これまで関西旅行は、新幹線とホテルのパックになるものを利用していましたが、お得なプランは新幹線の時間が早かったり遅かったりと融通が利かないなと思っていました。
今回は、行きはスカイマーク、帰りは体調に合わせて新幹線で帰ることにしました。
昼前に新大阪を出て、夕方には家に着きましたが、ちょうど雷が鳴り、雪が降り出して、羽田で欠航も出たというから、なかなかいい判断だったと思います。
なぜ高津宮にいったかというと、仁徳天皇の浪速高津宮のあった場所との伝承があるため。
古墳巡りと同じく、宮跡めぐりも実地調査が大事と思うので。
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この時の宮跡巡りは、なかなか頑張った。
地下鉄の「谷町九丁目駅」から歩いて5分ほどのところにあります。
「仁風敷宇宙」思いやりの風が宇宙に満ち溢れる
「徳化洽乾坤」人を思う慈しみは行動となって天と地に広がる
頭文字を合わせて「仁徳」
こちらの高津宮は、主祭神が仁徳天皇、父の応神天皇、母神功皇后、祖父の仲哀天皇、長子の履中天皇、葦姫皇后を祀っています。
皇后は「書紀」では磐之媛だった気がするのだけど・・・
論語と千字文を伝えたとされる王仁博士が、梅の花に和歌を添えて、仁徳天皇に献上した話を元に昭和3年に建てられました。
「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
王仁博士は百済から来て、百済人か漢人かは不明だけど、和歌も詠んじゃうんですね。
(当時千字文はまだ成立していないので、王仁博士の伝説自体が謎ですが)
此花区の地名はこの歌に由来するようです。
注)高津宮の所在地は中央区です
この通りに参拝してみます
①本殿で神様に挨拶
②諸々の悪縁を絶つ坂
私は、イナゴ兄弟たちと関わりたくないということを念じました。
③相合坂(良縁の坂)を上る
女性は北から、男性は南から登るそうです。
男女の良縁は求めていないけど、友人とずっと仲良くしていられることや、仕事関係でいい人に出会えることを祈念。
④再び神前に至り感謝申し上げる
本殿の横に絵馬殿があります。
仁徳天皇が、国見をしながら歌を詠んだ高殿をイメージ。
高津宮が舞台となった上方落語の絵馬や歌舞伎役者などの絵馬が奉納されています。
(興味ないことは、記憶に残らないので、絵馬の題名は不明)
「日本書紀」によると、
仁徳天皇は、即位4年3月、国見をしたときに竈から煙が上がらないのを見て、民が煮炊きをすることもできないくらい苦しい生活をしていると思って、
3年間一切の税や課役を免除にする詔を出します。
即位7年4月、煙が多く立ち上るのを確認するも、民が宮殿が荒んでいるのを見て修理や納税を申し出たのを断り、さらに3年経った10年10月になって、やっと課役を科して宮殿を復旧します。
そこから、「聖帝」と呼ばれるようになったとあります。
「高き屋に 登りてみれば 煙立つ 民のかまどは 賑ひにけり」という御歌が伝わっていますが、後世の作とも言われています。
でもね、
異母弟の皇太子、菟道稚郎子皇子が、仁徳天皇に王位を譲るために自殺してからの即位なので、
「聖帝」と呼ばれるくらい人望を得ないと王権が保てなかったんじゃないか・・・とか、
皇太子は自ら命を絶ったというよりも、仁徳天皇によって自殺に追い込まれたんじゃないか。その罪の意識が、宮殿がぼろぼろになって、食事もろくにとれなくても我慢することになったんじゃないか・・・とか、
歴史の負け組応援派(判官びいきと普通は言う)の私は、うがった見方をしてしまう。
(こんなことを思っていたら、せっかくのお参りのご利益もないかも)
こちらの龍神様が昭和20年の大阪大空襲からも守ったと看板にありました。
水害がおきませんように、私の物件や新居が火災に遭いませんように。
仁徳天皇の人となりや御事跡が漢文で綴られています。
お稲荷さんには、満室のお礼と事業の安定経営を祈念。
縁結びを求めていないけど、ここまで仁徳天皇推しとは知らず、楽しく参拝しました。
ヨンファの「YOUR CITY」ツアー神戸の帰りに、神戸近辺では興味のあるところがなくて、大阪に変更してよかったです。
東京(横浜)以外は、名古屋、神戸ではなく、福岡とか別の街にしてくれないかなー。