しゃおれんの旅日記

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城めぐり旅 その6 備中高松城跡

最終日、備中松山城の後、瀬戸大橋を通って丸亀城に行く前に、
備中高松城跡に寄れるかも、と師匠が言ってくれました。
ありがたく寄らせていただきます。

備中高松城は、秀吉の中国攻めの時に水攻めをしたところです。
信長の訃報を知り京都へ急ぎ帰るために本能寺の変が起きたことを隠して
和議を結べたことも日本史の重大な転換点になったのではないでしょうか。
城主の清水宗治氏が自分の命と引き換えに城兵、領民を救ったことなどもあって、
時代劇ではたいてい名君として描かれていますね。
でも、上に立つものはこうでなくっちゃ。
最後の一兵まで戦えなんて言い残して大将が先に自決とかだめでしょ。

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雨の中のドライブに、巨大な鳥居を発見!本当に大きいです。下を通る車と比較してください。
こちらの鳥居は、日本三大稲荷の一つ最上稲荷さまだそうです。
(時間が無いのと、先日伏見稲荷にお参りしたばかりなので割愛)

そうして着いたのが、備中高松城跡公園。
今は、本丸跡に城主清水宗治首塚や辞世の句碑があり、
二の丸跡に資料館がある程度で、周りは蓮池となっています。

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これは、現存する蛙ケ鼻築堤高(8.4m)に対して、本丸の高さが7mだったことの表示です。
資料館で見ましたが、この地域はもともと湿地帯というか地盤が低いため、
今も数年に一度は洪水被害にあっているようです。
資料館のその写真に、つい先日報道で常総市の水害被害を知った私は
行政はこれを放置しているの?!と他県民ながら陳情しに行こうかと思うほど。


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清水宗治の辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」

このお隣に首塚もあるのですが、宗治に敬意はあるもののコワイのであまり見ずに帰ります。
資料館の方によると、それまで特に切腹の作法は無かったそうなのですが、
清水宗治切腹の方法がその後広まったとおっしゃっていました。


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ちょっとびっくり「水攻め音頭」の看板。どんな振り付けなのかしら。
やはり、こちらは清水宗治リスペクトですね。

残念ながら今は何も残っていないので、地形から往時を偲ぶことしかできませんが
ここで歴史の流れが変わったといっても過言ではない事件が起きていたと思うと感慨深いものがあります。


帰宅後、備中高松城について調べていたら、近くに7世紀の鬼ノ城があることを知る。
古代の土塁などが残っていて、復元された古代式の山城もあるそうで、日本100名城になっています。
この城に鬼がいて近隣の住民が被害にあっていたので、朝廷から吉備津彦が派遣されて退治したという桃太郎伝説のような伝説も残っているそうです。
しまったーーー!7世紀の日本って、元々私のどストライクゾーンだったのに、準備不足って哀しい。

さらに、帰宅後友人から「のぼうの城」という小説に「備中高松城」が出てくると聞いて読んでみました。
映画化もされたほどのエンターテイメント性の高い時代小説で、楽しく一気に読みました。