争とかあったのではないかなあ。