しゃおれんの旅日記

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2023.10韓国旅行⑧ソウル石村古墳群と宣陵・靖陵

江南にある石村古墳群と世界遺産の王陵に行ってきました。

石村古墳群

漢城百済博物館に行ったときに、高句麗百済には積石塚が一つに繋がっている構造の「連接式積石塚」があることを知る。

葺石の方形古墳?

模型は、ぱっと見、低いピラミッドみたいに見えた。

説明書きには「連接式積石塚とは、方形の積石塚を互いに繋げて四方に拡張することで、大きい墓域として形成したものをいいます」とある。

「墓域の北側の境に位置する第一号積石塚が最初に作られ、次第に南へとひろがったことが、調査の結果わかりました」

博物館の説明書きを見てもイメージできない。

今回は珍しく江南のホテルに泊まっていたので、行ってみることにしました。

石村駅と石村古墳群駅の間にあるのですが、9号線は急行があり、急行が停まるのは石村駅なので石村からが便利だと思います。

古墳公園として整備されています

駅から5分ほどで見えてきます。

石村洞古墳群には、確認されただけでも300基ほどの墓が発見されていましたが、1970年代以降開発によりほとんど破壊されました。

 

2015年に、公園内の地面が陥没したため緊急調査した結果、1号墳と2号墳の間の地下から大型の連接積石塚が見つかり、多くの出土品が出ました。

3号墳:近肖古王の墓説もあり

3号墳は一辺が50Mもあるので、王族クラスではないかと言われています。

1980年代には上部構造が破壊されてしまい、3段目までしか残っていなかったのですが、高句麗の将軍塚が一辺30mで7段あったことから、3号墳は少なくとも5段以上はあったのではないかとされています。

でも、これって、連接してないような・・・モヤモヤが解消しない。

大きい積石塚ですよね?

百済にはこの頃漢字が伝わったとされ、近肖古王が実在する初代の王とも言われています。(歴史を古く見せるために本来「肖古王」だった王を「近肖古王」として、以前に「肖古王」がいたことにしたという説あり。同様に伝承か実在か不明な王が何代かいます)

近肖古王は、4世紀後半の百済王で、371年高句麗平壌に攻め込み、故国原王を戦死させ、倭国に七支刀を送るなどして、同盟を結ぼうとしています。日本書紀には「肖古王」として出てきます。

 

背景のタワマンとの対比がすごいですよね。

4号墳

4号墳の最下層の基壇は17m。方形三段の階段式積石塚だが、伝統的な高句麗式とは異なるので、百済式積石塚とも呼ばれています。

1984年の再調査で、本来土を馴らして築いた墳丘を、外側だけ積石塚に変更したことが分かりました。4-5世紀の墓と推定。

2号墳

2号墳は、石村洞古墳群整備計画により復元され、それ以前は石に覆われた小山のように思われていたそうです。

外観は積石塚で、内部は土が詰められた百済式積石塚で、最初から封土の上を石で覆ったとされます。

木槨簿と西側の墳墓の中から3世紀末のものと推定される高坏と壺が出土。

 

第1、第4,第7号墳の埋葬儀礼部からは、4世紀中期以降と思われる大量の土器や瓦、火葬された人骨が発見されました。

火葬と仏教の導入の関係など、研究されているようです。

ユネスコ世界遺産百済の歴史遺跡地区」には公州、扶余、益山の8つの遺跡だけが含まれていますが、ここソウルの百済遺跡も同じように重要とパンフレットにありました。

 

朝鮮王陵の分布

世界遺産になっている朝鮮時代の歴代王陵。

王と王妃の墓である陵は42基、世子・世子嬪・王の私親(どういう意味だろう?)の墓は園といい14基、その他の王族の墓は66基。

斎陵(太祖の正妃の陵)と厚陵(二代王定宗とその正妃の陵)は北朝鮮にあり、韓国国内にある陵が2009年に世界遺産に登録されています。

朝鮮王朝は儒教を元に、陵を厳格に管理し、42基の陵がほとんど損壊することなく今日まで保存され、祭礼は現在も行われています。

 

前に東九陵に行った時は、それほど王様に詳しくなかったけど、その後史劇を鬼のように見て、古代史だけでなく李氏朝鮮時代もそこそこわかるようになりました。(ドラマ見ながら、本やwikiを参考にしました)

王陵の施設(パンフレットより借用)

宣陵と靖陵

ユネスコマーク

総合案内図

宣陵駅からは徒歩7分、宣靖陵駅からは16分かかります。

郊外の王陵と比べると行きやすいです。

外国人は見学料1000W(約110円)かかります。今回の旅行で見学料を取られたのは初めて。

公園になっていて、ここでもお年寄りが散歩しています。

韓国人は無料。外国人でも子供とお年寄りは無料です。

宣陵は、第9代王成宗と、継妃の貞顕王后の同原異岡陵です。

紅箭門:神聖な地域の印となる門

参道は、紅箭門から丁子閣の道で、左側の高い方は神が通る道で「神道」、右側は王が通る道で「御道」といい、見学者は御道を通ります。

丁子閣は山陵祭礼の際に祭祀を行う建物。

 

まず、成宗大王陵を見て、その裏手の丘の上に妃の陵に行きました。

成宗大王陵

ドラマでよく見る、望柱石、文人石、武人石の像と馬・羊・虎などの像。

中央の盛り上がっているところが陵寝

墓のすぐそばまで上がれたので見ることができました。

下から見上げるだけではよくわからなかったので、満足満足。

王妃陵のほうが小高いところにある

こちらも近くまで行けました

成宗は最初の王妃が亡くなった後で、2番目の王妃が尹氏が燕山君を産むのですが廃されてしまい、3番目に貞顕王妃が王妃になります。

廃妃尹氏は、通説では嫉妬深い悪女のように言われているけど、
私のみた「王と私」(2007年)というドラマでは純粋で可哀想な人でした。

廃妃尹氏と成宗はうまく行っていたのに、対抗勢力に陥れられて、結局は残された子供(燕山君)も反正(クーデター)で倒されてしまう。

尹氏を秘かに慕う内官が、燕山君を必死に守るというストーリーでした。なかなか面白かったです。

靖陵

宣陵から丘を越えて、林のような道を雨の中進むと靖陵がありました。

こちらは、公園の外からなんとなく見えますよ。

陵寝の近くまでは上がれなかった

中宗の単陵で、紅箭門と丁子閣と陵が一直線上にあります。

中宗は、「チャングムの誓い」に出てくる王様です。

異母兄の燕山君が反正(クーデター)で倒されて王位に就きます。

最初の正室が燕山君の親戚だったので、王妃になれず廃されるんですよね。

(この辺りは「七日の王妃」で、パク・ミニョンちゃんが演じていて可哀想でした)

 

古代の古墳と、近代の王の陵の見学が同じ日にできました。

死者を弔う気持ちと先祖を敬う気持ちが篤いというのが分かりました。

ふと思ったが、ローマ皇帝の墓ってこれほどちゃんと残ってないかも。

カエサルの墓は残ってなくて神殿しかないし、アウグストゥス廟は廃墟だし。

始皇帝陵とか、インドには巨大な廟が残っているけど、東西の権力者の墓とか調べだすとキリがないから考えるのやめよう。