日本古代史好きなら絶対行くべき百済の都、公州と扶余。
公州には武寧王の墓があり、前回行った時に展示館が工事中で見られなかったので行くことにしました。
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高速バスターミナルは綺麗で便利
時刻表はネットでも見られますが、決済に使えるカードは韓国国内のカードに限るので、日本では予約ができず、ソウルについて高速バスターミナルへ行き、すぐに予約しました。
高速バスターミナルはきれいで、食べ物屋さんも多いし便利ですよ。
☆高速バス案内 고속버스통합예매
時差は無いけど、日本より日の出が遅いソウル。
日の出の頃に出発だと、なぜかいつも頭の中でアニメ「母を訪ねて三千里」の「♪さあ、出発だ~今、日が登る~」の部分が流れてしまいます。
バスは満席。
この日はハングルの日の祝日の三連休明け。朝のソウル市内は渋滞が少々。
前回は1時間半ほどでついたのに、今回は2時間弱かかりました。
ずっと寝ていたのでわからなかったけど。
武寧王陵
公州のバスターミナルについて、武寧王陵行きのバスを探す。
バスターミナルの案内所が閉まっていたので、以前の記憶を頼りにバス停に行き、座っているおばさんたちに「何番のバスに乗ればいいですか」と聞くと、「私と一緒に乗りなさい」という。
125番のバスが武寧王陵のバス停に停まります。
親切なおばさんが「次で降りなさい」と教えてくれました。
バス停から入り口までがすごく遠い。
「熊津百済歴史館」というガイダンス施設を通って「王陵園」に行く。
前に来たときより、「日本書紀」もよく読んだし、河内飛鳥の昆支神社にも行ったし、思い入れが強くなっているので、一生懸命ハングルの説明を読む。
日本語パネルもあります。
武寧王は、昆支がヤマトに来る途中に、福岡の各羅島で生まれたので、シマという名前なんですよね。
百済風に隆(ユン)という名もある。
武寧王については、「帝王の娘守百香(スベクヒャン)」というドラマがとても良かった。東城王の息子と武寧王の息子と娘も出てきて、この辺は史実に合ってないと思うけど、せつねくて泣いちゃったりしましたよ。
守百香の音が継体天皇(武寧王と同時期のやまとの大王)の妃の手白香媛と同じなので、韓国の歴史ヲタクの間で当時、スベクヒャンは日本の大王の后になったのか説もでたらしい。
王陵園と武寧王陵展示館
前回見られなかった展示館。こちらは武寧王の陵の中を再現しているのです。
韓国人家族が無料ガイドさんと一緒にまわるときに、私にもガイドさんが声をかけてくれて、「日本人だけどハングルは少しだけわかる」と言ったら「おいで~」と言うので、頑張ってついていく。
武寧王の陵は内部に焼いた煉瓦で壁ができています。
しかも、棺が日本にしかない高野槙でできていたとか。
武寧王陵内部の写真を撮るのを忘れてしまった。
6号墳には四神が壁に描かれていました。
退色して朧気にしかわかりませんが。
四神と聞くと、キトラ古墳の壁画を連想します。でも、百済にはあまり壁画古墳はありません。高句麗の方が有名。
あ、また変な沼にハマりそう…
ガイドさんが苦手な数字や固有名詞(玄武、白虎、朱雀、青龍)等は日本語で言ってくれるので、なんとなくわかったような気がする。
そもそも、この陵については予習をたくさんしているので、資料を見ながら、あのことを言っているんだなあと予想しながら聞いていた。
あぁ、でも、もっとちゃんと聞き取りたい。
ガイドさんが言うには、昨日まで公州では百済祭というイベントが開かれていたそうです。知らなかったーー。
まあ、知っていたとしてもCNBLUEのライブの方が優先だったけど。
王陵の見学
武寧王陵が①です。
独立した円墳ではなくて一つの墳丘に武寧王陵と5号墳、6号墳があります。
1-5号墳は横穴式石室、6号墳④と武寧王陵①は石室ではなくレンガで作られています。(1-4号墳が②、5号墳が③です)
横穴式石室は日本でも見ますが、れんがというのは中国墓制の影響です。
でも、独立した古墳ではないし、濠もないんだなあ。
武寧王陵は盗掘にあっていなくて、出土品から被葬者が特定できましたが、他の古墳は盗掘のため副葬品がなく被葬者が特定できません。
そもそも他の陵も中は見られないけど。
天気はいいし、気分が上がります。
文周王、三斤王、東城王、武寧王、聖王という熊津時代の王様の位牌が納められています。聖王は「日本書紀」では聖明王とあり、日本に仏教を伝えた王様です。
東城王は諱を牟大というのですが、「日本書紀」に出てくる末多王という説もあります。漢城陥落後、雄略天皇が昆支の息子のうち聡明な末多王を、筑紫の兵をつけて百済に送り届け王としたという記述があります。
私は、昆支は日本に来たことがあり、息子の東城王、武寧王も日本にいたのではないかなと思っています。
そこで、継体天皇と知り合って仲良くなり、その後の百済と倭国の蜜月時代になったのではと推測しています。
国立公州博物館
前回行った時に副葬品に感動したので、今回も楽しみにしていました。
武寧王陵から歩くと20分以上かかる。
地図を見たら近道がありそうだったので行こうとして、たまたまいた道路工事の人に「この道は通れますか」と聞いたら、「博物館には行かないよ、表の大通りまで戻りなさい」と言われる。
頑張って着いたのに、膝から崩れ落ちそうになりましたよ。
本日休業の看板があったので。
ソウルの博物館は元日と秋夕以外は無休なので、大丈夫だと思ってきたら、こちらは月曜日が祝日の場合は火曜が休みみたいですね。
展示館のガイドさんかさっきの道路工事の人たち、教えてほしかったよー。
とぼとぼと市内へ戻る。
バスはおろか、タクシーも、人も車も全く通らない。
寂しいので、歌を歌いながら歩く。
友人に「危ない人と思われるから、歌いながら歩いちゃダメ」とか言われたけど、SF映画で私以外の人が世界から消えてしまったかくらい人がいないんだもの。
公山城
公山城が見える頃には人も出てきて、歌うのはやめましたよ。
やっと、公山城に着いた時はほっとしました。思えば前回もバスがなくて歩いたのでした。
475年、高句麗の攻撃により、文周王が漢城から熊津に都を移し、王城となったのがこの公山城です。
百済時代は土城で、朝鮮時代の仁祖・宣祖以降に石城に改築しました。現在は東側の735mをのぞいた全てが石城です。
公山城では、城壁を一周しようと思い立つ。
どうしてそんなことを思い立ったんだろう?一周2660mもあったのに。
急な階段や坂を上り下りしながら城の大きさを体感する。
展望台だと思って登る。帰国後、案内図を見たら「もともと北門である拱北楼の隣に」あり、移設して「雄心閣」と呼んでいたが、1946年に国を取り戻したことを記念して「光復楼」となったとのこと。
臨流閣は東城王が建てたとされる建物を復元したもの。
明国三将碑は、「丁酉再乱(慶長の役)のとき、倭の脅威から民衆を守り、善政を施した明の将軍を賛える」碑です。
こんなところで日本が悪く書かれていたことを見つけるとは。油断していました。
川には、昨日までの百済祭の名残の船やオブジェがある。
毎年あるらしいから、いつか来てみよう。
錦江楼のそばが工事中で登れず。(きつい坂だったので良かった)
平日は市内バスが少ない
公山城の観光を終えて、高速バスターミナルへ戻ることに。
バス停で待つ人バスを聞くと、その人も観光客だったみたいで知らないと言われる。
来たバスの運転手さんに聞くと、125番のバスと教えてもらえたけど、あと40分は来ない。
彼は歩くことにしたらしい。「할 수 있다(できる)!」と言っていた。
公山城からバスターミナルはそこそこ距離があった気がするので、私はタクシーにしました。
10分弱6800W(約750円)でした。韓国はタクシー安いから乗って正解でした。
本当は午後は扶余に行く予定だったけど、扶余の国立博物館も休みと思われるので、そのままソウルに戻りました。
プランBのロケ地巡りに変更。
帰りのチケットは、券売機で購入。30分後のバスに乗れてよかったです。
待ち時間にバスターミナルの食堂で食べたチーズトッポッキ6000W(約660円)
円安と韓国の物価が上がったことを実感する。前ならこれくらい400円くらいで食べられたような・・・(昔、トッポッキなんて5000Wしなかったし、1000W80円くらいのときに来ていたので)日本も物価があがったというけど、外国に比べたらまだマシかも。
もらった公州の観光案内図(日本語版)には、土日は市内観光バスや公山城の衛兵交代式が載っていました。
栗、ウナギとちゃんぽん、カルグクス(きしめん)、きな粉餅が名物とのこと。前回栗パンを食べたけど、次はもっと色々食べよう。
次は秋の百済祭のときの土日に来て、思う存分楽しもう。
次の楽しみがある半日旅行となりました。