しゃおれんの旅日記

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恵那山登山の後のごほうび――岩村城と馬籠観光

恵那山登山が予定より早く終わり、宿のチェックインまで時間があまったので、
観光することにしました。
 
せっかく恵那山まで来たのだから、岩村城に行って見たーい!
天守閣は残っていないけれど、
大和高取城備中松山城と並ぶ三大山城とされる名城で日本百名城に選定されています。
 
しかし、恵那山の広河原登山口に近い園原ICからは岩村城跡まで高速使っても1時間半もかかりました。

恵那山をぐるりと反対側に周るような感じ。 私は運転ができないので、登山で疲れている師匠に申し訳ない気持ちが少々。

私が運転できれば、岩村の城下町を見たり、今の朝ドラの舞台の恵那市の観光もできたんだけど・・・ 今回は岩村城だけに集中!

城址公園のふもとに「車の行き違いができないから、車は歴史資料館に停めて徒歩25分かけて登るように」という主旨の看板があったけど、
降りてくる車があったので、我が家は車で500m強を登ってしまいました。

出丸の駐車場には15台くらい車があって、みんなで登れば怖くないのかな。

行きも帰りも運よく他の車と行き遭わなくて良かったです。 本丸跡に行きます。

 
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なかなか迫力ある石垣です。

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苔むしていたり、草が生えていたりして、石垣が傷んでしまいそうで心配。でも趣きありありですよねぇ♪
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登山服のままで来たけれど、師匠に「そういう服装の郷土史研究家っていそう」と言われる。
 
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打ち込みハギなのかな。表面がそろっていて美しい。
 
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天守閣はないので、記念撮影は史跡の看板と。
櫓や井戸もあるのですが、登山の疲れがじわじわと来ていたので、
この立派な石垣を見れたので満足して帰ることにしました。
 
 
この岩村城は女城主の城ともいわれています。信長の叔母が夫亡き後息子を育てながら領地を守っていたものの、武田軍の秋山虎繁に攻められた時に、虎繁と結婚することで領民を守ったそうです。しかし、その後、今度は織田軍に攻められ、武田と婚姻を結んだ叔母を許さなかった信長に殺されてしまったそうです。
初めに援軍を送っていればよかったのに、勝手な奴だーと説明を読みながら信長に怒り。 
そして、次に馬籠宿へ。
 
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雰囲気のある宿場町。ゆっくり観光できてうれしい。
最近の京都や奈良は激混みでうんざりするけど、適度な観光客の量っていいですよね。
淋しいとお店にも入りづらいけど、ほどほどににぎわっているのが良いですね。
観光客の4割くらいは外国人かなぁ。お店で見ていたら、英語メニューも常備してありました。
 
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朝ドラで話題の五平餅。看板を見つけて注文したけど、こちらのお店はお団子風。
一皿3本300円でした。師匠と美味しく分ける。小判型ではなくお団子型のほうが食べやすいかも。
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島崎藤村の旧宅跡が資料館になっていました。
 
島崎藤村は「初恋」や「千曲川旅情の歌」が有名ですよね。
「破戒」は学生の時に読んで、世間知らずだった素直な私はショックを受けました。
 
というか、教科書に載っていた「初恋」のイメージと藤村の人生のギャップが大きすぎて、
ちょっと潔癖な私にはついていけず、他の作品は読んでいません。人格と作品は別とおもえばいいのだけど、
近代文学作品って自伝的小説が多いから「こんなこと書かれたら相手は嫌じゃないの?」と思ってしまう。
 
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馬籠宿から見える恵那山。雄大な山容に惚れ惚れ。
 
この後、昼神温泉まで向かったのですが、途中旧中山道が途切れ途切れに見えていい雰囲気でした。
頑丈な白人観光客が歩いていたけど、もしかしたら中山道を歩いているのかも。
 
登山の趣味が出来てから、「この山を登ったからこそ、ここにも来た」というようなことが多くてとてもうれしい。
岩村城も馬籠宿も気にはなっていたけど、車が運転できない私は多分一人では来ない。
それが今回は恵那山を登ったからこそ来れたので、登山もいいものだなー。