首里城からもう一つの世界遺産識名園までは歩くと40分くらいです。首里城の観光案内所の人に聞いたらすごく驚かれたのであまり歩く人はいないのかも。
日本の道百選 真珠道
首里城近くは石垣のきれいな真珠道というのを見たので行くことにしました。
ただ、識名園までは初めはすごく急な下りで、後半はすごく急な登りです。
真珠道から少し外れるのですが、すごく大きいアカギの木があります。
アカギは琉球列島、熱帯アジア、ポリネシア、オーストラリアなどに分布するトウダイグサ科の樹木。第二次大戦前までは首里城内にもこのような大木があったそうですが、戦争でほとんど消失したと書いてありました。
金城村の共同井戸。二つの懸け樋で地下水を導き出しています。
坂を下りて信号を渡ると今度は急な登坂
『識名平は、金城橋から識名に至る坂のことで、呼称は方音の「シチナノヒラ」が転訛して「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加え「シチナンダビラ」ともいう。かつては松並木の続く石畳の坂道で、王家の別邸「識名園」に通じ、また首里から島尻に至る幹線道路の一部でもあった』
ハンタガーとは、ハンタ(端)にある井泉を意味したとされ、「繁多川」の字があてられ地名となりました。この通り沿いにはこういったカー(井戸)が多いです。
とりあえず、文化財の看板を見ると写真を撮りました。
かわいくておいしいパン屋「いまいパン」
識名霊園(沖縄の墓地はお墓が大きくて整然と並んでいる)を越えて、もうすぐ識名園というところでかわいいパン屋さんを発見。
どれも美味しそうで、翌日の朝食と帰りの飛行機で食べる分などを買い込む。
「かわいいので写真撮っていいですか」と聞いたら快諾してくれました。
識名園
琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。
第二次大戦で甚大な被害を受け修復されています。
御殿は赤瓦屋根の木造建築で、往時の上流階級のみに許された格式あるつくりで、総面積525㎡(約159坪)で、冊封使を迎えた一番座など15もの部屋があります。
順路の通りに進んでいきます。
ここは、沖縄本島南部地域を見渡すことのできる展望所ですが海が全く見えません。
中国から来た冊封使をここへ案内し、琉球が決して小さな国土ではないということを示したそうです。
そう言われてみれば、少し高い所に登ると海が見えたなーと思い、海が見えない景色を新鮮に感じました。
この碑は1838年に尚育王の冊封使林鴻年が題したもので、「手入れの行き届いた田畑を見て、王が心から人々を励ましていると称えた」もので、もとの碑は戦災で破損したので、拓本を元に復元したものです。
識名園は約41,997㎡もあり(どれだけの広さか逆に分からない)、とにかく広くて順路に随って歩いているだけで閉園時間になってしまいました。
時間があったら御殿の縁側でのんびり池を眺めたいところですが、天気もあまり良くなくて少し寒かったのでずっと歩いて動き続けていました。
首里城は人が多かったけど、玉陵も識名園も世界遺産なのにほぼ貸し切りでした。
この日は朝から勝連城・中城城・玉陵・首里城と歩き回ってきました。
この日の歩数は24,456歩。
帰りは、識名園のそばのバス停から5番の那覇バス(このバスは一律240円で運賃前払い)で、国際通りまで帰ってきました。
充実していましたが疲れました。