しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

城めぐり旅 その5 備中松山城

 
 
今回は、前日に行き先を決めたので、
スタートの松山空港とゴールの高松空港とホテル以外は行きあたりばったりに近いモノがありました。
 
今治城も途中で気が付いて感動したし、
この日の備中松山城も前日に行くことを決めたけど良かったーーー!
 

備中松山城は車でも行くのが大変

 
朝、倉敷を出るときにはすでに雨。
そんな中高梁川に沿って北上し、高梁市を目指します。
ナビが案内してくれた道は、武家屋敷や高梁基督教会堂などの前も通りました。
車窓観光もさせてくれるほど優秀だったのね、さすがレンタカーのナビ。
 
登山口から徒歩でも登れるそうですが、普通に登山になるらしいので、
一般の観光客は8合目の駐車場に止めてそこから徒歩か、
5合目からシャトルバスに乗り、8合目まで登りそこからやはり徒歩になるようです。
(平日はシャトルバスは無く、車ではない方は駅から8合目までタクシーになるそうです)
 
8合目の駐車場に上がる道も細くて車がすれ違えないほどなので、
駐車場と下の入口のところに警備員の方がいて無線で連絡を取りあい車を通してくれました。
それなのに、駐車料金取らないって、すごく観光客に優しすぎです。
 

*いざ登城

 
車を停めていざ登城です。
イメージ 1
 
700mとあるけど、甘く見てはいけないのです。
 
イメージ 2
城主からもこんな心得が出されるほどです。この日は小雨ということもあり、
石段も滑りそうだし、落ち葉の路も危ないのでうかうか写真を撮ってる場合ではなく山道の写真は無いです。
 
高梁の街を見下ろそうにも霧で見えません。
 
かれこれ20分ほど(リーフレットにはそう書いてありますが、計ってないので分かりません。
元ランナーなのでもう少し早く着いたかも?)で石垣が見えてきました。
 
イメージ 3
ここまで来たらもう一息。天守閣が見えてきました
 
イメージ 4
 
イメージ 5
こちらが天守閣です。現存12天守、また一つクリアー♪
 
この松山城は、起源は鎌倉時代までさかのぼるそうです。
「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰のうち、
北の大松山に砦が築かれたのが始まりですが、
現在備中松山城として知られているのは、小松山に天守がある近世城郭を示します。
これは、現存する城の中では最も標高が高いところにあるそうです。
 
お城のスタンプにもそう書いてあります。
イメージ 6
下の赤いのが日本100名城のスタンプですが失敗しました。
 
イメージ 7

リーフレットによれば、条件があえばこんな素敵な景色も見えるそう。
イメージ 8

天空のお城ですね。高梁市の観光情報のサイトで見たら、こんな写真が撮れる展望台と気候条件が載っていました。秋から早春の明け方から朝だそうです。寒そうです。
 
 
戦国時代の備中は、尼子氏と大内氏、その他土豪などの勢力争いに明け暮れ、
後期になると毛利氏が台頭してきます。
備中兵乱の時に、毛利氏を迎え撃った城主三村元親の頃には、松山城は要塞のようだったとか。
三村氏がほろんだ後は、毛利氏の当方進出の拠点になり、
その後小堀遠州親子を始め、城主も変遷があり明治を迎え、
廃城令が出されるも山中のため放置されたため今に至るといったことが掲示に書かれていました。
いつもながら、ざっくりですみません。
備中兵乱については、天守閣の中で30分のDVDが常時放映中なので興味のある方はぜひ。
 
イメージ 9
天守閣から街を見下ろそうにも雨のため煙って見えません。
師匠と、「これでは敵が来ても気が付けないんじゃ・・・」と心配する。
 
天守閣を下りてぐるり周る。
イメージ 10
 
石垣から木が生えてますけど大丈夫でしょうか?ベンメリアみたい。
 
 
この奥には、相畑城跡、大内山城跡、戦いの後で刀などを洗ったため血の池などとも呼ばれていた大池や、切通と続きますが、天候が悪く時間も無いのでここで撤退。
 
こちらのお城はトリップアドバイザー「行って良かった日本の城2015」で第5位です。
それにしては、もっと混んでいてもいいのに。
やっぱりあの山路が登城者を阻んでいるのかも。
 
 
最後に城主からの言葉に癒されます
イメージ 11
 

 

イメージ 12
一瞬霧が晴れて高梁の街が見えました。

備中松山城も素敵でしたー。