福岡遺跡巡りの最後は福岡市博物館です。
福岡市博物館アクセス
須玖岡本遺跡見学後、JR南福岡駅から博多駅に戻り、バスターミナル5番乗り場から312番「のこ船場行」バスで「博物館北口」バス停で降りて5分弱歩きます。
もしくは、西新駅から徒歩15分くらいです。
福岡タワーのそばで、ももち浜が近くて、なんだかおしゃれというより変わった形のマンションが多いところでした。
福岡市博物館
常設展示と企画展があり、私が行った時は鬼滅の刃の原画展が企画展で行われていましたが、鬼滅の刃はテレビで見た程度であまり興味がないのでスルー。
常設展示の中でもここでは見たいものがあるのでまっすぐそちらへ行きました。
入ってすぐに暗い部屋の真ん中に鎮座する国宝の金印さま。
十数年前にも来たことがあるけど、こんな感じじゃなかった気がする。
前にいた人が写真をバシバシ撮っていたので私も撮りました。
「漢委奴国王」と書いてある金印は、資料集の写真で見ると大きかったので初めて見たときには「小さい」と驚いたものです。(一辺平均が2.35cm)
もうこれを見ただけで目的はほぼ完遂。
この説明を見ると、奴国王の金印は緑綬?紫綬?
福岡市内の遺跡のレプリカや出土品の展示もあり、今回行かなかった吉武高木遺跡や鋤崎古墳の展示を見れて良かったです。
第三展示室まで見学して、第四室「鴻臚館の時代」以降は疲れていたこともありただ通りすぎました。
第八室の「近代都市・福岡の時代」では、モダン都市に変わった福岡の様子を再現していたりして面白いと後から友人に聞きました。見てくればよかった。
元寇防塁
「魏志倭人伝」とは関係ないけど、何かの拍子にその存在を知って見てみようと。
数か所あるけど、福岡市博物館の近くにもあったのでそこに立ち寄りました。
西新地区と百道地区の元寇防塁を見たのですが、西南学院大学内にも元寇防塁はあり普段は見学が可能ですが、入試シーズンで部外者立ち入り禁止でした。
どどーんとした石垣かと思っていたのでちょっと拍子抜け(失礼発言)。
もっと掘り起こしてくれたらいいのにと思いました。
説明書きの看板には「防塁の高さは2.5~3m」とありました。
九州各地の御家人によってわずか半年で約20kmに渡る石築地が作られたそうです。
各国の分担地区によって工法に違いがあり、西新地区の分担国は分かりませんが、粘土で基礎工事を行って、前後面に石積をして、そのあいだを砂と粘土で埋めているとありました。
1281年の弘安の役では、この防塁と御家人たちの奮闘で博多の地に上陸を許さなかったとありました。すごいですね。
こちらは掘り起こされてもいない。
元寇防塁は古文書では「石築地」と記されていますが、大正2年に中山平次郎博士が「元寇防塁」と仮称し定着したとパネルにありました。
たしかに、「石築地」よりずっとかっこいい。
昭和6年に国指定史跡となり保存されています。
福岡市博物館から元寇防塁までの道はサザエさん通りというそうです。
サザエさんって福岡出身だったのですねぇ、知りませんでした。
初日の見学は、板付遺跡・金隈遺跡・埋蔵文化財センター・須玖岡本遺跡・福岡市博物館・元寇防塁ともりだくさん。この中で入場料がかかったのは福岡市博物館の200円だけでした。