しゃおれんの旅日記

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奈良旅6-天皇・皇后陵めぐり①佐紀盾列古墳群

夫さんの旅日記めぐりは一旦休憩。

午後は古墳めぐりです。

以前御陵印を集めたことがあったので、印をいただくだけでなくなるべくなら参拝したい。(皇后陵は御陵印はないので、皇后陵は単なる好みで訪れてます)

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

古墳巡りは自転車で

初日にレンタサイクルがパンクするというアクシデントにあいながらも、車が運転できないので今日も自転車です。普通自転車にしちゃったけど、電動にすればよかったと後悔したところもあります。

大和西大寺駅のレンタサイクル(ナコーサイクルサービスをネット検索すると200円割引クーポンがもらえます)で自転車を借りて(800円/日→600円/日)、近鉄奈良駅に乗り捨て(乗り捨て料金不要)にしてもらってスタートします。

本当に暑くて(この日の奈良市の最高気温は34.7度だった)、喉は乾くけどお腹が空かない。とにかく水分とって、ウィダーインゼリーで昼がわり。

汗だくになりながら自転車を漕ぎます。

まずは、佐紀盾列古墳群から周ります。

日葉酢媛命陵

日葉酢媛命陵

遺跡名は佐紀陵山古墳、御陵名は狭木之寺間陵。墳丘長210mの前方後円墳です。

森みたい

小高い丘にあります。

大正時代に盗掘にあい、そのときに大規模な調査が行われたそうです。

昨日行った第11代垂仁天皇の皇后陵。

殉死者の代わりに埴輪が作られたとされています。(埴輪や銅鏡が出土)

成務天皇

遺跡名は佐紀石塚山古墳、御陵名は狭城盾列池後陵といい、第13代成務天皇陵です。

成務天皇

墳丘長216mの前方後円墳で、竪穴式石室です。

成務天皇

日葉酢媛陵のそばに遥拝所があって、わかりやすくて助かる。

夫婦でもないのに、成務天皇陵に日葉酢媛命陵が食い込むようにつくられているのが微妙。

平安時代と江戸時代に盗掘にあった記録があるものの、御陵に比定されてしまうと調査ができないので、どうしてこんなに隣接しているのなどの謎も謎のまま。

前方後円墳のはずなんですが、木が多くて墳丘の形がわからないんですよね。

 

成務天皇は、国郡(くにこおり)や県邑(あがたむら)などの行政区画を整えたとされています。うーん。

日本書紀」では、神功皇后陵と成務天皇陵は同じ「狭城盾列池陵」と記載されていて、取り違えていたこともあり、「続日本後紀」では神功皇后陵を盾列北山陵、成務天皇陵を盾列南山陵としたとあります。

宮内庁の看板では成務天皇陵は「狭城盾列池陵」としています。

 

称徳天皇

成務天皇陵のすぐそばに孝謙天皇重祚して称徳天皇)の御陵もあるはずなんだけど、拝所が見つからない。

ググってみたら、称徳天皇陵の拝所は国道沿いにあるみたい。

国道から少し入る

国道まで出たらありました。お堀はないです。

高野陵

佐紀高塚古墳、高野陵です。

高野陵拝所

墳丘長127mの前方後円墳、珍しく西向きに作ってあります。必ずではないけど、南向きが多い気がします。

元明天皇元正天皇聖武天皇光明皇后陵は固まっているのに、こちらの天皇だけ離れているのも淋しそう。

薄葬令が出ていたはずなのに、奈良時代もしっかり古墳なんですね。

(というか、築造年代と崩御年の差から、被葬者が本当にそうなのかは微妙な所で、こちらではない可能性あり。

真の陵墓は西大寺のそばにあるという説も)

独身で、孝謙天皇の頃には藤原仲麻呂を重用し、重祚した後は道鏡を重用した女帝。

誰かに頼りたいタイプだったのかも。貴族のお姫さまとして生まれてたら幸せだったのに。

 

神功皇后

遺跡名は五社神古墳(ごさしこふん)、御陵名は狭城盾列池上陵という神功皇后陵。

神功皇后

国道沿いに平城駅のそばの線路を超えます。

またしても拝所が見つからない。グーグルマップで調べた通りに来たのに。

少し丘の上を見るとそれらしいものがチラリと見える。

道はしに自転車を止めて、よじ登りました。

なので、ここは宮内庁の看板の写真がないです。

(看板に何と書いてあるか見たかったのに見つからなかった)

仲哀天皇の皇后、お腹に赤ちゃんがいるのに温石と帯で守って、新羅に侵攻したという女傑。お堀も大きくて大きい。

墳丘長267mの前方後円墳、さすが神功皇后陵。全国で13位。

今ある濠は江戸時代の修復の際に作られたとも言われています。

 

 

佐紀盾列古墳群の参拝を終え、その後はコナベ。ウワナベ古墳を目指します。

途中急な坂があった時は自転車を押して進みました。

電動自転車にすればよかった・・・

 

磐之媛

平成坂上

遺跡名はヒシアゲ古墳、御陵名は平成坂上陵。墳丘長219mの前方後円墳です。

平成坂上陵拝所

仁徳天皇の皇后。皇女ではないのに初めて皇后になった葛城氏出身の皇后。

日本書紀では嫉妬深い女性として描かれています。

子供の頃はただヒステリーに思ってたけど、大人になってからは印象が変わりました。

皇后が紀伊に薬草を取りに留守にした隙に、仁徳天皇は八田皇女を妃に迎えてしまう。

すると、怒って王宮に戻らず山城に移って、天皇が迎えに行っても許さずそのまま没する。

これだけ、自分の気持ちを出せるってどれだけ自信があるんだろう?と。

仁徳天皇もちょっとねぇーーー。

 

コナベ古墳

ドローンで見たい

宮内庁の御陵の指定はないので、拝所はないです。

隣に、自衛隊幹部候補生学校があり、訓練中なのか号令が聞こえます。

お堀が大きくて、周りを自転車でぐるりと一周。

墳丘長208mの前方後円墳で、割と大きめ。

磐之媛陵はもしかしたら、こちらかも、と言われています。

 

ウワナベ古墳

濠が立派です

磐之媛の後で皇后になった八田皇女の古墳と考えられています。

(あれ?拝所あったのかな。ググっても出てこなかったけど)

仁徳天皇の浮気(?)のせいで、苦しんだ二人が隣同士の陵墓というのはちょっとかわいそう。

2020年11月に護岸工事のため発掘調査が行われ、墳丘長が270-280mだったとされ、全国12位の規模になりました。

鰭付円筒埴輪や鰭付朝顔形埴輪が見つかりました。

 

この佐紀盾列古墳群の南には平城宮跡平城天皇陵(市庭古墳)もありますが、以前参拝したので今回は割愛。

 

前方後円墳はたいてい方部が南にむいているような気がするのに、称徳天皇陵は西向きだったということがわかって面白かったです。

小高いところに作るのか、下の広々としたところに作るのか、そんなことも実際に行くと体感できるので面白いです。

それにしても、築造年代と実際の在位年代が全く違うのはどうしたらいいんでしょう。