御陵印を集める旅をしてきました。
御陵印とは天皇陵の印です。
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2泊3日の関西旅行のうち丸2日を費やして、関西にある4つの陵墓監区事務所を周り、残すは東京にある多摩陵墓監区事務所で、大正天皇と昭和天皇の御陵印を頂けばコンプリートです。
都内なので、今度は師匠(夫さん)も一緒に参拝して御陵印を頂いてきました。
高尾駅から徒歩20分
週末の京王線高尾山行はそこそこ混んでいて、紅葉の高尾山を目指す人なのかなと思いました。
東京下町に住む者からしたら、高尾は御陵もあるし、西の果てで淋しいんじゃないかしらなんて思っていたら、全く普通の街でした。地震などの災害にも強く東京の西部は最近人気なんですね。(大変失礼いたしました。汗)
高尾駅から甲州街道を進み、南浅川ぞいの遊歩道を歩いて古道橋を渡って住宅街の中を通ると近いです。
多摩御陵線という正門にまっすぐ伸びる道は広いし街路樹はきれいですが駅から徒歩の人は大回りですね。
観光バスも停まっているほど駐車場も広いので車も便利です。
観光バスが1台停まっていて、なんとこの御陵印旅初めて団体さんとご一緒に参拝。
15人くらいのご年配の男性たちでした。この後はどちらに行かれるのでしょう?
多摩陵
晴れたいいお天気で、針葉樹が多いのですがところどころ紅葉もしていて、何よりいい気が流れているようでとても清々しい。
御陵にくるのが初めての師匠(夫さん)も「なんだか落ち着くね」と言っていました。
明治天皇は5男10女の子に恵まれましたが、成人した男子は第三皇子の大正天皇だけでした。昔は宮中でも子供の生存率が低かったのですね。
大正天皇は生涯ずっと病気に悩まされ、後年は皇太子裕仁親王を摂政に任命して政治から退きます。そもそも生来の病弱で重臣たちが思うままにしていたイメージがあります。
色々な噂がありますが、巡幸の際に国民に気さくに話しかけたり、抜け出して蕎麦屋に行っちゃったとか、側室がいないとか、子煩悩で親王たちと一緒に鬼ごっこしたりなんてとても人間らしいエピソードがたくさん。
数多くの漢詩や和歌を残されているのに暗愚の噂なんて、天皇を神格化するために威厳を求めていた重臣たちが作ったんじゃ・・・とか思いますが、畏きところのことは今一つ分かりかねます。
大正天皇の御陵に比べて小ぶりです。
松本清張の「昭和史発掘」を読んだら貞明皇太后と昭和天皇の確執などがあったりして、皇室といえど家族関係はまあ色々ありますよね。
武蔵野陵
昭和天皇と戦争責任など思うことは色々ありますが、あえてここでは触れず。
これまでたくさん御陵を参拝してきましたが、この武蔵野陵墓は警備が厳重でした。
敷地の周りの柵に鉄条網とか。
多摩陵墓監区事務所
正門のすぐ内側にあります。
こちらの事務所では、お願いしたら事務所の方に押してもらえます。
自分で押して失敗するよりもと、押していただきました。
見ていたら、かなり力強く押し付けていました。
私がこれまで押してきた力じゃ全然足りないくらい。
「これでコンプリートですか?」と聞かれたので「はい」と答えると
「珍しいですね。おめでとうございます!」と言われ嬉しかったです。
もし、時間があれば高尾駅から「八王子城跡」までのバスも休日は出ているそうなのでハイキングも兼ねて行ってもいいかもしれません。
以前行きましたが、山城なので軽いハイキングといった感じで楽しかったです。
御陵印集めを終えて
私は古代史が好きで、古墳巡りから始まって御陵印を集める旅をしてきました。
これでいったんは終了。
御陵めぐりの際に勉強しなおしました。
後から書かれた歴史書に描かれているということを差し引いても、人格がいかがなものかという天皇もいらっしゃるし、そもそも神話時代の天皇は存在すら微妙。
「万世一系」は相当疑わしいし、「日本人」というくくりも・・・
私は外国人でも日本に住んで日本を愛しているなら日本人だと思うので、皇室が外国の方と姻戚関係になってもいいと思います。もちろん相思相愛なことが大事ですけどね。まあでも、人格的にも金銭的にもきちんとした人がいいですね(ちょっと昨今の皇室の縁談話はお相手に難ありかなと)
歴史好きの神話好きと現在の皇室への敬愛(私は平成上皇様のファン)は別物で、私はこれからも歴史も勉強していきたいし、国民の一人として皇室への敬愛は続くと思います。
これからの皇室がどうあるべきかはこれから考えていくことだと思います。