今回のGW旅行、当初は千葉からどこまで一日で行けるかわからず、
やむなく淡路島の民宿を取りました。
夕方早めに出たら夜中には京都について一眠りしてから、
翌日昼間は師匠(夫さん)と別行動でそれぞれの趣味を満喫してきました。
淡路島に行くのなら明石海峡大橋を通るということで、
それなら前から気になっていた五色塚古墳に行きたーい!!
師匠(夫さん)は大阪で鉱物ショーに行き、
私は明石観光の後で山陽霞ヶ丘駅から行ってきました。
五色塚古墳の見学は、
敷地内の事務所で名前とどこから来たか県名を記入するだけで無料です。
全長194mの三段築成、兵庫県で最大、二重の濠があり、今は葺石でおおわれています。
頂上部には、鰭付円筒埴輪の復元が並べられています。
第二次大戦中に古墳に生えている松を船材としたり、戦後は畑として開墾されてしまっていたのを、
昭和30年代後半に文化庁が計画し、昭和40年から10年かけて発掘調査と復元工事を行って国の史跡となっています。
出土品は重文も含めて、神戸市埋蔵文化財センターで見ることができるそうです。
前方後円墳ですが、方部分は円部分に比べてずいぶんと高さが低いです。
明石海峡大橋と合わせて撮るととっても写真映えしますね。
今は、古墳から海まで埋め立てが進んでいますが、
築かれた4世紀後半は古墳は海に突き出るようにつくられていたようで、
この明石海峡とその周辺を見下ろしていました。
同時代の古墳でいうなら奈良県北部の佐紀古墳群に比肩する大きさというので、
勢力が強かったと思われます。
葬られた人は、その周辺を支配した豪族だと考えられています。
日本書紀では、新羅征討からホムタワケ命(のちの応神天皇)を連れて戻った神功皇后を迎え撃つために、
淡路島から石を持ち込んで陣地を作ったという記事があります。
陵と呼べる規模の古墳は五色塚古墳だけなので、「明石の山陵」に比定されています。(ウイキより)
史跡でもらったリーフレットでは、
「他の古墳と同様に、すべて丁寧に造られていることや、人が葬られる石室の石材が出土していることから、偽物とは考えられません」とあります。
(明石海峡・淡路島周辺を支配した豪族の墓という説が書いてありました)
この日は、とても風が冷たくて、晴れているかと思うと突然通り雨が降ったりと散々な天気だったのですが、
ここに葬られていた人はどんな人だったんだろう?とか、
吉備や大和との関係は?とかあれこれ妄想していて楽しかったです。
でも、不思議なのが、ネットで見るとこの五色塚古墳ってパワースポットらしいです。
「地球と宇宙のパワーを授かるとかで、子宝・健康・運気向上などご利益」があるようです。
え?4世紀後半の豪族のお墓でしょ?
鰯の頭も信心からっていうからねー(笑)
風水的にいい場所だからいい気があるのかも、と思いつつも笑ってしまいます。
個人的には、このあたりの六甲山、舞子、塩屋などの地名を見ると学生の頃にドハマりした大江千里君の曲を思い出してました。
大江千里君、羽生善治さん、師匠(夫さん)と私のメガネ男子好きは筋金入りだわー。
さて、師匠と垂水駅で合流して淡路島入り。
民宿のそばに伊弉諾神宮があったので、ここもぜひ行きたーい!
国生み神話では、イザナギ命とイザナミ命は天沼矛で大海原をかき回して、
おのごろ島ができ、そこに降り立って、
淡路島、四国、隠岐、大八島の島々を作って国が生まれたとなっています。
おりしも、改元直前、日本の成り立ちにかかわる神社にこれてよかったです。
私は皇室大好きで、神話も好きですが、好きと神話を信じているは別の話。
イザナギ命は神としての使命を終えて、幽宮を淡路島に構えて余生を送った(なくなられた?)そうです。
伊弉諾神宮は、イザナギの住居跡に御陵が営まれ、聖地として最古の神社が創始されたのが起源とされています。
イザナギ命・イザナミ命の御霊が宿るとされ夫婦円満の木とされているので夫婦でお参り。
今回の旅行は、登山がメインだけど、城や古墳、神社も満喫して楽しかったです。
ほぼ毎日階段ばかり登っていたけど。