推しのライブのために大阪へ。
関東も暑いけど、大阪半端ないーー、
古墳巡りをしたいところですが、博物館で涼みました。
谷町線四丁目駅そば、NHKビルの6階から10階までが展示フロア。
地下の遺跡部分はガイドツアーで見学するのですが、今回は時間があわず残念。
以前行ったときは、私一人なのに、前のめりに質問攻めにしてしまっても、ガイドさんが時間オーバーしてつきあってくれるほど丁寧でした。
古代の難波
エレベーターでまず古代の難波へ。
難波宮の役人や官女たちがいて、テンション上がります。
高御座にあらわれた天皇の姿を隠すため、大極殿の左右に分かれて翳(さしば)をかかげました。左右各9人。朝服で復元されています。
奥の少納言は、天皇の近くに仕え、臣下との間で事務の伝達、印鑑の管理などを行った太政官の役人。3人とも礼服着ています。
命婦は天皇の近くに仕える上級の女官。高御座の左右にあって威儀を正しました。威厳ある厳しい表情です。
ここから、難波宮跡が見えるのもいい。
大阪城は、下の階に行くエスカレーターホールで見ることができます。
目と鼻の先にあるけど、暑くて行く気にならない。
この博物館は、復元の人形やジオラマ、出土品の展示スペースでできていて、ジオラマ好きな私はとても楽しい。
展示品は複製も多くて、それほど充実していないけど。
前期難波宮(大化の改新後すぐ)は、掘立柱形式で屋根は板葺きという古来の建築様式なのに、中国風の八角形の楼閣もある。屋根や柱は白木のままだったのではないかと。
後期(奈良時代)難波宮は、北側に内裏、南に大極殿と朝堂院を配置し、朱雀門を復元。朝堂院は、中央の広場のまわりに、8つの朝堂を置いて、ここで政策を決めたり、儀式や外国使節のもてなしをしました。
大極殿や朝堂院など公的部分は唐風に瓦葺き屋根と赤い柱で、内裏(天皇の居住部分)は塗らず檜皮葺屋根、柱は白木のままで作っています。
町人の町大坂
運河が多くて水の都と言われていたとか、武士が少なくて町人の街だったとか説明があります。
すごく細かく作ってあるジオラマで、軒先に犬が寝てたり、子供が走り回ってたりする。
近世の江戸時代の大阪のジオラマで、江戸と大阪の違いの説明がちょいちょいありました。
大八車や亀を動けなくする方法とか(亀ってそんなに飼ってたのかな?)
ジオラマ好きというか、ミニチュア好きとしては、歴史的な興味と関係なく見ていて楽しい。
作るの楽しそう。
しかし、こういうのを見ると、大阪の人は東京を意識しているなあと思う。
大阪出身の夫さんは、東京と比べて、大阪が優れているところがあるとドヤっていた。
何があったか忘れたけど。
江戸っ子の私は、大阪を気にしたことなんてないんですけどねー。
エスカレーターで右に立つのを見て、大阪に来たと思う。ちなみに韓国も右。
今回、推しのライブでばん!と撃つと、撃たれる真似をする大人を間近でたくさん見て驚いた。
ヨンファたちにも撃たれろと強要するし、自分たちもうぅってしてた。ひゃー。
大大阪の時代
話が大いにそれましたが、なぜこんなことを書いたかというと、近現代のフロアが大大阪の時代というテーマなので。
昔、大東京音頭を夫さんに教えてあげたら、「東京に大なんかつけちゃってやらしいなあ」と言われたことを思い出す。
大正から昭和初期は産業商業の発展著しく、帝都東京よりも人口が多かったんですよね。
鉄道会社が近郊の住宅街を開発した説明もあった。
写真は撮らなかったけど、そういった近代的な家に帰宅した、外套とマフラーを身にまとい、ハットをかぶったメガネのお父さんを玄関で女の子が出迎えるマネキンを見て、外国人観光客の親子が指さしてヒソヒソ言っていた。
帽子とロングコート(多分中は和服)なのに、草履と足袋だったのが不思議だったのかなあ。
大正レトロっぽくて私は好きなんだけど。
大阪城の天守閣の再建と、学区廃止前に小学校の近代的校舎のかけこみ建設が同時期で、市長が任期中に成果を出したくて寄付を集めたとか、へぇーと思いながら見る。
富裕層の多い学校は設備がよくて、格差があったとも書いてあった。
天守閣と学校とどっちが多く集めたのか見逃してしまった。
日本語版のパンフレットが品切れ。英語に自信がなくてハングル。
聞き取りは苦手だけど、読むならなんとか(辞書引くけど)。
「천하 무쌍의 성」の、「천하 무쌍(チョナ ムサン)」の文字に、韓国でも天下無双っていうんだあと面白く感じる。(発音は違うけど)
英語だと何て言うの?調べる気にもならない。
「特別展大化の改新の地、難波宮」
今年は難波宮発掘から70年。都市開発で破損する危機との戦いの中、発掘研究を進めてきたそうです。
改新の詔は後日の創作などと言われていたけど、最近の研究ではそうでもないようです。
目と眉の他に口が開くようにつくられた「口あき文七」の首で演じられる。
この動きのおかげでより憎らしい表情を生み出すとか。
今回は多武峰縁起絵巻の展示があり、有名な大化の改新のシーンがあり、おぉーーと見る。資料集で見たことあるもの(撮影不可だった)で、ワクワクした。
宮殿の瓦の展示がありました。
先日、韓国行ったときに瓦を見たのですが、瓦って何をどう見たらいいのかよく分からない。
「摂津名所図会」の巻之一の冒頭は、仁徳天皇の「高津宮」
江戸時代の人にとっても、難波にあった古代の宮は興味の対象だったそうです。
目録には、応神天皇の大隅宮、孝徳天皇の長柄豊崎宮、味経宮と続きます。
高津宮は、今年になってから行きましたよ。
xiaorentraveldiary.hatenablog.com
長柄豊崎宮が前期難波宮として、まだ大阪の地理に詳しくないので、どれだけ距離があるのか(地下鉄に乗って、とかでなく、古代の人の距離感覚で)が分からない。
気候のいいときに歩いてみたい。
ケースの中に展示品の写真があって(木簡なのでずっと展示していると傷むのかも)、写真を展示?と興ざめ。ケースを減らすかべつのものを展示するとか工夫してほしかったなあ。
これで、特別展1100円は高いような・・・
ちょっと文句が多くなってしまったけど、ジオラマ好きには楽しい博物館です。
近くに、難波宮の跡と、大阪城がありますが、炎天下の中歩く気にならず退散ーーー。