今回の旅のメインの熊本県立装飾古墳館に来ました!
備忘録を兼ねるので、長いです。
装飾古墳王国・熊本
全国に20万基以上の古墳が作られましたが、装飾古墳は660基です(過去に滅失して、もっと多かったかも)。
そのうち、九州に386基、熊本県には195基、菊池川流域は117基見つかっています。
古代を知りたいと思うと、文字資料ができる前の時代は、どうしても古墳からの出土品や古墳の築造方法などが糸口になります。
どうして、近畿に少なくて、九州にこんなに装飾古墳が多いのか。
一応、今回の旅行の前に予習はしました。
xiaorenretirementlife.hatenablog.com
友人と旅行の計画を立ててから、チブサン古墳は土日なら申し込めば内部見学ができることを知るが、退色した実物より、検証にもとづく復元のほうがわかりやすいので、私は復元でも構いません(やせ我慢)
今年の2月に行った福岡の王塚古墳の資料館もレプリカだったけど、すごく良かったので期待していきました。
平日午前中で、見学者が私たち二人でした。
入場料430円。これまで無料の資料館ばかりだったので、ちょっと驚く。
これだけの建物が無料のはずないのに。ちゃっかりしすぎ。
建物が安藤忠雄氏で、建築科の学生さんが見学にくると言っていました。
以前、アクセスを調べていたら、公共交通機関で行くのはかなり難しくて、山鹿バスセンターで自転車借りて、鞠智城と合わせて一日かけて周るしかないかと思っていたら、友人が車をだしてくれたので、本当にありがたかったです。
さすがに、三日目はCNBLUEではなく、日本のバンドで私の好みに合いそうなグループを教えてもらう。歌が上手くて曲がよいのは多いけど、かつイケメンというのがなかなか難しい。
「Mrs.GREEN APPLE」イケメンでないのが惜しいけど、いつもKPOPばかり聞いてるから、日本語で刺さる歌詞はいいですね。
閑話休題。
企画展「板石積石棺墓に葬られた人々」
古墳時代の南九州特有の墓に板石積石棺墓というのがありました(初めて知りました)。
板石が積まれている様子は、イタリアのアルベロベッロみたいと話す。
なんだか石杭は歯茎にささる歯の根みたい。
板石積石棺墓は、古墳時代前期から中期に作られ、鹿児島県西北部の沿岸地域から川内川を遡った伊佐地域、宮崎県えびの盆地などが分布の中心でした。
熊本県南部の天草、水俣、芦北、人吉、球磨地域にも見られます。
なんとなく、支石墓の時代(弥生時代)の墓と思って見ていたので、古墳時代の石棺と知って驚いた。装飾古墳が生まれていく一方で、こんな形の石棺もあったんだ。
この後、地下に降りて、装飾古墳の復元模型を見学します。
装飾古墳室
kofunkan.pref.kumamoto.jp
古墳館には実物大のレプリカがあって、中には入れないものの見ることができます。
王塚古墳のレプリカは中に入れたのに、ちょっと残念。
古墳館のサイトでは、360度のVR体験ができます。大きさは現地で体験して、内部はサイトで確認といった感じです。便利な世の中ですね。
だけど、せっかくレプリカ作ったんだから、王塚古墳みたいに中に入れてくれてもいいと思う。
鴨籠古墳石棺
宇城市不知火街にある鴨籠古墳の石棺。石室には装飾はなく、石棺に装飾されています。
5世紀後半に作られた径25mの円墳。
直線と弧線で表現する直弧文が石棺の屋根全体に描かれています。赤と灰色で塗られていたようです。石棺の中には、頭を置くための石枕が削り出されていました。
直弧文って誰が初めに考え付いたんだろう?
小田良古墳
宇城市三角町。5世紀。元は平たい石を積み重ねてドーム型の屋根があったと考えられます。
三つに分かれているのは複数人を埋葬するため。
円文、靫、縦などが描かれています。彩色無し。
装飾古墳は八代海沿岸から始まったと考えられていて、同心円文は八代海沿岸にもあり、菊池川流域につなぐ特徴があり、とても重要とのこと。
井寺古墳
上益城郡嘉島町。6世紀初めの築造。径30mの円墳。
積み上げられている石室の石は、阿蘇のピンク凝灰岩(馬門石)
高槻にある今城塚古墳(継体天皇陵と推定される)にも阿蘇のピンク凝灰岩の石棺があります。
横穴式石室の石障の内面と上面、羨道の壁面、羨門立柱石の側面と前面、羨道天井石の先端まで装飾有り。
旧京都帝大の濱田耕作が「直弧文」と名付けた文様で装飾されています。
ベンガラの赤や、白、緑で塗り分けが始まりました。
コンパスや定規を使って描いたのかな?何を表しているんだろう?
具象の絵よりも気になります。
平成28年の熊本地震以来公開していないそうです(ということは以前は公開していた)。
千金甲(せごんこう)1号古墳
熊本市西区小島町。5世紀(解説シートとサイトの詳細のほうには6世紀初めとある)。
石障内面に装飾をしています。同心円文、靫などで、赤、黄、緑の彩色あり。
弓や盾もあわせて描くのではなく、靫って?気になります。
大正10年に国史跡に指定されています。
チブサン古墳
こんな感じで中には入れませんが、雰囲気を感じることができます。
山鹿市城にあり、6世紀前半頃に築造。円筒埴輪の他、石人出土。前方後円墳。
赤白黒で、連続三角文と円文を描く。
二つの黒丸が乳房に見えるからというけど、男性の発想ですよねー。
私は顔(目と鼻と口)に見える。
石屋型の右壁には、両手を広げた人がいます。
古墳館で写真撮り忘れたので、山鹿市立博物館でみかけた石で紹介します。
この人物、朝鮮半島南部の王冠とも共通する形と解説にありました。(新羅や伽耶の前立てのある冠に似てなくもない)
土偶と違って、宇宙人説はないんだなあ。
石障から石屋型になり、家のような石屋型に石棺の代わりに遺体を収めました。
土日に予約していくと見学できます。
大坊古墳
玉名市玉名。6世紀。全長約54mの前方後円墳。前室と玄室があります。石屋型の奥壁に装飾しています。
三角文、円文を連続していて、赤、黒、灰色で彩色。
大量の副葬品が出土。耳環、勾玉などの装身具、直刀、鉄剣、鎧、馬具類、須恵器、土師器など。
昭和52年に国史跡に指定されて、定期的に公開されています。
装飾古墳が時代を経るにしたがって、宇城市、嘉島町、熊本市、玉名市と北上して、菊池川沿いにやってきましたよ。
弁慶ケ穴古墳
山鹿市熊入。6世紀終わりごろ。径15mの円墳。
同心円文、人物や船、馬などが描かれる。赤白黒灰色で彩色。
「描かれている船は死後の世界「黄泉の国」へ向う船で、乗せてあるものは棺とも考えられます。棺の中には魂と考えられる赤い点が置かれ、魂を天に運ぶ鳥が棺の上に乗っています。当時の人の死後の世界観が表現されているとする学説で有名です。」とありました。ゴンドラのような舟は福岡の装飾古墳にもよく描かれています。
鍋田横穴群第27号墓
7世紀。山鹿市鍋田。弓を持った人物が子どもの絵みたい。
これで、だいたい撮った写真は整理したかな?
写真を撮っても撮りっぱなしだと分からなくなってしまうから、覚えているうちに復習しないと。
映像に有名人が参加
「11時半から映画をやります」と言われ、時間になると私たち二人だったので「好きな映画を選んでいい」と言われる。
当初の放映予定だった「生きている石人」にしました。
見ていると、あれ?どこかで見たような俳優さんが。
尾藤イサオさんなどが出演していました。
30年前の開館時に作られた映画だそうです。
古墳館のそばに、物産館とレストランがあります。
物産館はお店の人がいなくて、監視カメラ作動中でした。
レストランはお昼だったのでそれなりに混んでいましたが、ここではランチをせず先を急ぎました。