しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

車無し沖縄世界遺産巡り‐④路線バスで勝連城

車の運転ができないので、沖縄の世界遺産巡りも今帰仁城のようにバスツアーで行けないところは路線バスです。

 

勝連城は遠かった

勝連城跡前というバス停はあるのですが、那覇からちょうどいい時間がなく、私は県庁北口バス停から27番屋慶名バスターミナル行きに乗り、西原バス停で降りて8分ほど歩く行き方を選びました。

7:24に出発し80ヶ所のバス停を通り、当初の予定では9:14に到着なのですが、15分ほど遅れて着きました。

遠いから途中寝てしまっても大丈夫なくらい。

沖縄のバスナビサイトで現在地情報を調べることができるのですが、私は全停留所をスクショして見ていました。

5ページ以上続くスクショ

片道2時間乗ってても1260円て沖縄のバスは安いー(スクショは1410円になっていますが、屋慶名バスターミナルまで調べたため)。

 

丘の上にそびえる勝連城

西原バス停に着く直前に丘の上に聳え立つ勝連城の石垣が見えます。

バス停からもう自然と早足になってしまいます。

事前に読んでいた先達の方のブログでは、あまわりパークによって阿麻和利について学んでから見学すると書いてあったけど(お城とあまわりパークはチケット共通)

バス停から歩いて行ったら券売所があったので、あまわりパークに行くよりも城に行きたくなってしまい事前学習は後回しに。

勝連城 この日も天気は曇天

崖の上に聳え立つ勝連城はかっこいいーー。

勝連城は15世紀に勝連按司(地方の権力者、豪族)の阿麻和利が住んでいた城として有名です。

築造は2代按司の頃14世紀初頭(一説には12、13世紀とも。ウィキによる)、9代按司に子供がいなかったため人望の厚かった「肝高の(心豊か、気高いの意味)阿麻和利」を迎え、貿易などで勝連は繁栄したそうです。

それでいながら、中山王の命を受けて来た護佐丸を討ったので逆臣ともされています。

私は判官贔屓なので、どうしても阿麻和利に感情移入してしまいます。

勝連城のサイト

AR?

 

フリーWi-Fiで勝連城のサイトに繋ぐと上空からの眺めやスポットごとの説明などが聞けて面白いです。

駐車場から近くまでカートでいけます。わくわくしながら登城します。

 

三の曲輪

三の曲輪へ

揃えられた石が積んであって好みの石垣

トゥヌクトゥ(神人たちの腰掛)

二の曲輪基壇

 

二の曲輪

舎殿跡の礎石

ウミチムン(火の神)

ウシヌシガマ

こちらのガマは一の曲輪の御嶽と繋がっているという伝説があり、首里王軍が攻めてきたときに阿麻和利が逃げたとか。

いよいよ一の曲輪へ

一の曲輪

攻めにくいように石段が上段に行くほど幅が狭くなっています。

こちらが一の曲輪の御嶽

先ほどのガマに繋がっているそうです。

御嶽の聖なる石に登らないようにという看板あり。

阿麻和利の歌が載っていました

勝連城からは太平洋が見えます

記念撮影

説明板を読みながら写真を撮りまくり、石垣を堪能しました。

丘の上にあるので一の郭まで行くと太平洋が一望できて絶景です。

城内のカー(泉)

降りてきて城の周囲を散策。

好みの石垣

ウタミシガー

「ウタミシ」はお試し、「カー(ガー)」は泉を意味する沖縄の言葉。水の量によって一年の豊作・凶作を占っていたそうです。

ミートゥガー

男女の逢瀬の場でもあったという伝説から「縁結びのカー(泉)」と伝えられます。一方で、ここで結ばれた男女が分かれるとどちらかに不幸が起きると信じられていたとか。泉は命の源や聖域であることから、困難があっても添い遂げよという教えなのかもしれません。

との説明書きあり。

マチダ・ナケージガー

御嶽(聖地)の中でも、王府編纂の地誌「琉球国由来記」に記載されている「マチダの御嶽」「ナケージの御嶽」に縁起をもつ特別な場所。

王国時代より神々と繋がる泉として少なくとも300年以上の歴史を持った祈りの場であると考えられています。

中城城へのバス

勝連城跡前から北中城村役場まで52番与勝線で行けるのですが、当初11:26発で行く予定でした。

しかし、城の見学を終えてあまわりパークに行こうかと思ったら、10:26のバスがあることに気づく。見学を割愛すれば2分後のバスに乗れるとわかり予定変更。

阿麻和利さん、ごめんなさいーー。

約5分ほど遅れてバスが来て、約40分くらいかけて北中城村役場につきました。

このバスに乗れたのはとてもラッキー。なぜかというと、村役場からぐすくめぐりんというコミュニティバスに乗れて、2.2kmの距離を10分で行けるのでとても便利。

中城城の登城記はこの後で!