山の辺の道と桜井市には古代日本の宮があったとされる場所がいくつかあります。
朝堂院や大極殿などが整うのは7世紀以後のことなので、それ以前は宮殿というよりは大王の屋敷なのではないかと思います。
そう思うのは藤原京以降は条坊制の都市となり広い平野にありますが、古代の宮伝承地が山の奥であったり、川沿いであったりと大きな宮殿が建てられるような位置にないためです。
そういうことも実地検分で分かりました。妄想する材料も必要です。
この日は桜井駅でレンタサイクル900円/日を借り、9:00~17:00過ぎまで自転車と徒歩で大移動しました。
- 第29代欽明天皇・磯城嶋金刺宮
- 第21代雄略天皇・第25代武烈天皇
- 忍坂街道・舒明天皇陵・鏡女王墓・大伴皇女墓
- 第32代崇峻天皇・倉梯柴垣宮
- 崇峻天皇陵
- 第17代履中天皇・磐余稚桜宮・稚桜神社
- 第31代用明天皇・磐余池辺雙槻宮
- 第22代清寧天皇・磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)・御厨子神社
- 第30代敏達天皇・訳語田幸玉宮・春日神社
- 桜井の地名の元となった桜の井
- まとめ
第29代欽明天皇・磯城嶋金刺宮
桜井駅から初瀬川を目指します。川沿いの磯城嶋公園に欽明天皇の宮跡があります。
仏教公伝の地の碑は別の場所にもあります。
欽明天皇は仏教を百済より正式に受け入れた天皇。敏達、用明、崇峻、推古天皇の父。
すぐそばに海柘榴(つば)市もあり、当時は国際色豊かな地域だったとのこと。
次は自転車で伊勢街道(国道165号線)を長谷寺方面へ向かいます。
第21代雄略天皇・第25代武烈天皇
xiaorentraveldiary.hatenablog.com
忍坂街道・舒明天皇陵・鏡女王墓・大伴皇女墓
雄略天皇の二つの宮跡と、武烈天皇の宮跡、ダンノダイラで午前中はつぶれてしまいました。
次は忍坂街道へ。
ご祭神:稚日女尊(伊弉諾命・伊弉冉尊の御子で天照大神の妹神。またの名を丹生比賣神)、衣通姫尊(第19代允恭天皇の皇女。美しさが衣を通してしまうほどの美女)
衣通姫尊の「産湯の井戸」の伝承地とされる井戸の石積跡が見つかり復元したそうです。
舒明天皇は天智天皇・天武天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)の父で、妻は斉明天皇。舒明ファミリーすごいですね。
文久年間の記録によると石棺が2基あり、舒明天皇と母親の田村皇女と言われています。夫は母親と、妻(斉明天皇)は孫(建皇子)と合葬されるというのはいったいいかがなものか・・・
「秋山の木下隠り逝く水の吾こそ益さめ(まさめ)御念(みおも)ひよりは」という歌は中大兄皇子(天智天皇)に贈った歌です。
この歌は中大兄皇子の「妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを」に答えた歌です。
大伴皇女は欽明天皇と堅塩姫(蘇我稲目の娘)の皇女です。兄弟に推古天皇や用明天皇がいます。あまり存じ上げないので迷いましたが、ここまで来たからにはお参りしようとまた登り坂。
舒明天皇・鏡女王と大伴皇女は特に関連もないのですが、同じ斜面を登って行きます。この時は秋だったので虫もいないし、草丈も低かったですが、夏は虫除けスプレー必須な感じです。
第32代崇峻天皇・倉梯柴垣宮
この碑は桜井市総合福祉センターの敷地内にあります。すごく探しましたよ。崇峻天皇の時に蘇我氏と物部氏の対立が激化して丁未の乱がおき、物部氏が没落します。その後権力を独占した蘇我氏に崇峻天皇は暗殺されることになります。
崇峻天皇陵
臣下に暗殺された天皇と言うのはこの方くらいのような・・・(幕末の孝明天皇も薩摩に暗殺された噂ありですが)
第17代履中天皇・磐余稚桜宮・稚桜神社
磐余の池のそばの小高い丘の上にある神社です。わかさくら神社というのが桜井市のあちこちにあるので混乱しますが、ここ「稚桜神社」も履中天皇の磐余稚桜宮の跡と思われます。(桜井駅のそばの「若桜神社」も稚桜宮伝承地とされています)
第31代用明天皇・磐余池辺雙槻宮
継体天皇の磐余玉穂宮は磐余の池のあたりにあったのだろうと過去記事で紹介しました。
用明天皇(聖徳太子のお父さん)の磐余池辺雙槻宮は、おそらくこの磐余池の近辺なのでは?と。
もう一か所、石寸山口神社も候補地とされています。
この石寸山口神社は雙槻神社ともいわれていたことがあるためですが、磐余池辺雙槻宮(用明天皇)は磐余池辺とあるので、低地の磐余の池のそばだと個人的には思います。
第22代清寧天皇・磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)・御厨子神社
第30代敏達天皇・訳語田幸玉宮・春日神社
磐余の池付近から北上、近鉄、JRの線路を超えていきます。
ここから桜井駅までは自転車で10分とかかりません。
自転車を早めに返してと朝言われていたので16時半頃に返却しました。
その後は、徒歩で桜井駅から近い所にあると思われる「桜の井戸」を探しに行きました。
桜井の地名の元となった桜の井
まとめ
今回は桜井市にある宮跡を周ってみました。
山の辺の道にある纏向日代宮(第12代景行天皇)・纏向珠城宮(第11代垂仁天皇)、磯城瑞籬宮(第10代崇神天皇)と、
天理市にある石上広高宮(第24代仁賢天皇)の宮跡は次回にしました。
山の辺の道、履中、雄略、武烈と初期の天皇の宮はどちらかというと山の麓というか山の近くにありますね。
それが、だんだんと低い広い平野に出てきたように思います。
藤原京、平城京、長岡京、平安京など有名どころ以前の宮の場所を周るというのも、どうしてここに宮を?と妄想するのは楽しかったです。
継体天皇の4つの宮も探し回って実際はどんなところにあったのかを考察することは面白かったです。
本当に疲れましたが、マニアックなテーマで観光するのもいいなと。
ただ、ついてきてくれる人はいないので一人で探求することになりますが。