2019年のGWの旅行の話です。
岡山での観光を終えて、この日は大山町まで移動の日。
移動しながら、私の好みに合わせて観光していました。
まず、吉備津神社。
昔、吉備の国に温羅(うら)という人物が悪逆非道のふるまいをして困らせていたそうです。
そこで、朝廷が五十狭芹彦命(いさせりびこのみこと)を派遣して、死闘の末に命が勝利し、温羅が名乗っていた吉備冠者を命に返上して、それ以降は吉備津彦命と呼ばれるようになりました。その吉備津彦命が祀られているのが吉備津神社です。
吉備津彦命は桃太郎のモデルともいわれています。
ここに「犬養毅」の名前を見つけました。
帰宅後調べたら、犬養家は江戸時代庄屋で、犬養毅は吉備津神社に崇敬が強く尽力したとか。遠い祖先の犬飼造は五十狭芹彦命に従って温羅退治に参加していたとか、色々ゆかりがあるようです。
列のむこうに金色のしめ縄と「平賊安民」の額が見えます。
この日は、令和初日のためかお参りに来る人がたくさんで、階段の途中まで列が続いています。
やっと本殿が見えました。私たちは手前でお参りをします。
本殿は国宝。この日は御朱印を求める人が長蛇の列。「一時間待ち」と聞いて驚く人々。
ガイドブックで見たすごく長い回廊。たまたま人がいないシャッターチャンス♪
おみくじをひいたらなんと「大吉」!令和いいことありそう。嬉しいーー♪(^∇^)ノ
この温羅伝説というか桃太郎伝説も諸説あるらしいですね。
温羅は百済の王子説もあり、製鉄の技術を伝えて吉備で平和に暮らしていたのに、大和朝廷から四道将軍が任命されて成敗されるというのは、たんに吉備の豪族に大和朝廷が勝利したからのような・・・
でも、これもうさんくさい。
・四道将軍を派遣した孝霊天皇は欠史八代の天皇で実在が疑わしい、したがって吉備津彦命の存在も?
・吉備の製鉄は古墳時代後期に盛ん(6世紀後半)
・温羅の城と言われる鬼の城は、実は白村江の戦いで敗れた天智天皇が作らせた(7世紀後半)
などなど、どれもが時代的にあいません。(←私の勉強不足かもしれませんが)
桃太郎伝説を、偶然吉備にあてはめただけなのでは??
そして、この後高速に乗る前に気になっていたもう一つの古墳
造山古墳に登ってきました。
のどかな風景の中にある小山。
仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵に続く4番目の規模、登れる古墳の中では最大です。
6つの陪塚をもち、全長350m、後円部と前方部の高さが同じ、古墳時代中期5世紀の築盛だと考えられています。
上が平坦なのは、毛利攻めのときに毛利方が陣地にしたとか。
石棺は前方部から見つかったそうです。西側に作りだしも残っているそうですが、頂上からはよくわからず。
上に登っても広くて木が生えているのでたんなる丘に登ったようにしか思えません。
でも、この規模、5世紀に吉備にこれだけの古墳を作る力をもった人物がいたということですよね。
出雲や越、吉備、九州、毛野、旅行してから、よく知らないことに気が付きました。
学生時代は試験に出る通史しかやってこなかったので。
これからもっと勉強しないといけないなーと思います。