御陵印を頂く旅をしてきました。
御陵印とは天皇陵の印です。御朱印と違ってゴールがあるので頑張りがいがあります。
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今回の旅行で集めた御陵印
関西には、大阪に古市、奈良に畝傍、京都に桃山と月輪監区事務所があります。
今上天皇まで126代いらっしゃいますが、合祀されているものもあり、御陵印は神代3代も含めて全部で96印です。
他の観光をけずれば2日で集めきれないでもないです。
でも、たんにスタンプを集めるというより、
歴史を調べたり天皇陵を実際に巡ってから御陵印をいただいたほうが絶対にいいと思います。
今回の旅行で巡った天皇陵(陵墓参考地や聖徳太子廟、皇后陵などにもいきましたが、そちらは除いています)
①雄略天皇陵 ②仲哀天皇陵 ③応神天皇陵 ④允恭天皇陵 ⑤推古天皇陵
⑥孝徳天皇陵 ⑦用明天皇陵 ⑧神武天皇陵 ⑨明治天皇陵 ⑩桓武天皇陵
⑪孝明天皇陵 ⑫後堀河天皇陵 ⑬天武・持統天皇陵 ⑭文武天皇陵
⑮欽明天皇陵
2つほど惜しくも行けなかったところがありますが、それは後で。
いざ泉涌寺へ
月輪監区事務所は泉涌寺内にあります。
御陵印を集めようと思うまで全く知りませんでした。
GOTOキャンペーン中ですが、2日目の畝傍御陵の見学までの行程ではほぼ「疎」でした。
が、泉涌寺のある京阪東福寺駅で降りたところ「さすが京都!」人が多かったのでびっくりでした。
「御寺」と呼ばれる程、泉涌寺と皇室の関係は深く四条天皇をはじめ歴代の天皇、皇妃の菩提寺となっています。
孝明天皇陵
今まで気にしたことがなかった碑
この碑のある3又の道の真ん中の車両乗り入れ禁止の道へ。右に行くと泉涌寺の大門に出ます。左は今熊野観音寺と月輪陵墓監区事務所があります。
真ん中の道は歩く人がいなくて心細い。
すでに4時を過ぎていて、いつもなら御陵の森の雰囲気(たいてい御陵は木に囲まれている)が落ち着いて好きなのに、この日はあまり天気も良くなかったのと人がいないので心細くなる。
考えたら御陵ってお墓だし・・・
孝明天皇は幕末の天皇、明治天皇の父です。攘夷を強く望むけど、倒幕は望まず妹の和宮を降嫁させて公武合体を進めていた天皇です。急死されたことから倒幕派による暗殺説もあります。
歴史にもしはないけれど、孝明天皇が幕府とともに改革を進めていたら、どのような近代日本になったかしら?攘夷鎖国の考えの孝明天皇では急速な近代化は難しかったかもしれないけど、「勝ったほうが正しい。勝ったらなんでもOK」の明治新政府の中心人物たちが私はどうにも好きになれない。幕府側にも赤松小三郎のように改革を進めようとしていた人もいたのに、学校で習う歴史では幕府が旧態依然の悪者でそれを倒した薩長はヒーローだもの。なんか納得いかない。
脱線しました。すみません。
後堀河天皇陵
下ってくると後堀河天皇の観音寺陵があります。
鎌倉幕府と対立し承久の乱を起こした後鳥羽・土御門・順徳の三上皇を配流し、仲恭天皇を退位させて、さて、誰を皇位にと考えたときに後鳥羽上皇の同母兄、守貞親王の皇子で出家していなかった茂仁王が即位されこちらの後堀河天皇になりました。
守貞親王は平家の都落ちに同行させられるなど平家寄りといえなくもないけど、長生きしていれば息子が天皇になるなんてこともあるのですねぇ。
先日読んだ宮尾登美子の「宮尾本平家物語」ではこの守貞親王が実は安徳天皇とすり替えられていて、平家の血を残したい!っていう平家の思いが叶う展開になっていて面白かったです。
御陵は高いところにあったので木々の間から泉涌寺の本殿などを見ることができます。
月輪陵墓監区事務所
さて、ここで月輪陵墓監区事務所へ行かないと。
今まで誰かと鉢合わせしたことはないですが、もし先客がいたら5時までに押印しきれないかもしれない・・・
と慌てて陵墓監区事務所を探します。
Googleマップでは後堀河天皇陵の参道から今熊野観音寺のほうへ抜けるようです。
(駅からまっすぐ監区事務所をめざすなら「拝跪聖陵」の碑の3又の道の一番左の今熊野観音寺のほうへ進んだら分かりやすいと思います。一番右が泉涌寺の大門、真ん中が孝明天皇陵への道です)
こちらも玄関入ってすぐのところに御陵印セットがありました。
月輪陵と後月輪陵が一つの印になっていました。斬新!
ちなみに桃山陵墓監区事務所でいただいた深草北陵の印も合祀されているのであっさりしています。
関西の陵墓監区事務所4つを周りましたが、月輪陵墓監区事務所の印が一番印影がきれいに出ました。押し慣れたというのもありますが、朱肉や印の詰まりもなくて文字がはっきり見えます。
あくまでも私のときは、です。私が行く前に押印した人が印をきれいにしてくれたのかもしれないですし。
近くで撮ればよかったのですが、事務所内ではいつも借りてきた猫のように遠慮してしまい、事務室の入口のところまで近づけず・・・
前方後円墳の形の印などもありますね。
行けなかった月輪陵・後月輪陵
これで、4つの陵墓監区事務所を周ってあとは東京に戻って大正天皇と昭和天皇の御陵印をいただけばコンプリート!なのですが、ここで時刻は午後4時50分。
四条天皇をはじめ12代の天皇と光格・仁孝天皇の御陵、月輪陵・後月輪陵は泉涌寺の境内にあります。
本来はこちらにも参拝したかったのですが、間に合わず諦めました。
でも、京都にはまた来ることがあると思うのでその時に。
月輪陵は、陵墓のしおりの表紙に使われています。
今回の旅行は3泊4日の予定。この日も大和八木のゲストハウスへ戻って宿泊。
最終日は明日香村でキトラ古墳の公開を見て、天武天皇陵などをめぐりました。