しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

大阪・高津宮へ参拝

これまで関西旅行は、新幹線とホテルのパックになるものを利用していましたが、お得なプランは新幹線の時間が早かったり遅かったりと融通が利かないなと思っていました。

今回は、行きはスカイマーク、帰りは体調に合わせて新幹線で帰ることにしました。

昼前に新大阪を出て、夕方には家に着きましたが、ちょうど雷が鳴り、雪が降り出して、羽田で欠航も出たというから、なかなかいい判断だったと思います。

 

なぜ高津宮にいったかというと、仁徳天皇の浪速高津宮のあった場所との伝承があるため。

古墳巡りと同じく、宮跡めぐりも実地調査が大事と思うので。

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

この時の宮跡巡りは、なかなか頑張った。

 

地下鉄の「谷町九丁目駅」から歩いて5分ほどのところにあります。

高津宮(こうづぐう)

二本の石の柱としめ縄、どこかで見たような・・・

「仁風敷宇宙」思いやりの風が宇宙に満ち溢れる

「徳化洽乾坤」人を思う慈しみは行動となって天と地に広がる

頭文字を合わせて「仁徳」

こちらの高津宮は、主祭神仁徳天皇、父の応神天皇、母神功皇后、祖父の仲哀天皇、長子の履中天皇、葦姫皇后を祀っています。

皇后は「書紀」では磐之媛だった気がするのだけど・・・

献梅碑

論語千字文を伝えたとされる王仁博士が、梅の花に和歌を添えて、仁徳天皇に献上した話を元に昭和3年に建てられました。

「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

王仁博士は百済から来て、百済人か漢人かは不明だけど、和歌も詠んじゃうんですね。

(当時千字文はまだ成立していないので、王仁博士の伝説自体が謎ですが)

 

此花区の地名はこの歌に由来するようです。

注)高津宮の所在地は中央区です

高津宮良縁参拝順路

この通りに参拝してみます

本殿

①本殿で神様に挨拶

西坂(縁切り坂)

由来

②諸々の悪縁を絶つ坂

 私は、イナゴ兄弟たちと関わりたくないということを念じました。

 

相合坂

③相合坂(良縁の坂)を上る

 女性は北から、男性は南から登るそうです。

 男女の良縁は求めていないけど、友人とずっと仲良くしていられることや、仕事関係でいい人に出会えることを祈念。

再び本殿にお参り

④再び神前に至り感謝申し上げる

 

本殿の横に絵馬殿があります。

絵馬殿

仁徳天皇が、国見をしながら歌を詠んだ高殿をイメージ。

高津宮が舞台となった上方落語の絵馬や歌舞伎役者などの絵馬が奉納されています。

(興味ないことは、記憶に残らないので、絵馬の題名は不明)

仁徳天皇の国見の様子

日本書紀」によると、

仁徳天皇は、即位4年3月、国見をしたときに竈から煙が上がらないのを見て、民が煮炊きをすることもできないくらい苦しい生活をしていると思って、
3年間一切の税や課役を免除にする詔を出します。

即位7年4月、煙が多く立ち上るのを確認するも、民が宮殿が荒んでいるのを見て修理や納税を申し出たのを断り、さらに3年経った10年10月になって、やっと課役を科して宮殿を復旧します。

そこから、「聖帝」と呼ばれるようになったとあります。

「高き屋に 登りてみれば 煙立つ 民のかまどは 賑ひにけり」という御歌が伝わっていますが、後世の作とも言われています。

 

でもね、

異母弟の皇太子、菟道稚郎子皇子が、仁徳天皇に王位を譲るために自殺してからの即位なので、

「聖帝」と呼ばれるくらい人望を得ないと王権が保てなかったんじゃないか・・・とか、

皇太子は自ら命を絶ったというよりも、仁徳天皇によって自殺に追い込まれたんじゃないか。その罪の意識が、宮殿がぼろぼろになって、食事もろくにとれなくても我慢することになったんじゃないか・・・とか、

歴史の負け組応援派(判官びいきと普通は言う)の私は、うがった見方をしてしまう。

(こんなことを思っていたら、せっかくのお参りのご利益もないかも)

本宮神輿殿

こちらがご利益のある龍神さま

こちらの龍神様が昭和20年の大阪大空襲からも守ったと看板にありました。

 

今年は辰年なので、龍神様にお参り。

水害がおきませんように、私の物件や新居が火災に遭いませんように。

 

高台之頌碑

仁徳天皇の人となりや御事跡が漢文で綴られています。

高倉稲荷神社

お稲荷さんには、満室のお礼と事業の安定経営を祈念。

 

縁結びを求めていないけど、ここまで仁徳天皇推しとは知らず、楽しく参拝しました。

 

ヨンファの「YOUR CITY」ツアー神戸の帰りに、神戸近辺では興味のあるところがなくて、大阪に変更してよかったです。

東京(横浜)以外は、名古屋、神戸ではなく、福岡とか別の街にしてくれないかなー。

兵庫県立考古学博物館は体験型博物館で楽しめます

友人が教えてくれた「兵庫県立考古学博物館」に行ってきました。

JR土山駅から「であいのみち」を歩いて約15分。

遊歩道には、有名な年号を記したプレートがありました。

発掘ひろば

平日午前中の見学者は私一人。

講義室で先生たちへのレクチャーが行われている気配は感じる。

こちらの博物館は体験型とでもいうか、小学生が興味を持ちそうな仕掛けがたくさん。

入ってすぐ目に着く「発掘ひろば」

発掘現場の再現は見ていて楽しい

出土品が見えてる感じがいいですよね

学生時代に史学科だった私は発掘実習に2週間行ったことがあります。

(染み出た地下水をスポンジで吸う以外、何も出なかった)

HPを見たら、土日は「石棺に入ってみよう」「古代船に乗ってみよう」などのイベントもあるのですが、事前に電話で聞いたら子どもだけでした。がっかり。

この中には何かが埋まっているらしい

でも、発掘広場には大人用の長靴もあったんだけどなーー。

平日は対応する人がいなくてダメなのかも。

こんな体験を子どものうちにしたら、将来考古学者になろうと思う子もいるかもしれない。

古代鏡のパズル

発掘ひろばの展示室には、色々仕掛けがあって(パネルを開けると中に古代人の食事の模型があるとか)面白くて、私以外の見学者がいないこともあって、満喫しました。

鏡パズルは難易度をあげるために、縁の部分をわざと位置を入れ変えたりして戻す。

 

テーマ展示室

お次はメインのテーマ展示室。

ほぼほぼ模型の展示だけど、音が出たり、解説に工夫があって良かった。

ナウマン象をしとめる様子

一瞬もののけ姫かと思った

説明パネルもあるけど、Wi-Fiつなげて、QRコードを読み込めばさらに詳しい説明が音声と文字で読めます。

イヤホン無しで聞いていた

稲作道具も試せます

田下駄履いて歩き回り、石包丁で藁を切ろうとしたけど、切れませんでした。

やっぱり鉄の道具じゃないとダメだと思う。

(韓流ドラマ「鉄の王キムスロ」の再放送見ていたら、村長たちが「鉄の農具をくれ」といい、悪いやつが農具でなく武器を作ることに反対してたけど、押し切られてた)

矢尻が石から鉄へ

盾は初めは板で次は革

雲部車塚古墳の埋葬施設の再現

篠山市にあるこちらの古墳は、墳丘長158mの前方後円墳で、古墳時代中期では県下最大級の古墳です。当時のこの地方の王(有力者?)が眠っていると思われます。

 

明治29年に村の人が古墳を発掘しました。

石棺は板状の石を組み合わせて作られていて、蓋石や側石には縄掛突起あり。

石積はレンガのような平らな石が積まれ、表面は赤く塗られていました。

矛などの武器は、本来木で作られるはずの柄の部分も鉄で作られ、実用性よりも象徴的に武具を見せていたようです。

これらの武具が壁に掛けられた状態で見つかったのも、全国的に珍しいとか。

 

「明治の発掘でも、棺の蓋は開けられなかったので、今も王は豪華な副葬品とともにその中に眠っています」と説明文にありました。

どんな副葬品があるのか気になります。開けちゃいなよー。

古代人になりきれる

飛鳥時代の役人、女官、古墳時代の武人、巫女の服装ができます

飛鳥時代の女官の服に着替え「紫野行き 標野行き」などと歌ってみる。

人がいないからやりたい放題。

石棺

車塚古墳の石棺と違って、くりぬいて作っていますね。

土日には、石棺に入ったり、古代船は乗ったりできます。(子どもだけ)

準構造船

当時は帆はないんだ

地下の映像室で、船大工さんたちがこの船を作る様子の映像が見られます。

ちょうなで木の表面を削っていて、興味深かったです。

 

地下では、学芸員さんたちが出土品の修復、整理をしている様子を見られます。(撮影禁止)

いいだこの蛸壺

出土品の展示の中に、小さい蛸壺の展示があって、古代人はこうやってイイダコを捕まえて食べていたのかと思うと面白い。

イイダコのチュクミ(辛炒め)は美味しいですよね。当時は唐辛子がないから、塩味だけかな?

 

大中遺跡

展望台からの眺め

展望台は博物館の隣にあり、無料ゾーンです。階段を上り下りしてトレーニングしている地元の年配の方がいました。

博物館の隣は、大中遺跡で、一部復元しています。

大中遺跡は、弥生時代の竪穴住居の色々な形の住居跡がみつかった珍しい遺跡です。

円形、方形、長方形、五角形、六角形、ベッド状の高床部を持つものもあったそうです。

竪穴住居の復元

方形の住居跡

ベッド状の遺構がある長方形の住居跡

ベッド状の遺構は九州にはあるけど、近畿ではここだけ。

見学しながら、本当にベッド状の遺構があったのかなと不審に思うくらい普通の穴。

今から始められても・・・

博物館に戻ってトイレを借りていたら、壁にあるポスターを見つけてがっかり。

弥生の御朱印巡り

チラシを貰ってきましたが、去年の10月から始まったみたいです。

もう既に8ヶ所も行っているので、これから新たに集める気が起きない。

大中遺跡、唐古・鍵遺跡、妻木晩田遺跡、(平原遺跡、須玖岡本遺跡、板付遺跡、吉野ケ里遺跡、金隈遺跡)()の遺跡は去年の2月に行ったばかりだし。

もらっては見たけど、多分捨てる

御陵印(天皇陵の印)はコンプリートしたけど、

古墳カードも最近あちこちで見るようになったし、御城印も増えたけど、今更ねぇ・・・

途中から始まると、三十三札所のように頑張れない。

 

神戸からだいたい半日かけて満喫しました。

今回は行かなかったけど、垂水に五色塚古墳(訪問済)もあるので一緒に見学してもいいですね。

加西分館に「古代鏡展示館」というのがあるので、受付で聞いてみたら、「ものすごーく交通の便が悪いので、考古学博物館の後に行こうとすると、午後に三宮に戻ることは不可能」と言われて諦める。合わせて行こうと思ったら一日がかりだそうです。

 

この日の午後は、推し仲間と語りながら、ライブの時間までダラダラと過ごす。

いつも旅行中は、みっちり予定を入れて動き回るけど、ダラダラ過ごすのもいいなと思いました。

新長田駅でドはまりしました

ヨンファの「YOUR CITY」ツアーのため神戸入り。

遊びにいくための免罪符

安かったスカイマークで行ったのですが、家を朝5時に出なきゃいけなくてちょっと後悔。安いのは早い時間だから。

これまで、ホテルと新幹線のパックを選んでいたのですが、LCCも候補にすればもっと安いかもと思ったので。

被災された方のことを思うと遊んでいていいのかだけど、私ができることは募金くらいなので、交通費が浮いた分、郵便局から赤十字に寄付して許されたつもり。

(寄付金控除も使おうとするあたり偽善と言われてもしかたない。でも、偽善的寄付でも、お金はお金ですものね)

早くに出るということは、神戸にも早く着くので、夜7時からのライブまで何をするか。

有馬温泉

有馬温泉に行ってきました。

太閤の湯という健康ランドでのんびり

太閤の湯という健康ランドはネットで会員登録するとすごく得になるクーポンがもらえます。

露天風呂も充実してたし、岩盤浴も一部無料で、館内着やタオル付で1500円でした。

乳がんの手術以来、健康ランドに行けなかったけど、案外タオルで隠して湯舟に浸かっていれば平気でした。

おばさんたちは、おしゃべりに夢中で他人のことなんか見やしない。

自分の中で一つ進歩した感じです。

有馬温泉内もウロウロしたけど、温泉街って一人で歩いていても特に楽しいものでもなかった。

昼過ぎには、神戸駅前のホテルジュラクにチェックイン。

ダブルルームを一人で使うのが好き

朝食も美味しかったし、駅前で便利でした。これから神戸はここにしよう。

 

新長田駅は横山先生の街でした

一階のカフェで、珈琲をサービスしてもらった時に、ふとカウンターの上にある写真に目が釘付け。

「これって、このホテルから近いですか?」「普通電車で二つ先の新長田の駅前にあります」

というので、ライブまで時間もあることだし行ってみました。

新長田駅から歩いて3分ほど歩いて、角を曲がるとそれがばばーんと立ってて笑う。

鉄人28号のオブジェ

巨大な鉄人28号。夫さんに教えてあげなきゃ。

住人のみなさまは素通り。見慣れてしまうとそんなもんですよね。

鉄人28号くんと奇跡のコラボ

本人(?)にピントがあってしまった。

三国志推しが強すぎてハマる

この街は横山光輝さんの出身地で、三国志推しがすごかった!

実は、私は日本古代史の次に三国志マニアでもあります。

なんだか楽しくて、やたら写真を撮ってしまいました。

夏侯惇を演じているのはどなただろう?

夏侯惇も意外と好きな武将。

片目を射られて、「親にもらった大事な体を捨てられない」とか言って、矢を抜いた後でその目を食べちゃったとかいう武勇伝あり。

こういう看板たくさんあったんだけど、好きな武将でなかったり、演じてらっしゃる方(商店街の方なのかな?)が・・・だと割愛させていただきました。

太史慈は自転車に囲まれていました

私は韓流にハマる前は中国放浪旅ばかりしていて、実は太史慈の墓に行ったことがあります。(偶然見つけて感激して騒いでいて、通りすがりの中国人に不審がられた)

 

関羽石像

関羽は人気があるから石像なのね。

横山先生のマンガの一場面「桃園の誓い」

ギャラリーもあった(有料)

私は、三国志マニアですが、北方謙三三国志」が一番お薦めです。

一般的には、吉川英治三国志」か横山光輝のマンガ「三国志」を読んでいる方が多いと思います。

多分、こちらのギャラリーは横山先生の世界なので、呉や魏がよく描かれてないと思って見学せず。

私も吉川英治版は3回くらい読んだし、NHKの人形劇も好きでしたが、それでも呉と魏が好き。

小覇王孫策と美周郎周瑜のブロマンスドラマとか作ってくれないかしら。

 

マンガは読んでいないので、キャラクターの看板などを見て「へぇ、こんな顔なんだ」と思いながら歩いていました。

郭嘉がおじさんでがっかり

すごく優秀な軍師で病気で早く死んじゃうから、白皙の美青年のイメージだったのに・・・

孫権がいい扱いで嬉しい

軽く扱われがちな孫権が石像だったから安心。

と、思っていたら、魏の曹操はもっと扱いが大きかった。

曹操はやっぱり扱いが違う

ここにも関羽がいた

 

鉄人28号と同じポーズ

今度は28号くんにピントがあいました。

周瑜がかっこよかったので満足

スーパーの前にいた孔明

後から、この近くに劉備がいたことに気づくが、戻ってまで写真は撮らない。

推し活と歴オタで楽しく生きる

昔、クズ前夫が「息子が生まれたら『亮』(諸葛孔明の名前)にする」とか言い出してケンカになったことがある。

「玄徳(劉備の字)もいい」とも言ってた。

なんとか「遼」(魏の武将の張遼から取った)で決着したが、子どもができなくて良かった。

前夫は「巨人大鵬目玉焼き」とでもいうか、巨人ファンで、蜀好きで、流行に乗りやすくて、みんなと同じものを持ちたがりしたがっていた。

正反対の人と結婚すると楽しいのは最初だけで、後に大変だ。

 

クラスでモテモテの男子を好きにならなかった私は、「〇ちゃんも◇君が好きなんだよね。ライバルが多くて」なんて切ないため息はついたことがない。

歴オタで、三国志オタで、「周瑜がかっこいい!」と言っても理解されない。

大学の時だけ、似た者同士でもりあがったけど。

 

そんな私が、大人になってやっと「ヨンファって歌も上手くてかっこいいでしょ?」と言って賛同を得られるようになりましたーーー。

ヨンファのドラマデビューは、サブ男優で振られる役だったけど。

 

推しは共有の宝なので、推し活は楽しい。

今日はCNBLUEの韓国デビュー14周年の日です。

めでたい。

(ちなみに日本では2009年にインディーズでアルバムだして、メジャーデビューは2011年10月19日)

 

推しのライブのための旅行で思わぬものに出会えて楽しかったです。

これからは好きなことだけして、元気に暮らしていけるといいのだけど。

英国アンティーク博物館は予想外に良かった

友人宅にお泊りの後で、鎌倉観光。

王道はきっと混んでると思い、知られていなそうなところを探す。

見つけました!

 

英国アンティーク博物館

鶴岡八幡宮のすぐ手前にあります。鎌倉駅からも7.8分。

www.bam-kamakura.com

隈研吾設計のビル

1階はミュージアムショップ、2階はジョージアン時代、3階はシャーロックホームズの部屋、4回はヴィクトリア時代となっていて、Wi-Fi繋いで、各自のスマホで解説を聞きながら進みます。

小ぶりな博物館なので、解説を聞かないと「ふぅん」で終わってしまいそうですが、解説があれば、一層興味深く見学できます。

撮影は自由です(展示品に触ったり、座ったりはダメ)。

2階ジョージアン時代(1814-1830)

假屋崎さんのクリスマスの花のデコレーションがあった

銀のティーセット

ビスケットウォーマー

この貝殻のような器にビスケットを入れて、暖炉のそばに置いてビスケットを温めて食べたそうです。

アンティークも、きちんとしたものだと古さを感じない。

銀器は、使用人が毎日磨かされたんだろうなあなんてことも思う。

カズオイシグロを連想する。

3階シャーロックホームズの部屋

シャーロックホームズの小説をちゃんと読んだことはないけど、なぜかどういう服装をしているかなどは知っている。

こちらの博物館はアンティークで、ホームズの部屋を再現しています。

イカーSt

ホームズが顔色悪くて怖い

小説の世界を忠実に再現

机の上にあるひょうたんのような形の容器はソーダ水製造機だそうです。(小説にでてくるらしい)

寝室

ベッドが小さい気がする。右の棚の横にあるのはトイレです。当時はこういったところで用を足し、捨てに行ったとか。

コナンドイルの直筆の手紙

ホームズの小説の初版本がいくつもあったりして、きっとファンにはたまらないと思う。

鉱物のアンティーク?

夫さんが鉱物を集めていたことを思い出す。

4階ヴィクトリア時代(1837-1901)

ヴィクトリア女王のうら若き女王と偉大なる女帝の写真が飾ってあり、歳月って時に残酷と思った。

ヴィクトリア女王は在位期間も長いし、植民地も広大に増えたし、ヨーロッパ諸国の王室と姻戚でイギリスの最盛期。室内もゴージャスに感じました。

こちらも假屋崎さんの作品とともに

巨大な蓄音機

こちらの蓄音機は、「蓄音機のロールスロイス」と呼ばれるエキスパート社の上位モデル。

開館に際し、館長が日本人コレクターから買い付けたそうです。いくらだったのか気になる。

嗅ぎ煙草入れ

謎の形状。こんなのリビングに置きたくないけど・・・

 

4階には隈研吾さんが設計した茶室があります。

そこの窓からは、鶴岡八幡宮が見えて掛け軸のような演出になっています。

小ぶりな茶室

目では見えるけれど、写真に撮ると白くとんでしまって八幡宮は見えません。

 

小さな博物館なので、すぐに見終わってしまいそうですが、友人とあれこれ言いながら写真撮りながら見ていたら、予想外に楽しかったです。

2022年に開館したばかりで、空いていたので写真も撮り放題でしたが、人気が出て来たらまたちょっと違う印象になるのかな。

鎌倉宮で厄落とし、そして報国寺でお抹茶

江の島の友人宅へお泊り。

普段、他人と会話することがない生活なので、つきあってくれる人がいると延々と話してしまう。

寝不足なのに、テンション高めで鎌倉観光しました。

鎌倉宮の由来

鳥居が珍しいバイカラー

もらったリーフレットに鳥居の説明に「情熱の赤、純粋な心の白」とありました。

 

鎌倉宮は、ご祭神が大塔宮護良親王

最近読んでハマった「逃げ上手の若君」にも出てくる後醍醐天皇の皇子です。

鎌倉幕府を打倒するため活躍したのですが、足利尊氏の陰謀で鎌倉に幽閉されることに。

明治天皇は、護良親王への追慕の念が篤く、明治二年に自ら「鎌倉宮」と社号を定めて創建しました。

明治になってからできた新しい神社だったんですね。

獅子頭が浮かぶ手水鉢

こちらの獅子頭は、護良親王が兜の中に入れて出陣したという由緒にちなんだお守りです。各種サイズが販売中。

 

拝殿

御神楽の舞台になっています。

村上社

摂社村上社

ご祭神が護良親王の忠臣、村上義光公です。親王の身代わりとなって鎧を付け、腹十文字に掻き切って壮烈な最期をとげられたそうです。

明治41年、明治政府から「至誠純忠の勇士」として従三位に追贈されました。

身代わり村上彦四郎義光公像

悪い所を撫でて、身代わりになってもらう。

必見!拝観コース

参拝する前に、護良親王関連のすごいものを見つけていたのに見当たらない。

社務所に聞きに行ったら、「拝観コース(300円)」にそれはあるらしい。

社務所には、「逃げ上手の若君」のコピーや人気投票で上位に入っている護良親王の紹介ががっつりありました。

木の門を通るとまず宝物殿。

親王関連の宝物が展示とありますが、ごちゃごちゃと並べてあってよくわからない。

大塔宮の令旨

「令旨って、この茶色の巻物かな?字が薄くて読めないよー」などと騒ぐ私を、微笑みながら見守る友人。

友人は歴史に全く興味がないが付き合ってくれている。

山本五十六の書や乃木希典の書もある

ガラス越しなので、写真を撮ったら光ってしまったけど、どういう趣旨で集めたのか分からないお宝がひしめいています。

 

その後、鎌倉宮碑(明治天皇鎌倉宮にご親拝されたときのお言葉の碑)などを通り過ぎて、拝殿の裏側の崖のほうへ行くと菊の御紋が見えました。

拝殿の裏側になります

この向かいにあるのが

護良親王の土牢

9か月間にわたり幽閉されたと伝わる場所です。

護良親王御土牢とある

ここが歴史の現場かーとはしゃいでいたので、友人に「今日イチ興奮している姿を見た」と言われる。

旅行中も興味のあることを別行動可のグループで、私がはしゃいでいる姿を友人たちにあまり見せたことがない。

韓国の水原(世界遺産)に行くときについてきてくれたけど、「こんなに嬉しそうなんだね」と驚かれたほど。

よほど、今回もはしゃいでいた様子。

護良親王について語ろうとしたら止められた。

「紅葉もあるし、いい雰囲気」と言ってくれたから良しかな。

離れたところから

御座所の碑

摂社南方社

護良親王に仕えた南の御方をお祀りしています。

拝観コースは出入り口が一か所なので、ここまで見学したら同じ道を戻ります。

非常に満足なのでした。

厄割石

前日に建長寺坐禅をしたが、心の浄化は微妙。

直接厄落としをしたほうがいいんじゃないかと探していたら、鎌倉宮に厄割り石なるものを発見。

厄割石

薄い素焼きのかわらけに、息を吹きかけ厄を載せて、石にぶつけて割る。

武士が出陣前にかわらけにお酒を注いで飲んだことに由来するようです。

破片だらけ

一度で割れなくても、不屈の精神を持っていた護良親王のように割れるまで何度でも挑戦してよいとのこと。

お皿が軽く角度が合わなくて、三回目でやっと割れました。

辛いことが続いたこの一年半、もうこれで厄落としができたかな。

 

報国寺

鎌倉宮から15分ほど歩くと、友人が来たがっていた報国寺に着きました。

途中に、坂東札所の一番の杉本寺があり、この近くまで来たことはありました。

竹の庭で有名なお寺でした。

とても雰囲気がよく、外国人観光客も多かったです。

竹の庭

紅葉もほぼ終わり

お抹茶を頂く

苔と竹を見ながら、雰囲気は良いのですが、屋外なのでけっこう寒い。

建長寺で人生初坐禅

江の島に住む友人宅でお泊り会。

その前に、北鎌倉を散策しました。

鎌倉は坂東三十三か所めぐりで、今年の6月にも行ったけどとにかく混んでいたイメージしかない。

だけど、クリスマス前の平日の北鎌倉は静寂。

静かに参拝できました。

円覚寺

こちらは鎌倉五山二位の円覚寺

1282年8代執権北条時宗が、無学祖元を招いて開いた禅宗寺院。

多分学生の頃に来て以来かも。

豪華ではないけど、大きな山門。そうだ、こんな感じだった、とか思いながら歩く。

りっぱな山門

ご本尊の宝冠釈迦如来

しかし、この日、私は久しぶりに会った友人のリアル恋バナに盛り上がり、彼氏の悪口に花を咲かせていたので、円覚寺舎利殿に行くのを忘れて帰ってきてしまいました。

なにやってんだか。

時宗って、元寇のときの執権だったよねー。

思い入れがないとさらっと参拝しただけでも平気。

明月院

あじさいで有名な明月院。人ごみが苦手で来たことがありません。

 

枯山水庭園

本堂の丸窓

永暦元(1160)年、平治の乱で戦死した山内首藤俊通の供養のため、息子の経俊によって創建。

その後、康元元(1256)年、5代執権北条時頼が「最明寺」をこの地に建て、後に時頼の子の時宗円覚寺を立てた人)が禅興寺として再興し、蘭渓道隆が開山となりました。足利時代には関東十刹の一位になったとか。

禅興寺は明治初年に廃寺となり、「明月院」のみが残りました。

時頼御廟所

時頼公墓所

時頼って善政をした人だった程度の認識で帰ってきてから色々調べる。

時頼は、幼いときに父を亡くし、祖父の3代執権泰時に育てられ、兄の経時から執権の座を譲られ5代執権となります。

就任当初、反北条勢力を制圧して、その後内政を充実させたそうです。

泰時は「鎌倉殿の13人」では坂口健太郎さんが演じていて、いい人だったなー。

ちゃんと勉強していないから、大河ドラマの脚色にまんまとはまる。

珈琲笛

友人がお薦めのお店が廃業していて衝撃を受け、適当にこじゃれたカフェでランチ。

その後、これまたお薦めのカフェに行く。

世界各国の笛が飾ってある

笛以外の楽器も

カフェオレにクッキーをプラス

この日は急に寒くなった日で、北陸や東北では大雪のニュースが報道されていました。

寒いとつい機動力が落ちます。

せっかくすいているのに、寺社めぐりをするよりも暖かい店内でしゃべり倒す。

 

建長寺坐禅

鎌倉五山一位の建長寺。時頼が創建、蘭渓道隆が初代住職で、宋時代の純粋で厳しい禅がそのまま実行されたとリーフレットにありました。

 

ここも学生以来、来ていないと思う。

調べていたら、定例座禅会というのがあるらしい。

(毎週金・土15:30から1時間程度)

これまで、坐禅をしたことがない私。

調停も片付いて、イナゴ兄弟へ悪態つくことも無くなるから、そろそろ心を浄化させたい。

この一年半くらい、私にしては珍しく嫌い抜いて、心の中で悪態をつきまくった。

そのストレスで病気になったのかも。

 

坐禅が心の浄化に役立つかは微妙だけど、友人が「中学生の頃、部活で近所の寺に坐禅に行かされた。久しぶりに行ってみたい」と快諾してくれたので、行ってみました。

三門

三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置し、その下を通ると心が清浄になるそうです。

ゴージャスな唐門

唐門の奥の方丈(龍王殿)で坐禅は行われます。

方丈

15:30から始まるので、15分くらい前に行くと、既に参加者がちらほらと座っています。

私と友人も長い座布団を取り出し、あいているところに敷いて、周りの人に倣って座ります。

坐禅の手引き100円

その時はこちらを忘れずに。

私たちは必要と思わず取らなかったら、始まりと終わりにこちらに書かれているお経を皆で読むので、あわててもらいにいきました。

時間になると住職さんの説明が始まります。

裸足で、上着を脱ぐようにと言われるも、風が思いっきり入ってくるのでダウンジャケットは脱げず。

(靴下脱いだことすら後悔するほど寒かった)

座り方、呼吸法などの説明を受け、「魔訶般若波羅密多心経」をみんなで読んでから坐禅開始。

半眼で一メートル先くらいを見る。目は閉じない。

 

坐禅というと、連想する警策(棒で打つあれです)。

ぼんやりしてたら打たれるのかと思っていたら、建長寺では、警策を受けたいときは、住職さんが通るときに合掌していると、向き直ってくれて互いに合掌して頭を下げ、左右の肩を二回ずつ打って、また合掌して頭を下げます。

そう、警策は希望者だけだったんですね。

友人と「今は希望して坐禅しているのに、文句いう人がいるからじゃないか」と話す。

私はどんなものか一度受けたけど、けっこう痛いので一度でやめました。

友人は眠くなったから二度してもらったと言っていました。

けっこう警策の音がしていたので、皆さんバンバン打ってもらっているようです。

 

途中で、警策を置いたので終わりかと思ったら、講話があり、またまた二度目の坐禅が始まります。

「寒いとばかり考えずに、自己の内面を見つめて」云々の話を聞きましたが、私はひたすら寒さをこらえていただけでした。

あとは畳のヘリの模様をじっと見て、●の数を数えていました。

最後に「四弘請願文」を読んで終了。

心の浄化・・・うーん。

 

終わったら16:30で、あたりは薄暗く、17時閉山のためみな帰ろうとしている。

ご本尊はお参りしたけど、半僧房(建長寺の鎮守、半僧房大権現を祀るお堂)までは片道15分というので、時間がなくてあきらめました。

 

ちっとも禅の修行にならなかったけど、友人は気に入ったようで「また来よう!」というので、季節の良い時にリベンジしたいと思います。

 

板東巡礼⑩12番慈恩寺

埼玉の友人の家に泊まった翌日、12番札所慈恩寺にお参りしました。

東武アーバンパークライン(どうしても野田線と言いたくなる)の豊春駅から、徒歩片道30分です。

慈恩寺

慈恩寺

鐘楼のそばに大銀杏

824年(天長元年)に、慈覚大師(円仁)によって開かれたお寺で、大師が唐に留学した長安大慈恩寺にちなんで、慈恩寺と名付けられました。

最盛期には、多くのお堂があったのですが、幾たびかの災厄で焼失し、現在に至っています。

大きな本堂

ご本尊は千手観音菩薩秘仏です。

お堂の中に目を凝らすと、御前立の仏像と二十八部衆が見えます。

来年、御開帳でした

チラシの下のほうにいらっしゃる二十八部衆は、お堂の中にいるので見えますが、来年特別展示があるようです。

納経印

 

玄奘

境内の案内板に、慈恩寺から10分ほどのところに玄奘塔があるという。

中国っぽい門

玄奘は、インドから経典を持ち帰り翻訳したすごいお坊さん。(西遊記の師匠です)

その御霊骨が長らく行方不明だったのが、昭和17年日本軍が南京郊外で発見して、盛大に奉安式を行い、一部が日本にも贈与されたそうです。

(なんとなく、胡散臭く思ってしまうのは私だけ?)

慈恩寺の由来により、昭和25年にこの地に奉安されたと頂いたパンフレットにありました。

玄奘

玄奘

弘法大師さまかと思ってしまいましたが、こちらは玄奘法師です。