釜山には、秀吉の命じた朝鮮出兵(韓国では壬辰倭乱という)の時に日本軍が築いた倭城の跡がいくつかあります。
今回は市内にある行きやすいところだったのですが、どちらも公園になっていて、健康遊具がたくさんあってお年寄りの健康作りの場になっていました。
甑山倭城(甑山公園)
地下鉄1号線佐川駅からとにかく丘の上を目指して行きます。
初めに入った細い路地から、いやな予感。
倭乱や、植民地時代の反日運動の絵や写真が壁に描いてある。
鄭公壇は壬辰倭乱のときに戦死した鄭撥将軍と、共に戦い戦死した部下や民らを追慕して建立された祭壇です。
教会なども通過(教会はどうやら人道的支援をしていたようで、日本と対照的な描かれ方)。
住民用にエレベーターがあるくらいとにかく登り続けます。
下りでは靴の中で足が前にずれて、爪で靴下に穴があきそうなくらい急な坂道。
東京の下町に慣れた私からしたら、こんな坂の多いところ住みたくない。
駅から20分近く歩くと、ありました。
こういういい加減な人形、大好きです。
壁画のタイルも、ちゃんと考証してなさそうな感じが笑えます。
とにかく登って登って。
1592年に第一陣の小西行長、宗義智に攻められ落城後は、日本軍の司令部になりました。
途中に健康遊具がたくさんあって、お年寄りが励んでいます。
これだけ坂道や階段を登って、これらの器具を使ってたら、ジムに行かなくてもいいんじゃないかと思う。
やっと上まで登りきって、展望台から釜山の街を見下ろす。
当時はもっと海岸線が近かったので、そうなるとかなり海からこの城までは急だったのでは。
どうやって攻略したんだろう。あの坂を輜重隊が登るのはしんどいはず。
汗を拭きながら展望台で妄想する。
港のそばに、毛利照元が築いた子城台倭城があるはずですが、他の建物も多いのでよくわからず。
韓国のトイレの注意書き
途中で行った公園のトイレの注意書きが強烈だったので、思わず写真を撮ってしまった。
韓国のトイレは水圧が低い?のか、トイレに紙を流してはいけないところがたまにあります。
この公園もそのようでした。
「警告」には「トイレットペーパーを絶対に流すな」とか「使う分だけ取れ」とか「自分の家のように使え」とあって笑いました。
CCTVで監視するとあるけど、盗撮ではないの?
公衆トイレも清潔で怖くないですけどね。
子城台倭城
甑山倭城から佐川駅まで戻り、駅の向こうへ出てさらに20分くらい歩きます。
バスに乗るにも路線がわからないので、ひたすら歩く。
こちらは毛利輝元の城とネットで見ましたが、城壁が少し残っているだけでした。
こちらの公園も健康遊具が多く、お年寄りたちがトレーニングしていました。
朝鮮通信使歴史館
ここは、安心して見学できる場所。
日韓両国でいい関係の話って少ないけど、紹介ビデオなども安心して見られる。
朝鮮通信使は江戸時代に200年の間に12回訪日した使節で、両国の文化交流の役目を担っていました。
朝鮮国内では行きと帰りで道が違うのと、日本国内は対馬経由で大阪までは海路、東海道を通って江戸へ行き、日光まで行っていたことがわかります。
瀬戸内を通っていたとは知らなかった。
2017年10月ユネスコの世界記録遺産に認定されました。
ただ、あんまり資料が展示されていないので、おすすめ度は低いです。
資料を保管したり、研究したりする施設なのかな?
ここまでで本日のミッション1つめは終了。
次は地下鉄を乗り継いで、金海の古墳を見にいきます。