しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

姫路城はやっぱり大きくて美しい

午前中に竹田城跡を見学し、夜の新幹線まで時間があったので姫路城に寄りました。

以前にも見学したことはありますが、昔はそれほど城に興味がなくて、もう一度来たかったんです。

その割には、興味関心の度合いが古代史ほど強くないのであまり熱心に見学していません。

姫路城は平日でも混雑

お堀越に見る姿も美しい

姫路駅から見えるその姿。駅から歩いていくと、徐々に近づいていくのがいいですね。

観光客には、外国人の方も多かったです。

現存天守の中でも大きい

現存十二天守はコンプリート。

姫路城は優美ですが、松本城もかっこいいですよね。

でも、私は「城は石垣」派なので、丸亀城が一番好きです。

鉄人くんの記念撮影(天守閣にピントが合ってる)

広すぎて天守閣にたどり着くまでが遠い。

百間廊下

長局(百間廊下)

百間廊下の見学時には、靴を持って入ります(一方通行なので)。

木の廊下は靴下だけでは結構寒い。

昔も寒かったんだろうなあと思いながら歩く。

約300mの長屋は、城外側が廊下、城内側が部屋になっていて、ヨの渡櫓には女中たちが住んでいたそうです。

照明が少なくて天気が悪いと薄暗い

また、防御のための格子窓や狭間がいくつもあって、たんなる長いだけの建物ではないと説明板にありました。

千姫

薄暗いところに座ってらしたので、ちょっと怖かった。

姫路城はもうとにかく千姫推し。家康の孫で、豊臣秀頼と幼くして結婚したけど、豊臣家滅亡の際に救い出されて、本田忠政の息子の忠刻と再婚。忠刻と過ごした十年が彼女にとって幸せな日々だったとか。

化粧櫓

天守

11月末なのに桜が咲いていました

いよいよ天守閣へ。

油壁

秀吉時代の遺構で版築で作られています。

姥が石

網のかかっているところにあるのは石臼。石集めに苦労していた秀吉の下へ、おばあさんが石臼を献上したところ、秀吉がおおいに喜んだので、それから石が多く献上されたという伝説があります。

(実際は、この石垣は池田輝政が築いたので、この話は伝説にすぎないらしいです。おばあさんは妊娠しないので、石垣がはらまないようにという縁起をかついでいるという話も書いてありました)

天守閣の最上階からの眺め

天守閣の中は暗くて、撮ったけど、うす暗くていまいち。

階段もアリのように列になって、手すりにつかまりながら上り下り。

年取ったらこの階段無理かも。

 

天守閣に登って思う。中から見るものではなくて、外から見上げるものだわ。

備前

この門の右手の大きな直方体の石。

これは古墳から出土した石棺を転用したそうです。他にもこのような石棺が使われているようで、多くの古墳が破壊されたということが想像できます。

なんてことでしょう!

私は、古墳>城なので。

播磨の国から、もしかしたらすごい錯銘鉄剣や鏡が見つかっていたかもしれないのに!

天守閣はこちらが正面?

何枚も写真を撮ったけど、どれも今一つ。

扇の勾配

石垣の中では、算木積の角のところが特に好き。

きれいに積んであって、美しく反っているこちらにまさにうっとり。

(でも、角以外は野面積みなので・・・)

 

好古園

姫路城と好古園のセット券を買ったので、好古園も見学。

池のある日本庭園で、紅葉がきれいでした。

橋から見る滝と紅葉が素敵でした

こちらも素敵

鉄人くんの記念撮影

しょっぱなから素敵で写真を撮っていたけど、カメラの性能が悪いのかあの赤さが再現できていません。

そして、好古園は広い。

朝からずっと歩き回っていたので、だんだんと疲れてしまって、せっかくの素敵なお庭も後半はざざっと見るだけでした。

赤く撮れました

城も好きだけど、やっぱり古墳ほどの熱量がないから、帰宅後もちゃんと復習をしてない。

来年も神戸公演に行く予定だけど、ただライブだけはもったいない気がする。

神戸ではなくて、大阪の博物館とか巡るようにしようかな。

 

天空の城「竹田城」へ

せっかく神戸まで来たから、関西でまだ行ってないところに行こうと竹田城へ行くことにしました。

神戸からは特急はまかぜと天空バスで

車の運転ができない私は、電車とバスで行くしかない。

 

神戸駅8:16発特急はまかぜ1号 竹田駅9:56着 (全席指定・乗車券込4700円)

JR西日本のサイトに会員登録までして予約したけど、当日でも全然大丈夫そうでした。

 

竹田駅から竹田城まで「天空バス」が季節限定で運行しています。

全但バス株式会社 竹田城跡周遊バス「天空バス」で検索してください。

2023年度は運行終了。

春夏ダイヤ:3/1から8/31。秋ダイヤ:9/1から11/30秋祭りの日以外は毎日運行)

 

10:05竹田駅発 竹田城跡10:25着に乗る予定でした。

この日、はまかぜが10分ほど遅れましたが、バスは駅で待ってくれていました。

ちなみに車で山頂まで行くことはできず、「山城の郷」の駐車場に停めて歩いて上るか(竹田城跡バス停よりも15分ほど下にあるので歩く距離が長い)、城下の「まちなか駐車場」に停めて、竹田駅からバスで登るしかないです。

ホームの写真に目を奪われる

このような雲海に浮かぶ竹田城跡を見るには、秋の早朝に行かないといけません。

竹田駅

よく見ると、後ろの山の山頂のほうに石垣が見えます。

駅の裏側から登ることも可能

50分くらいかかるそうです。

竹田城跡バス停

ここから、20分ほど登ります。

トイレ・自動販売

トイレは竹田城跡にもありますが、自販機はこれより上にはありません。夏はここで必ず水分を補給してください。

大手門コース

案内図もあるし、観光客がいるから迷わないと思います

ゆるゆると登ります。

落ちない石

落ちそうで落ちないので、合格祈願に来る学生さんがいるとか。

いよいよ竹田城跡です

観覧料大人500円。

竹田城跡の案内図

竹田城は南北400m、東西100mにおよび、現存する石垣遺構としては全国屈指のものとパンフレットにありました。日本百名城に選定されています。

15C中旬に山名持豊が完成させ、太田垣光景を初代城主としました。

その後、秀吉の但馬侵攻にあい陥落。太田垣氏に代わり、赤松氏が竹田城主になりました。

赤松広秀は、関ケ原では西軍に属し、関ケ原の敗戦後、鳥取城攻めに加わり、城下の大火の責任を問われ、自刃して竹田城は廃城となりました。

北千畳

こちらの石垣は好みに合うかな

観覧料を払って、ワクワクと登っていくと広い所に出ます。

北千畳

思わず記念撮影

見はらしがよいです

 

三の丸

三の丸から本丸を見る

たしか三の丸のベンチ

竹田城跡には、この時、同じバスで乗ってきた観光客の方たちと、ガイドさんに案内を受けているツアー団体客の人がいました。

映らないように写真を撮るのはなかなか大変。

写真を撮りながら、説明を盗み聞き。

ガイドさんたちは、やたら高倉健さんの出た映画の話をしていました。(「高倉健さんは普段は決して座らないのに、このベンチに座っていた」とか)

 

南側の城壁

上から見るとYの字のような城跡。三の丸と二の丸は北千畳から天守台に行く間の細くなっているところです。

二の丸

南千畳を見下ろす

 

順路の通りに歩きながら写真を撮ったのですが、建物がないので同じような写真になってしまい、思い出すのに四苦八苦です。

天守

本丸から三の丸を見下ろす

三の丸、二の丸と高くなり、さらに高くなっているのが本丸で、その中に天守台があります。

天守

本丸から南千畳を見下ろす

高低差があって、かっこいいです。住みにくそうですが。

南から石垣を見る


「城を見るなら石垣」派なので、竹田城はかっこいいのですが、ぴっちりした石垣が好きなので、この野面積みの石垣はちょっと・・・

山頂の石垣遺構なので、「日本のマチュピチュ」なんて呼ばれているようですね。

(私は14年前にマチュピチュに行ったことがあります。インカ帝国の石垣はそれはもう本当にぴっちりと「剃刀の刃さえ入らない」と言われるほどなので、とても好みです)

南千畳

南千畳から本丸

正門跡

山頂にあるので、見晴らしがよくて、竹田城下の街も見えてとてもきれいでした。

 

帰りは12:15のバスで

来る時は10:30過ぎにバス停について(10:25着予定ですが、しゅっぱつが遅れたため)、ゆるゆると見学して、バス停に戻ったのが12時少し前。

バス停は吹き曝しなので、待っている間が寒かったです。

(急に小雨も降ったので、余計に切なくなる)

竹田駅には12時半ごろに着きました。

12:46竹田駅発のJR播但線に乗って、寺前駅で乗換、姫路に行きました。(姫路14:17着)

途中に、「生野」という地名を見て、「生野の道の遠ければ」の生野?と思うも、関東出身の私には、どうも丹後、丹波、但馬あたりはよくわからない。

天橋立に行くのに、京都からここを通るの?

まだまだ勉強が足りないです。

 

午後は姫路城を見学して、新神戸から帰りました。

これまで、行きたいけど、ちょっと遠くて後まわしにしていた竹田城に行くことができて良かったです。

 

竹中大工道具館にハマりました

推しのライブのために神戸へ。

神戸は若い頃に行ったことがあるけれど、お買い物やお茶するのが好きではないので、ライブ以外の時間をどう過ごすかが悩み。

新神戸駅のそばに気になる博物館を見つけました。

 

竹中大工道具館

竹中工務店が作った財団法人が運営している大工道具の博物館。当初は中山手にありましたが、2014年から現在の場所に移転。

大工道具だけでなく、ものづくりの技術などの展示があります。

茶室をイメージした建物

中卒の大工の父は「女が勉強できても仕方ない。高校出たら働け」と、私が勉強するのを嫌がっていましたが、高校時代に我が家の経済状況が、バブルの影響で劇的に改善されて、私は大学に進学できました。

たばこもギャンブルもしない父は、今ではアパートをいくつも持つプチブル^^

 

そんな生い立ちをもつ私ですが、家が建ちあがっていく様子を見るのは好きです。

ビルよりも普通の家のほうが面白い。だから、近所の工事現場は気になって見てしまいます。

なので、こちらの博物館はドはまり。

道具がたくさん

道具の歴史の展示から始まり、大工道具がずらりと。

「家にもあったなあ」と懐かしく思いながら、墨ツボなどを見る。

父親が現場から帰ってきたら、ライトバンから道具箱を下ろして、道具を片付けるのを手伝わないといけなくて(定期試験前でも)、道具の名前を覚えたんですよね。

レンチを「モンキー」、一輪車を「ネコ」と言って、技術家庭の先生に驚かれた。

こちらに展示されているのは、どれもよく手入れされていて、奥には名工の逸品もあります。

模型がたくさんあって楽しい

掘り出し前

完成

木はいい匂いがしますよね。

びっしりと書き込まれた図面

 

「棟梁に学ぶ」というコーナーで、もの作りに真摯に打ち込む姿勢に頭が下がります。

 

大好きな木継ぎの模型がたくさんあって、試せるのがこれまた楽しい。

四方鎌継

斜めにずらします

何度か見てるのに、いつもどうなっているのか忘れて四苦八苦。

多分、父はこれは作れないなー。

勢いで分解してからちょっと慌てる

戻せるか焦ったけどちゃんと戻せました。

戻せてよかった

組子細工の障子

組子は釘や糊を一切使わず作られます。すごすぎる・・・
「色実の違う木材を使い、「三つ組手」や「送り卍組」に加え、浮遊した頂点や曲線を組み合わせたアラベスクや花柄には繊細な象嵌を施している」と説明文にありました。

それぞれの模様がまたすごく繊細

ロビーで井波彫刻の企画展もあって、以前、木彫を習っていたのでこれまたすごく楽しい。

超絶技巧の数々。(たしか、先生が井波で修行していたと言っていた気がする)

祭り彫刻として、曳山の鏡板の展示がありました。

今石動川原町歌舞伎山車鏡板「馬師皇の図」(一部)

初代岩倉理八(1788-1862)1850年の作品です。

中国古代の伝説上の馬医、馬師皇が龍の病気を治した場面を描いています。

馬師皇が龍の唇の下に針を刺し甘草湯を飲ませて治療したそうですが、口の中に手を入っているんですよね。

細かい・・・

欄間の彫刻もこれまたたくさんあって・・・

名工たちの作品がずらりと並ぶ

欄間彫刻って、裏はアドリブで彫るんですって。

一番下は「日本三景」初代南部白雲作

荒彫り

彫刻全体の輪郭を決める最も重要な作業が荒彫りで、親方の仕事。これで8割が出来て、その良し悪しが決まるそうです。

下削り

仕上げ彫りと加飾彫り

弟子が修行として、仕上げ彫りと加飾彫りを同時に進めながら仕上げるそうです。

最後に外周の覆輪加工後、木と木を連結していた「つなぎ」を取って完成です。

 

老眼になったのと、指先に力が入らなくなって木彫をやめてしまったけど、素晴らしい作品を見ているうちに、またやりたいと一瞬思う。

でも、すぐに「素晴らしい作品を見ても、自分が作れるはずないのに」とすぐ考え直す。

一滴庵の見学

館内の無料のガイドツアーもありますが、ちょうど一滴庵という茶室の公開にあたり、こちらも説明付きで見学させていただけて、とても楽しかったです。

三つの茶室を見学しました

茶室建築の基本を教えてくださったのですが、メモを取らなかったのですっかり忘れる。燈籠や手水鉢の石についても教えてくださったのに・・・

一緒に回った若い女性は熱心にメモを取っていた。学生さんかな?

お庭も素敵

 

石庭に水紋のような演出

とても楽しかったので、お薦めです。新幹線の時間が余ったらまた行きたい。

 


「とんぼ玉ミュージアム

ビルの2階のこぢんまりした美術館

ライブ開始まで少しだけ時間が余ったので、旧居留地にある「とんぼ玉ミュージアム」にも行きました。

「花咲くガラス2023」展をやっていた

古代ガラスのコーナーは撮影禁止ですが、古代のガラス玉もすごいと思う。

現代作家の作品も展示してありました。

今回の展示の作品もきれいでした。

ガラス細工の花

紫陽花が素敵

ペーパーウエイトなのかな?


こちらの美術館では、作家さんの作品やガラスのペン、トンボ玉なども販売しています。製作体験もできますが、例のごとく「素敵」から「欲しい」までが遠い私はさっくり退場。

 

 

熊本古代史旅⑧オブサン古墳とチブサン古墳、江田船山古墳

いよいよ充実した古代史旅も最後。

友人がつきあってくれて非常に楽しかったです。
楽しい時にリアルタイムで楽しいと言いあえることの嬉しさ。

山鹿市立博物館

博物館の写真を撮り忘れました。入場料270円。館内は撮影禁止です。

装飾古墳館の多くのレプリカを見てきたので、少し寂しい感じ。

ここは、チブサン古墳の見学をする際の集合場所でもあります。

スタンプラリーに応募

スタンプラリーがあり、それぞれのスタンプが可愛かったです。

千葉から三つも周る人なんて少ないだろうから、どうかお米があたりますように。

2ヶ所以上で1口。私たちは鞠智城、装飾古墳館、山鹿市立博物館で3つ集めました。

古墳の森散策

博物館から1kmほど歩くとチブサン古墳

天気が不穏で傘を持って行く。

方形周溝墓や古墳が点在

苔むして雰囲気あります

西福寺1号古墳

中央部を近世の掘り道として断ち切られていました。

この一帯は、畑地として開墾され、段々畑状となっていたのを、整備前の試掘調査により周濠も見つかり、円墳として復元されました。

掘り道は園路として生かして、古墳の森へのタイムトンネルとして活かしたと説明文にありました。

村田三介戦死の地の碑

古代ほど近世に熱意がなく、薩軍のこの方を存じ上げなかったけど、調べてみたら意外と有名人でした。

陸軍少佐で、西郷隆盛と共に下野して、西南戦争に参加。乃木希典から軍旗を奪うという活躍をした人だそうです。

(というより、乃木希典がちょっとアレなんじゃ・・・)

オブサン古墳

オブサン古墳

チブサン古墳のそばにある6世紀末から7世紀初めに作られた円墳。

帰宅後調べたら、なかなか由来がある古墳でした。

阿蘇泥溶岩で作られた石室を持ち、豪族の墓として作られました。

平安時代にも、地元の有力者が墓として使用(副葬品から判明)。

江戸時代には、付近が開墾され、墳丘は削られます。しかし、近くに「チブサン古墳」(お乳がよく出るというご利益が広まる)があり、こちらは「産ぶさん」という安産の神様として信仰が広まり、江戸時代の銅銭などが出土しています。

西南戦争では、政府軍の陣地として利用されたとのことです。

石室平面図

前室まで入れました。

玄室には入れない

装飾はなく、石屋型の石棺でした

友人が撮っていた内部からの写真

扉石がどかされた時の景色ってこんな感じなんですよね。

近くに扉石などの展示あり

チブサン古墳

その後、傘を差しながらチブサン古墳を探します。

チブサン古墳までの道が黒い石で舗装されているのですが、すごく滑るので気を付けてください。ぐっとこらえたけど、危なく尻もちつきそうでした。

古墳に着くころ急に晴れました

6世紀後半に作られた前方後円墳。割石を積み上げて作られた石室の中に、石屋型石棺が置かれ、壁に赤黒白で装飾されています。

この絵が乳房に見えるからチブサン古墳って・・・

装飾古墳館のレプリカ

事前予約すると土日祝に内部の見学ができるようです。

私たちは平日に行ったので見られません。

これでほぼ目的達成ですが、福岡空港に戻る前に、友人が江田船山古墳にも連れて行ってくれました。

江田船山古墳

「道の駅きくすい」のすぐ隣に、古墳公園として整備されていました。

どうやらイベントがあるようで、のぼりやテントの準備をしていました。

公園内の駐車場に停めて、どれが江田船山古墳なのか案内図を見ながら探します。

江田船山古墳

5世紀末から6世紀初めにかけて築造された三段築成の前方後円墳。墳丘長62m、造り出し、周濠があります。

模型

石人、石馬も見つかっていますが、この古墳を有名にしたのは「銀象嵌の鉄剣」です。

国宝指定され、東京国立博物館にありますが、教科書には埼玉の稲荷山古墳の鉄剣と並んで、この時代の重要な資料となっています。

台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□弖」から、ワカタケル大王(雄略天皇)の時代には、典曹人(文官)という役職があったこと、「无□弖(ムリテと教科書には載る)」がヤマト王権の役人についたことなどが分かります。

多くの副葬品が出たことからも、地方の豪族ながらムリテはなかなかの権力者。

もしかしたら、磐井と対立していたかも?なんて妄想も楽しいです。

江田船山古墳は内部見学が自由です

「見学する時は扉を閉めて」とあるけど、閉じ込められたら怖いので開けたまま見学。

玄室内はガラス戸の向こうで入れません

ガラスが水滴でものすごく曇っていて、遺跡保護として大丈夫か心配。

石人のレプリカも展示

公園内は古墳だけでなく、古民家も移築されていました(見ていないけど)

 

有名な古墳を見ることができて、非常に満足でした。

復習をしていても、なかなか今回の旅行も良かったと思う。

 

飛行機が飛ぶかハラハラ

朝の鞠智城や装飾古墳館くらいまでは、曇り時々雨で寒いくらいでしたが、チブサン古墳や江田船山古墳の見学の頃は急に晴れました。

高速で虹が見られました

福岡空港から飛ぶ予定の私も安心と思っていました。

友人に空港まで送ってもらって、お土産買って、友人と別れてゲートに向かいます。

が、そのころ、急に福岡空港付近に雷雲発生して、遅延が発生し始めました。

LCCだから、遅延するとこの日帰れないかも、とハラハラしましたが、少し遅れただけで無事に帰れました。

私は働いていないので、一日帰りが遅くなるのくらいなんともないのですが、たまたま帰宅翌日に別の友人たちが来てくれることになっていたので。

 

今回は、車だったからすごく楽でした。つきあってくれた友人に感謝です。

ドライブ中も毎晩部屋でもしゃべり倒していた。

普段、ほとんど発語をしない生活を送っているのでとても楽しかったです。

数少ない歴史好きな友人。次はどこに行く?と相談してます。

 

これからも、趣味の旅行ができるように心身ともに元気でいないとと思いました。

熊本古代史旅⑦熊本県立装飾古墳館

今回の旅のメインの熊本県立装飾古墳館に来ました!

備忘録を兼ねるので、長いです。

装飾古墳王国・熊本

全国に20万基以上の古墳が作られましたが、装飾古墳は660基です(過去に滅失して、もっと多かったかも)。

そのうち、九州に386基、熊本県には195基、菊池川流域は117基見つかっています。

古代を知りたいと思うと、文字資料ができる前の時代は、どうしても古墳からの出土品や古墳の築造方法などが糸口になります。

どうして、近畿に少なくて、九州にこんなに装飾古墳が多いのか。

一応、今回の旅行の前に予習はしました。

xiaorenretirementlife.hatenablog.com

友人と旅行の計画を立ててから、チブサン古墳は土日なら申し込めば内部見学ができることを知るが、退色した実物より、検証にもとづく復元のほうがわかりやすいので、私は復元でも構いません(やせ我慢)

今年の2月に行った福岡の王塚古墳の資料館もレプリカだったけど、すごく良かったので期待していきました。

熊本県立装飾古墳館

安藤忠雄氏設計の建物

ころう君かと思ったら違いました

平日午前中で、見学者が私たち二人でした。

入場料430円。これまで無料の資料館ばかりだったので、ちょっと驚く。

これだけの建物が無料のはずないのに。ちゃっかりしすぎ。

建物が安藤忠雄氏で、建築科の学生さんが見学にくると言っていました。

展望デッキから岩原古墳群を見渡せます

以前、アクセスを調べていたら、公共交通機関で行くのはかなり難しくて、山鹿バスセンターで自転車借りて、鞠智城と合わせて一日かけて周るしかないかと思っていたら、友人が車をだしてくれたので、本当にありがたかったです。

 

さすがに、三日目はCNBLUEではなく、日本のバンドで私の好みに合いそうなグループを教えてもらう。歌が上手くて曲がよいのは多いけど、かつイケメンというのがなかなか難しい。

「Mrs.GREEN APPLE」イケメンでないのが惜しいけど、いつもKPOPばかり聞いてるから、日本語で刺さる歌詞はいいですね。

 

閑話休題

企画展「板石積石棺墓に葬られた人々」

古墳時代の南九州特有の墓に板石積石棺墓というのがありました(初めて知りました)。

解説パネル

板石が積まれている様子は、イタリアのアルベロベッロみたいと話す。

なんだか石杭は歯茎にささる歯の根みたい。

石杭

板石積石棺墓は、古墳時代前期から中期に作られ、鹿児島県西北部の沿岸地域から川内川を遡った伊佐地域、宮崎県えびの盆地などが分布の中心でした。

熊本県南部の天草、水俣、芦北、人吉、球磨地域にも見られます。

なんとなく、支石墓の時代(弥生時代)の墓と思って見ていたので、古墳時代の石棺と知って驚いた。装飾古墳が生まれていく一方で、こんな形の石棺もあったんだ。

ホールにあった広開土王碑の拓本 大きい!

この後、地下に降りて、装飾古墳の復元模型を見学します。

装飾古墳室

kofunkan.pref.kumamoto.jp

古墳館には実物大のレプリカがあって、中には入れないものの見ることができます。

王塚古墳のレプリカは中に入れたのに、ちょっと残念。

古墳館のサイトでは、360度のVR体験ができます。大きさは現地で体験して、内部はサイトで確認といった感じです。便利な世の中ですね。

だけど、せっかくレプリカ作ったんだから、王塚古墳みたいに中に入れてくれてもいいと思う。

鴨籠古墳石棺

レプリカ。実物は県立美術館に

宇城市不知火街にある鴨籠古墳の石棺。石室には装飾はなく、石棺に装飾されています。

5世紀後半に作られた径25mの円墳。

彩色が落ちています

直線と弧線で表現する直弧文が石棺の屋根全体に描かれています。赤と灰色で塗られていたようです。石棺の中には、頭を置くための石枕が削り出されていました。

直弧文って誰が初めに考え付いたんだろう?

 

小田良古墳

現地では埋め戻されて保存

宇城市三角町。5世紀。元は平たい石を積み重ねてドーム型の屋根があったと考えられます。

三つに分かれているのは複数人を埋葬するため。

円文、靫、縦などが描かれています。彩色無し。

装飾古墳は八代海沿岸から始まったと考えられていて、同心円文は八代海沿岸にもあり、菊池川流域につなぐ特徴があり、とても重要とのこと。

 

井寺古墳

羨門立柱石の側面と前面にも直弧文

上益城郡嘉島町。6世紀初めの築造。径30mの円墳。

積み上げられている石室の石は、阿蘇のピンク凝灰岩(馬門石)

高槻にある今城塚古墳(継体天皇陵と推定される)にも阿蘇のピンク凝灰岩の石棺があります。

横穴式石室の石障の内面と上面、羨道の壁面、羨門立柱石の側面と前面、羨道天井石の先端まで装飾有り。

旧京都帝大の濱田耕作が「直弧文」と名付けた文様で装飾されています。

ベンガラの赤や、白、緑で塗り分けが始まりました。

コンパスや定規を使って描いたのかな?何を表しているんだろう?

具象の絵よりも気になります。

平成28年熊本地震以来公開していないそうです(ということは以前は公開していた)。

千金甲(せごんこう)1号古墳

同心円文、三角文、靫など。彩色あり

熊本市西区小島町。5世紀(解説シートとサイトの詳細のほうには6世紀初めとある)。

石障内面に装飾をしています。同心円文、靫などで、赤、黄、緑の彩色あり。

弓や盾もあわせて描くのではなく、靫って?気になります。

大正10年に国史跡に指定されています。

チブサン古墳

それぞれのレプリカの前に解説シートあり

こんな感じで中には入れませんが、雰囲気を感じることができます。

目玉に見えるけど

山鹿市城にあり、6世紀前半頃に築造。円筒埴輪の他、石人出土。前方後円墳

赤白黒で、連続三角文と円文を描く。

二つの黒丸が乳房に見えるからというけど、男性の発想ですよねー。

私は顔(目と鼻と口)に見える。

石屋型の右壁には、両手を広げた人がいます。

右の石に描かれている人

古墳館で写真撮り忘れたので、山鹿市立博物館でみかけた石で紹介します。

この人物、朝鮮半島南部の王冠とも共通する形と解説にありました。(新羅伽耶の前立てのある冠に似てなくもない)

土偶と違って、宇宙人説はないんだなあ。

石障から石屋型になり、家のような石屋型に石棺の代わりに遺体を収めました。

土日に予約していくと見学できます。

大坊古墳

前室が大きいのか玄室が遠い

玉名市玉名。6世紀。全長約54mの前方後円墳。前室と玄室があります。石屋型の奥壁に装飾しています。

三角文、円文を連続していて、赤、黒、灰色で彩色。

大量の副葬品が出土。耳環、勾玉などの装身具、直刀、鉄剣、鎧、馬具類、須恵器、土師器など。

昭和52年に国史跡に指定されて、定期的に公開されています。

 

装飾古墳が時代を経るにしたがって、宇城市嘉島町熊本市玉名市と北上して、菊池川沿いにやってきましたよ。

 

弁慶ケ穴古墳

弁慶ケ穴古墳

山鹿市熊入。6世紀終わりごろ。径15mの円墳。

同心円文、人物や船、馬などが描かれる。赤白黒灰色で彩色。

舟に乗る馬

描かれている船は死後の世界「黄泉の国」へ向う船で、乗せてあるものは棺とも考えられます。棺の中には魂と考えられる赤い点が置かれ、魂を天に運ぶ鳥が棺の上に乗っています。当時の人の死後の世界観が表現されているとする学説で有名です。」とありました。ゴンドラのような舟は福岡の装飾古墳にもよく描かれています。

鍋田横穴群第27号墓

鍋田横穴群第27号墓

7世紀。山鹿市鍋田。弓を持った人物が子どもの絵みたい。

 

これで、だいたい撮った写真は整理したかな?

写真を撮っても撮りっぱなしだと分からなくなってしまうから、覚えているうちに復習しないと。

映像に有名人が参加

「11時半から映画をやります」と言われ、時間になると私たち二人だったので「好きな映画を選んでいい」と言われる。

当初の放映予定だった「生きている石人」にしました。

見ていると、あれ?どこかで見たような俳優さんが。

尾藤イサオさんなどが出演していました。

尾藤イサオ浅茅陽子などが出演

30年前の開館時に作られた映画だそうです。

鞠智城物語にすればよかったかな

古墳館のそばに、物産館とレストランがあります。

物産館はお店の人がいなくて、監視カメラ作動中でした。

レストランはお昼だったのでそれなりに混んでいましたが、ここではランチをせず先を急ぎました。

熊本古代史旅⑥鞠智城跡

これまで、下関の友人を訪ねると、決まって雨に降られていた。

(多分私が当時安倍元首相や長州藩の悪口ばかり言ってたからだと思う)

今回は、初日は晴れ、二日目は曇りだったが、とうとう最終日は曇り時々雨になってしまった。

最終日は、山鹿市の古代山城と装飾古墳館に行きました。

鞠智城

復元された八角形鼓楼と米倉。

嬉しくて駐車場に友人を置いて一人先に行く

以前の職場のパート仲間に城好きのお姉さまがいて、「日本100名城」を制覇し、ついでに「続日本100名城」も周っていた。

が、戦国時代のいわゆる普通のお城好きにとっては、「たまにある古代の城が興味ないから困る」とのこと。

例えば、福岡の大野城(100名城)やこちらの鞠智城(続100名城)など。

しかし、私にとっては、古代の山城のほうが興味関心があります。

 

鞠智城は、白村江に敗れたヤマト王権が、7世紀後半に百済からの亡命貴族の協力を得ながら作ったという山城です。

鼓楼は、遺構を傷つけないように場所をずらして、平成11年度に復元されました。

高さ15.8m、三層作りで、屋根の瓦の総重量は76tにもなるそうです。

復元に使用している木材は、すべて県産の檜で、避雷針もつけてあるそうです。(多くの塔が落雷で焼失しているため)

テンションあがる鉄人くん(嘘。無理やり連れてこられた)

地図を見ると、玄界灘からかなり遠く、唐や新羅が攻めてくるにしても、ここがそんなに重要だったのか?など色々妄想が膨らみます。

有明海からの進路を想定?隼人に対する防衛線?

校倉作りの米倉

見張りや太鼓の音で時間を知らせた「鼓楼」と、一部の建物が復元されています。

礎石のあとから大きな建物だと思う

本当は、鼓楼の向こうに阿蘇の外輪山が見えるのですが、ものすごい霧で全く見えません。

ゆるキャラはころう君

鞠智城ゆるキャラ「ころう君」

帰宅後、ころう君のYouTubeを見てしまった(ころう君がなんか色々やるチャンネル)。

ころう君は頑張っていましたよ。

たまたま見たのは、同じく古代山城の岡山の「鬼の城」に行き、岡山のゆるキャラたちが友情出演してました。再生回数の少なさからいつまでころう君が頑張れるか心配です。

ちなみにころう君は防人で、語尾に「~ころ」と言います。

資料館前にあった銅像

防人のうたというと萬葉集にもせつない歌がいくつも載っていますが、

私は世代なのか、さだまさしの「防人の歌」を連想してしまいます。

子どものころテレビで映画見ながら泣きました。今の子にはなぞの歌詞ですよねー。「♪海は死にますか 山は死にますか~ 教えてください」って言われてもね。

温故創生館

入ったらまず、私たち二人しかいないのに、ミニシアターのような立派な鑑賞室で、紹介映像を見せてもらいました。

地元の小学生とそのお父さんが、鞠智城を紹介しているいい映像でした。

(後で、サイトを見たら、三池崇史監督、根津甚八石橋蓮司大杉漣、はた三恵、江守徹が声優をつとめ、ナレーターが竹中直人という「鞠智城物語 防人たちの唄」という30分もの映像もありました。

この映像は、熊本県立装飾古墳館でも見られます。昔はお金をかけてたんですねー。)

熊本県立工業高校の生徒が作ったジオラマ

鞠智城は、周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもち、昭和42年度からの県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡などの遺構が発見されています。

土塁が整備され歩けますが、猪なども出るから単独行動は慎むようにとのことです。

発見された鼓楼の基礎の跡

復元されている鼓楼は、掘立柱の跡が発見されたので復元されました。

国内の古代山城には、八角形建物はなく、韓国の二聖山城(ただし、こちらは礎石建物)の影響を受けているのではと推定されます。

八方位を宇宙の象徴とする道教の宇宙感の影響があると思われます。

同時代の牽牛子塚古墳(斉明天皇陵ではないかと注目を浴びている)や、御廟野古墳(天智天皇陵)が八角墳と言われています。

県立球磨工業高校製作の模型

さすが工業高校の建築課。

構造模型もあり

三層作りで、一層目に49本(芯柱含む)、二層目、三層目に16本ずつの柱があり、屋根の重みで建物本体が支えられています。中心部を突き抜ける芯柱は最上部のみで接合していて、やじろべえの軸のようで、地震のときは揺れを吸収し、建物の倒壊を防ぎます。

出土品の展示もあり。

銅造菩薩立像(復元とレプリカ)

現物ではないですが、こちらの山城から、百済系の銅造菩薩立像が出土しています。

ほぞを含む高さ12.7(像のみ9.7)cm、幅3.0cmの小型仏。百済製と推定されるので、「百済の亡命貴族の指導で築かれたとする鞠智城の歴史的背景を物語る貴重な資料」と説明文にありました。

こちらは新羅系の耳飾り

これは、出土品ではなくて韓国から贈られたものコーナーにあった気がします。

新羅の耳飾りは、耳につける部分が太いのが特徴です。(日本や百済は細環が主流)

これで、見学を終えて次に向かったけど、二階にもくまもんや鞠智城の写真や兵馬俑の展示コーナー、園内を見渡せる休憩所などがあったようです。

 

妄想ができて、なかなか楽しい時間でした。

 

熊本古代史旅⑤阿蘇で見つけたかわいいお店

珍しく古代史ネタでも推し関連でもない話。

阿蘇カフェティッペル

友人の運転で高千穂から熊本へ帰る途中、かわいいお店発見。

木組みのかわいいお店

開いているようなので寄り道。

ドイツの国旗

こちらのお店はドイツのザイフェンから取り寄せた木のおもちゃや雑貨を扱っていて、カフェでは手作りバウムクーヘンがいただけます。

私たちは、バウムクーヘンをお持ち帰り。

バウムクーヘンを焼いている様子が見られます

とにかくかわいいこのお店。撮影OKだったので写真撮りまくり。

窓辺のオーナメントがかわいい

サンタクロースやくるみ割り人形

季節柄クリスマスの飾りが多かった

かわいい雑貨がたくさん

魔女の飾り物だけはあんまりかわいくない。

友人は、蝋燭でまわるクリスマスの飾りをお買い上げ。

私も「かわいい」とは思うんですよ。でも、「欲しい。連れて帰りたい」までの距離が万里はある。

見るだけで満足なんです。

 

cafe-tippel.com

 

米塚

友人が帰り道にある米塚に寄ろうと言う。

なんだろう?と思っていたら、かわいい小山でした。

絵にかいたような山

高さ80m、約3300年前の噴火で形成されたとのこと。

観光スポットとして熊本県の観光情報サイトにありました。へぇー。

この角度がよく写真で見るようです

頂上部分がくぼんでいるのが特徴らしいです。

外輪山が遠くに見えて、カルデラが大きいなーと思いながらドライブ。

このとき、夕方の四時半を過ぎていて、曇ってはいるけどこうして景色が見られることが不思議。

九州は関東より一時間くらいは日の入りが遅いんじゃないかな。

我が家のほうは、11月は4時には「良い子はお家に帰りましょう~」の放送が流れます。

道の駅でお弁当

ドライブ中に道の駅をよく見ました。

私は運転ができないので普段は気にも留めないけど。

トイレ休憩も兼ねて、道の駅に寄ったらお弁当などが半額になっていたので夕食にしました。

奥)赤牛コロッケ 手前)馬肉丼

私はあまり名物とか特産にこだわらないけど、熊本はやけに馬刺しの看板を見たから、馬肉が有名なのかも。

道の駅の地図

道の駅のガイドマップだけど、地形がよく分かって面白かった。

外輪山の西側が決壊して流れたことがよく分かる。

島原大変肥後迷惑」の島原は長崎のイメージしかなかったけど、熊本の対岸ですごく近い。そりゃあ大変だと思う。

関東に住んでいると、九州の地形なんて考えたことなかったけど、歴史の勉強するなら地図を横に置いて確認しないといけないなーと思った。