しゃおれんの旅日記

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魏志倭人伝の旅その8-王塚古墳と新原奴山古墳群

二泊三日の福岡・佐賀の旅。

弥生時代遺跡をメインに回っていましたが、二日目午前中は古墳見学。

古墳なので「魏志倭人伝」とは関係ないですがこのまま書きます。

王塚古墳は装飾古墳で超有名

福岡県嘉穂郡桂川町にある王塚古墳は、石世紀に造られた二段築成、全長80m超(前方部と後円部の一部は切り取られて逸失しています)。

室内に描かれた壁画で有名な装飾古墳です。

コロナ以前は毎年春と秋に公開されていて、友人は娘さんと見たことがあるという。

(母娘で趣味があうって憧れですよねー)

本当はその公開を待っても良かったのですが、友人が「公開とは言っても奥までは入れない」と言っていたこともあり、レプリカを展示している「装飾古墳館」に連れてきてもらいました。

まず古墳へ

公開イベントの時はとても賑わっているというけれど、この日は私と友人のみ。

鉄格子を覗いても扉があるので中は見えません。

 

装飾古墳館の見学

装飾古墳館には実物大のレプリカがあり、写真も撮れるし独占できるし、こっちで十分なんじゃないかと思う(負け惜しみ)。

私は靴を履いても身長150cm程度

まず羨道があり、その天井の高さに驚き、馬が描かれた袖石にワクワクします。

玄室の中へ入るとこれまたすごい。

びっしり絵が描かれています

石棺ではなく、横壁の上に石板を渡した石屋形という形式です。

被葬者は、石屋形の屍床という朱色の部分に横たわります。

手前両サイドに灯明台石と呼ばれる石もあります。

 

とにかく驚くのが隙間もなく彩色されていること。

屍床

内側には三角文と蕨手文、靫が見えます。

石棺方式でないと、お隣に眠っている人がいるところに追葬するのはなかなかハードなものがあるなと思う。

被葬者が不明で追葬かどうかも分からないですが・・・

南斗六星

天井石は巨大で星空のようです。

天井石、石棚、壁に珠文(丸い模様)あり

天文学者平井正則氏の説によると

王塚古墳と高句麗の真波里四号墳の天井壁画の珠文群の位置関係を天文学的手法で同定すると、両者の位置関係が比較的よく一致するそうです。築造の年代も近い。

高句麗の壁画古墳は現在90数例が知られていて、そのうち22例に星宿が描かれている。

高句麗から星宿についての情報が伝わっていたのではないかと。

靫の上に南斗六星?七星ある・・・

この話は「装飾古墳ガイドブック」という本から引用しているのですが、本の図は六個なのに、私が撮ってきた写真では星は七つ。違うところを撮ってきたのかな?

南斗六星とは、夏の南空に射手座の中心部に柄杓を伏せた形の星宿で、高句麗壁画の星宿図では北斗七星とともに重視されたそうです。

王塚古墳では、この図文が描かれた位置は南方位にあたり星座の位置にあうそうです。

 

右側壁の靫のところにあるはずなので、次回があるなら六星があるか確かめないと。

これまたいかにも星座ぽい

色々な文様

盾もびっしり

右上部に弓?船?の文様

靫や盾のような武器、蕨のように見える文様や同心円文、双脚輪状文などなど実際に見ると不思議でしょうがいない。

古代人がこんな斬新なデザインを思いつくなんて。

 

玄室前の馬たち

両サイドに馬

向かって左

馬の曳いている人と乗っている人が、馬の大きさに比べてかなり適当。

この下にも黒い馬がいるので左側には三頭います。

右は二頭

玄室内の灯明台石もそうですが、一見左右対称に見えますが実は微妙にデザインを替えている。
日本人はきっちり左右対称にしないですよね。古代人もそうだったのかしら?

これは何か意味があるのかな。

十分満喫しました

 

展示室も見学

展示室内には王塚古墳が作られた時代の説明や壁画の塗料についての展示あり。

鉱物だから色が残っているのかしら

出土品を装着したはにわ馬(レプリカ)

こちらの王塚古墳は、石炭採掘を迫る炭鉱主の圧力にも負けず、時には私財をなげうって保存活動をした西村二馬(にしむらつぎま)氏のおかげで現在あるといっても過言ではありません。

航空写真を見ると、前方後円墳の形をしていない様子がはっきりわかり、採掘と保存で揺れ動いたことが分かり、本当に残って良かった――と感謝です。

我が家の近所では見つからなかった本

Amazonで買おうと思っていた本を装飾古墳館で発見したので早速お買い上げ。

九州の装飾古墳はたくさんあるので、次来るまでに勉強しないと。

 

新原奴山古墳群

以前友人に宮地嶽神社に連れて行ってもらったのに、その時はまだ古墳にそれほど興味がなかったので行ってなかったこちらの古墳群。

5~6世紀に築造された宗像氏の古墳群です。

前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が存在しています。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として世界遺産に登録されています。

ユネスコマーク

こちらの古墳群はネットで調べても、住所や電話番号が福津市役所教育部文化財課のものしかヒットせずナビに入れるときに苦労しました。

 

台地の上にあり見渡せるのはのどかな風景。

駐車場に車はあるけど、見学者は私たちだけ(笑)

立たされてる子どもみたい

この日は風があるものの暖かく動くのならダウンコートを着なくても大丈夫なくらい。

ほんの二週間前に伊万里で寒さに震えていたことが嘘のようです。

やっぱり気候がいいほうが旅行は楽しい。

すでに菜の花咲いてます

径15m以下の小ぶりな古墳が10基一列に並んでいます。

6世紀後半の築造。

30号墳


全長54mの前方後円墳。6世紀中ごろに築造。

鉄人28号くんの記念撮影

古墳群最大の22号墳

5世紀に築造。現在は後方部分が逸失していますが全長80mと大きく、周溝と周堤があり、円筒埴輪が立っていました。

近付いてみると道があります。

行ってみます

祭壇?(笑)

そばのテーブルにはお酒の瓶もあり。こちらは遺跡ではないと思うけど・・・

 

この先、海側に進むと国道495号線があり、国道を渡ると方墳もありますがそこまで見なくていいかなとぶらぶらと戻る。

これだけの規模の古墳群を作るとはさすが宗像氏などと、友人と話す。

 

九州って「原」を「はる」と読むことが多いけどなんでだろう?

 

 

九州の古墳は装飾古墳が有名で、あまり巨大古墳というイメージがない。

福岡は岩戸山古墳が134mで最大だったはず。

大山古墳(仁徳天皇陵)は時代は違うけど486mもある。

前方後円墳というヤマトの影響をうけても大きさは真似をしないということなのかな。