これまで電車の中から復元された朱雀門を見たことはあっても平城宮に行ったことはなかった。
と書いたところで古い記憶をたどってみたが、一番初めの朱雀門の復元工事さえ平成五年なので、やはり復元、整備された平城宮史跡公園を訪れたのは初めてだと思います。
大和西大寺駅から歩いて15分ほどでしょうか、まず資料館から見学開始です。
第一次大極殿
手前の回廊に西楼、南門、東楼。
北側を一段高くして大極殿と後殿を配置、段の南側は儀式のときに旗や幟を立て、貴族たちが整列したところです。
広さは南北320m、東西180m広いですね。
第一次大極殿は恭仁京遷都の時に回廊と共に移築されたそうです。その後、山城国分寺に施入されたそうです。
奈良時代後半の第二次大極殿は、内裏の南側に作られ、この第一次大極殿があった場所は称徳天皇の西宮として利用されたとのことです。
奈良時代に遷都はあっても、平城宮の中に大極殿が第一次、第二次とあるのはなぜだろうと思っていた謎が解けてスッキリ。
こういうの好きです。
「あおによし、それもよし」という奈良時代にタイムスリップしたミニマリストのギャグマンガを読んでいたので、この部屋では調度品が多くて山上は落ち付かないといいそう、などと思う。
復元された大極殿に入ります。
二階に登って中に入ると高御座が見えました。
この時思ったのは「長岡宮はアプリだったけど、平城京はお金かけてるなあ」でした。
今上陛下の即位の際の高御座は混雑していて見ることができなかったのでこちらで妄想することにしました。
鴟尾は初唐様式の影響の強い形に、中央の飾りは法隆寺の宝珠を参考に復原したそうです。
遺構展示館へ移動中に御陵を見つけたのでお参り。
平城宮のすぐそばに平城天皇陵ってあるんだなあと感慨深いです。
考えたら京都に桓武天皇陵ってあるし・・・
遺構展示館は入場が16時までで5分遅れたばかりに入場できず。
朱雀門まで歩きます。
なかなか朱雀門に着かなくて大きいなあと大きさを実感しました。
南門から朱雀門までの間は朝堂院(官庁)があったとされる場所。こちらも広いです。
天気が悪く夕方でけっこう切ない感じでした。
晴れていたら空を背景に建て物が映えるのに。
朱雀門の南側は広場になっていて、展示館がいくつかあります。
ここは修学旅行生が来るところらしくて(バスの駐車場もあった)、一気に人が増えました。
平城宮いざない館だけ見て、他は時間がありませんでした。
平城宮って、元明天皇ファミリー(持統・藤原氏ライン)の都だなあと展示を見て思う。
こんな小さな船で日本海を渡るのって怖い。
それでも外交や文化伝授のために海を渡るのだから半端な覚悟では無理ですね。
今回は、午後3時くらいから来て時間があまりなかったので、歩いて広さを体感した程度の見学になってしまいました。
広い!
来月は京都御所を見学する予定なので、そちらも広さを体感したいと思います。
宮跡巡り旅は今回はこれにて終了。