しゃおれんの旅日記

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城めぐり旅 その2 松山城

松山市にやってきました。
 
 
市内に入ったら、人も車もビルも多いし、
なんだか千葉に帰ってきたみたい。
むしろ、千葉より都会かも。
 
この日のホテルは、東急REIホテル。
松山城のある勝山のふもと、繁華街にも近く、お隣は「坂の上の雲ミュージアム
部屋からは夜ライトアップされた萬翠荘という洋館も見えて立地は完璧。
お部屋もきれいで安心でしたー。
 

*お城はロープウェイでなくても登れます

 
荷物を置いてさっそく観光開始。
ロープウエーを使えば丘の途中まで上がれるのに(往復510円)、
あえて自分の足で上りたい私たちは県庁裏登城口から登りました。
見事に誰もいない、と思ったら若者が一人。
彼はこの道が不安だったみたいで、あれこれ話しながら登る。
20分くらいだったかな、小汗かきました。
それにしても、見事に誰も通らない。
と、思ったらロープウエーの終点長者が平には観光客がたくさん。
みんなロープウエーを使うのね。
 

天守閣は立派です。ゆるきゃらはよしあきくん

 
城の説明の掲示などをいちいち読みたい私たちは若者とここで分かれ見学開始。
 
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整った石が最後にすっと立ち上がる感じがとっても好み。
師匠もだんだん慣れてきたのか「こういうのがいいんでしょ」と写真を撮ってくれるように。
松山城は本丸が広く、二の丸から見上げると石垣が屏風のように折れながら天守まで見えるのがとっても素敵。
 
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これです。この角度です。
 
 
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本丸広ーい。ガイドブックなどを見ると春は桜ごしに天守閣が見えてとっても素敵だそうです。
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いよいよ登城。
 
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一の門手前から天守を見る。この石垣は切り込みハギで魅せますねぇ。
 
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天守閣から街を見下ろす。やっぱり千葉より都会かも。
 
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上から南櫓の連なっているのをなめながら本丸を見る。
天守に鉄砲狭間とかあったけど、
まずここにたどり着くまでに倒されてるからいらないよねー。
っていうかここまで敵が来たらもう終わりだよ。
なんてことを、どの城の天守に登っても師匠としている気がします。
 
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松山城のゆるきゃらよしあきくん。初代藩主の加藤嘉明がモデル。特技は槍投げだそうです。
松山城の城主も前半けっこう変遷あります。
この加藤嘉明松山城の完成直前に会津に転封、蒲生氏郷の孫が入国したけど嗣子がいなくて断絶、
その後桑名から松平家が入国し、明治元年に松平姓を返上し久松姓になったと。
坂の上の雲」で久松の殿様が出てくるけれど、元は松平だったとは勉強不足でした。
 
松山城良かったです!トリップアドバイザー2014で行って良かった日本の城第二位だったそうです。
 
天守に登る途中で甲冑の無料体験があったので誰もいないのをいいことにちゃっかり着てみる。
 
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これがまた結構重い。
こういうのって、誰かが着ていると他の人もやりたいみたいで、あっと言う間に順番待ちになり
恥ずかしくもあり汗をかきかきの写真撮影になってしまいました。
師匠に急いで写真撮ってもらうように、紐も結んでいない。変なところから紐が出てるのはご容赦くだされ。
赤備えは戦国最強武田軍団、または真田か、くらいにポーズを決めたかったのに(笑)
 

天守を周った後は、黒門口登城口から降りてみる。
途中二の丸史跡庭園があり、「恋人の聖地」に市が認定したそうですが、
登城口から見る限り一組のカップルもいない!
この日は晴天で午後から暑くなったので、恋人たちも日陰のない日本庭園より冷房の効いたお店でショッピングなどをしていたのかもしれないですねー。
 

*「坂の上の雲ミュージアム

 
さて、麓に降りて「坂の上の雲ミュージアム」に。
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司馬遼太郎の小説は読んでいるほうだと思いますが、
坂の上の雲」は日露戦争が始まって戦術の描写が続きだしたところで挫折。
それが数年前にドラマ化して、最後まで見ることができました。
司馬遼太郎は「坂の上の雲」を映像化しないでと言っていたそうですが、
あのドラマは日頃「非戦と平和希求」を考えている私でも面白かったです。(いい加減ですね)
 
中に入るとぐるぐると長い廊下を登っていくような感じでその壁面にも展示物あり。
小説の背景をパネルなどで説明し、
登場人物の生い立ちや関連資料などを展示しているのですが、
手紙などは複製が多く、入場料400円はちょっとお高いかな。
建物が有名な建築家の作だからかしら。
新聞連載時の記事が全部ファイルされていたのは圧巻。
壁一面にもあり、これだけの連載はすごいなーと。
 
 
その後、お隣にあった久松家の別荘だった萬翠荘を外からちらりと見る。
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ここにあった漱石の愚陀仏庵は数年前の大雨で被災して今は無いそうです。
 

道後温泉

 
ここで、ざっくり松山市内観光終了。
お城巡りをメインにしたので、秋山兄弟生誕地跡や、子規記念博物館などは割愛。
ホテルの前から路面電車に乗って、道後温泉へ。
 
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駅舎がかわいい。
 
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駅前のからくり時計が6時になって、坊ちゃんの仲間たちが勢揃い。
松山は「坂の上の雲」推しで、道後は「坊ちゃん」なんですねー。
見ると、浴衣に籠を持った温泉に行くらしい風情の観光客も多い。
 
私たちも道後温泉行きました。
熱いお風呂が苦手な私もちょうどよく、ついつい長湯。
お湯がとっても気持ちよかったです。
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朝3時半起きだったので、この日は早く就寝ー。
 

*恩師の作品「丸山定夫像」

 
 
高校時代の友人から、彫刻家であり、私たちの担任だった高階城太郎先生の最後の作品があると聞き、
翌朝総合コミュニティセンターに行きました。
先生のサインも確認。教えくれた友人に感謝。
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松山出身の新劇俳優丸山定夫の胸像。
 
彼の俳優論が胸像の脇にありました。
「俳優である前に人間でなければならぬ
俳優である前に人間でなければならぬ
俳優である前に人間でなければならぬ
但し人間であるだけでは俳優になれぬ」
 
移動演劇桜隊で地方巡演中広島で被爆され、8月16日に亡くなったそうです。