しゃおれんの旅日記

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宮跡巡り旅③雄略天皇と武烈天皇の宮と出雲族の聖域ダンノダイラ

宮跡巡り旅、いよいよメインの桜井市です。

山の辺の道は夫さんがいつか一緒に行くというので取っておいて、今回は伊勢街道沿いの雄略天皇武烈天皇の宮跡を訪ねます。

あわせて、出雲族の聖域の「ダンノダイラ」にも行きました。

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自転車移動ですが一部登山です

雄略天皇泊瀬朝倉宮白山神社

桜井駅でレンタサイクルを借り、初瀬川沿いの伊勢街道を長谷寺方面に進みます。

国道165号線は交通量が多く、車道を自転車で走るのは怖いです。そして、歩道は一部が狭く舗装がガタガタのところがあるので要注意です。

朝倉小学校を過ぎて白山神社に着きました。

小ぶりな白山神社、境内の写真を撮るのを忘れました。

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雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地

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万葉集発耀讃仰碑 揮毫:保田與重郎

万葉集は、雄略天皇の「こもよ みこもち」の歌で始まります。

白山神社の近辺は雄略天皇泊瀬朝倉宮があったと伝えられています。

そのため、白山神社内に「万葉集発耀讃仰碑」と、雄略天皇の歌碑があります。

桜井市内には、万葉集の歌碑があちこちにあります。川端康成湯川秀樹など有名人が揮毫しています。観光案内図に場所が載っているので探してみるのも楽しいです。

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雄略天皇の歌碑

「こもよ みこもち ふくしもよ」で始まる雄略天皇のナンパの歌。「良い籠を持って菜を積んでいるお嬢さん、名前を教えて」と歌っています。

当時は名前を教えるということは、お誘いに応えてもいいわということなんですね。

雄略天皇の宮跡の候補地はもう一つあり、それはこの後で行きました。

 

武烈天皇の泊瀬列城宮・十二柱神社

日本書紀」では悪逆非道に描かれている武烈天皇(「古事記」には悪行の記述無し)、
その悪行のため応神王朝が断絶し、越から継体天皇が招かれたことになっています。

悪行は捏造だとか、そもそも実在しない天皇だとか言われています。

しかし、伝承地があるからには行ってみなくては。

武烈天皇の泊瀬列城宮伝承地は伊勢街道の十二柱神社内にあります。

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十二柱神社

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泊瀬列城宮伝承地の説明板

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泊瀬列城宮伝承地

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武烈天皇の社

野見宿祢信仰

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五輪塔

こちらの五輪塔は元は出雲の太田というところにあり、江戸時代には相撲の巡業の際には必ずこの野見宿祢のお墓に参拝したそうです。

明治16年頃に十二柱神社に移されたのですが、その時この五輪塔があった塚からは土器・埴輪・直刀・子持ち勾玉などが出土しました。

野見宿祢という人は、相撲の発祥の人(当麻のスケハヤと言う人と闘い勝った)であり、埴輪を作り殉死をやめるよう進言した人で、今では相撲の神様、知徳の神様となっています。

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相撲開祖野見宿祢顕彰碑

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裏面に由来が書いてあります

出雲国野見宿祢ではなく、大和国の出雲の出身だと考えられています。

そうなのです、桜井市には出雲村があるのです。

これが今回こちらに来たかった理由の一つです。

三輪山の麓、大神神社大物主神大国主命の別名。出雲の神様)を祀っています。
出雲村は出雲の人々が住んでいたと言うことでしょうか。

さて、その出雲の人の聖域が巻向山の山の中にあるというので登ってみました。

 

出雲族の聖域ダンノダイラ

最初の地図、北側の山の中にGPSの移動ルートが現れていますが、そのルートがダンノダイラへの道です。

Googleマップの口コミが良さそうだったので軽い気持ちで登り始めましたが、普通に山道でかーなーり大変でした。人が全く通らないので一人で登るのは危険かも。

野見宿祢顕彰会の方の案内がこまめにあるので迷うことはありませんが、途中で何度も引き返そうか迷いました。

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スタートは十二柱神社です

野見宿祢顕彰会の「ダンノダイラ」への案内板がちゃんとあるので迷いません。

住宅街の中ですら急な坂道が続き、住宅街を抜けると少し開けたところになります。

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この景色を雄略天皇武烈天皇は見たのでしょうか

よく見ると畑には害獣予防に柵があり、「感電注意」とあります。

少し登ると害獣予防の柵があり、この中の林道を登ることになります。

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害獣予防の柵は必ず締めましょう

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柵を入ってすぐに地図がありました

右下の赤丸が現在地、上の赤丸の部分を目指します。等高線が細かいですねー。

この時点でどうしようか迷ったけれど、登ることにしました。

初めは舗装された林道です。だけど、ものすごく急です。四駆でも上れるのかしら?

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振り返ると滑りそうな急坂

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案内板があるので迷いません

山の上にはアンテナ基地もあるようです。

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林道が終わると200mくらい普通に山道

あとどれくらいなんだろう?と迷いながら登り続け約40分くらいで着きました。

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解説

この周辺、700mくらいの山の中に古代は出雲のムラがあったというのだから驚きです。

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磐座の解説

巨石があり、十二柱神社の御神体だったとか。

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磐座

大きな石にしめ縄がかかっているのが分かります。崖になっていて近くまで行けず、離れたところから拝みます。

なんだか大きな石ってそれだけで神秘的な感じです。

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他にも巨石が

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天壇の跡

 

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小石が崩れていました

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小川の跡

これほどの山の中に昔はムラがあったというのが驚きです。
出雲はヤマトに国を譲りましたが、ヤマトに出雲の地名が今も残ることが不思議でした。
登山道ではないので、ほとんど誰も来ません。

一瞬鳥の声が止んだと思ったら、鹿が二頭、すぐ足元を走りすぎて仰腰抜かすかと思うほど仰天しました。

ネタになるかもなんて気持ちで登ってきてちょっと向こう見ずだったかもと反省しました。

鹿ならいいけど、猪にあったらどうしようと帰りはかなり急いでおりました。

それでも、下りで20分以上、十二柱神社に戻るのに上での散策も含めて1時間半くらいかかりました。

 

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出雲の表示

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十二柱神社にあった出雲のムラの説明板

雄略天皇泊瀬朝倉宮②十二神社

雄略天皇の朝倉宮跡とされる場所はもう一つあり、十二柱神社から道を渡って山の上、岩坂の集落にあります。

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狛峠という地名の由来も気になります

電動自転車ではなかったので、ここまでずっと自転車を押して登ったので大変でした。神社の周りのお家の番犬たちはみないい仕事をするので、ずっと吠えられ続けていました。

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十二神社

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朝倉宮伝承地の説明板

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小ぶりな十二神社

こちらはけっこう山の中なので、本当にここに宮があったのかしらと。

当時の宮はまだ藤原京平城京と比べると、大極殿や朝堂院などの施設があったかどうかも分からないため、小規模であることは間違いないのですが、臣下たちもここに登ってくるのって大変だったと思います。

棚田があって、きれいな景色なんですけどね。

これだけでほぼ午前中を費やしてしまいました。

午後も宮跡巡りは続きます。