激込みの久住山から下山して向かったのは岡城。
前の職場で城好きのお姉さまが「石垣好きで、大分に行くなら岡城には行ったほうがいいよー!最強の城にも選ばれてたよ」と言っていたので行程に盛り込む。
師匠(夫さん)に「岡城って誰のお城?」と聞かれても「荒城の月のお城」というざっくりした答えしかできませんでしたが、二人して感動しました!
来るものを拒むかのような石垣がそびえています。
この時、小さい羽虫がたくさん飛んでいて、目や口に飛び込んできてちょっと大変でした。風がないから飛んでいかないのか、手で追い払いながらの見学。
「もー、何この虫」なんて文句言いながらでしたが、登って行くうちに虫のことは気にならなくなりました。それぐらい圧倒されるお城でした。
岡城は、山の上にあって、本丸、二の丸、三の丸、西の丸など曲輪があり、主な門には門番がいて、出入りは厳しく制限されていて管理体制が整っていたようです。
今は石垣しか残っていないのにこれだけ堅牢なので、これで建物が揃っていたとしたら、下から攻めようなんて気持ちにはとてもなれない感じ。
(これこそ、究極の防御ですよね。敵の戦意を喪失させるなんて)
ざっくり岡城の歴史をメモ
岡城は、文治元年(1185年)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が義経を迎えるために築城したと伝えられます。
天正14年(1586年)には島津の大軍から志賀親次が守るも、豊後国主大友氏が領地を没収されると志賀氏も岡城から去ることになります。
文禄3年(1594年)から中川氏の居城となり、現在残されている城郭は中川氏築城のものです。
明治の廃藩置県で中川氏は東京へ移住、建物は大分県による入札払い下げで全部取り壊されました。
滝廉太郎は、父親の転勤で竹田で少年時代を過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ記憶から明治34年(1901年)に「荒城の月」を作曲、発表しました。
なんだか雰囲気良くて写真を撮りまくったので、もう何がなんだか・・・
近戸門跡から七曲りを通って帰ることにしました。他の人はあまり通らないようです。
師匠(夫さん)も「すごいお城だった!天守閣がない城の中では一番だ!」と大満足。
「これなら『最強の城』に選ばれるのも当然だよね」と二人して話ながら帰る。
人がいないので「荒城の月」を歌ったりして。
今でこそ整備されていますが、もしここが荒れていたらこの規模だけにかなり怖いかも。
久住山をあっさり登ってこれたので、岡城を余すところなく堪能して、これから城下町竹田へ向かいます!本当に充実した良い旅だわー。