路線バスで座喜味城へ行きました。
29番のバスで座喜味城へ
旅行期間中、本当にお世話になったバス停。
13:32県庁北口バス停から29番の読谷バスターミナル行のバスに乗り、座喜味バス停14:41着予定でしたが、実際に着いたのは15時頃でした。
一時間半も載っていてバス代が1040円って安いと思う。
バス停から徒歩15分弱でつきます。
座喜味城
座喜味城は築城の名手といわれた護佐丸が15世紀初頭に立てた城です。
その後護佐丸が中城城に移った後も使用されたと考えられています。
第二次大戦中は日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が作られましたが、返還され修復されています。
城壁の上から、首里や那覇、本部半島や慶良間諸島も見えるそうです(私はどこがとこだかわからなかったけど)。
青い空に映えます。
礎石の跡が分かります。
遠くに海が見えてとてもきれい。この日は天気が良くて本当に気持ちが良かったです。
この時はツアーの団体さんがいて一瞬込み合ったけど、十分城を堪能しました。
二の郭の入口から入ったときに左手が狭くなっていて、「石垣に登れるかな」と思わせて入り込ませると・・・・
急坂に追い落とされてしまうそうです。
(この話は団体さんのガイドさんに聞きました)
城の近くの資料館がこの日は定休日だったので、時間があったので城壁をぐるりと一周しようと思い立つ。
崖はないけど、急坂もあるのでどうしても周りたいと思う人以外はお薦めしません。
一周したけど特に感動もない。
小ぶりの城なので30分あれば堪能できます。
航空義烈隊玉砕の地碑
バスの時間までちょっとあったので、Googleマップで見つけた碑まで行ってみよう。
しかし、片道7分とあったけど、見学してたら間に合わないんじゃないかと歩きだしてから気づいて途中から走りました。
掩体壕がありました。軍用機を攻撃から保護するための施設です。
中のパネルに、読谷村の住民の悲劇が書かれていました。
字波平にあったシムクガマ(ガマは洞窟)に約1000名の人が避難していて、ハワイ帰りの二人のお爺さんの説得で全員が米軍に保護されました。
しかし、別のチビチリガマでは、青年二人が竹やりで米軍に向かっていき射殺され、パニックになった避難住民たちは83名が集団自決してしまったそうです。亡くなった約6割が18歳以下の子どもたちでした。
戦後も基地が多く復興に苦労したと書かれていました。
観光客が何をいうかと言われそうですが、
誰かの犠牲の上にたつ平和でいいのかなと胸が痛いです。
那覇市歴史博物館
県庁北口バス停のそばにパレットくもじというショッピングモールがあります。
そこに那覇市歴史博物館があるので見学しました。
国宝は年間30日の展示となっていて、通常は複製品が展示されているのですが今回は本物でした!
冊封や正月儀式などの行事に国王の正装として用いられました。黒縮緬が貼られ、その上に金糸の帯が12筋、各筋に24個ずつ金銀、珊瑚、水晶などが鋲でとめれらています。
金簪には龍の文様が表されています。
他にも、国宝の尚家文書や工芸品などの展示、昔の那覇のジオラマなど気楽に見られます。
「どらえもん」で宮古そば
お昼のA&Wが重く残っているような気がしたので、夕食はかるくそばに。
ホテルのそばに宮古そばの看板があり、若者が次々上がっていくのでついていく。
ソーキそばと三枚肉そばと宮古そばの違いがよくわからないまま宮古そばを注文。
具がないのが宮古そばかと思ったら下からさつまあげと三枚肉の煮たのが出てきました。
出汁がしっかりしていて、麺はコシがあってそばというよりうどんみたい。
美味しくいただきました。
ホテルが国際通りにあるので、コンビニも近いし、土産物屋さんもたくさんあります。
紅芋タルトが気になっていたけど、毎日朝から晩まで遊んでいるので、夜行っても完売なのでした。