しゃおれんの旅日記

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好き満載青森旅6-太宰治「斜陽館」と津軽鉄道

いよいよ最後の観光の目的地「斜陽館」

ここは韓流とも世界遺産とも関係がありません。

近代文学の巨匠太宰治の生家です。

津軽鉄道

「斜陽館」は津軽鉄道「金木」駅から徒歩7分

津軽鉄道はJR五所川原駅津軽五所川原駅が隣接しています。

私たちは、鶴の舞橋観光を終え、JRで五所川原駅まで来て乗り換えました。

走れメロス」号

津軽五所川原駅

日曜日の津軽鉄道に乗る人はおそらくみんな「斜陽館」がお目当てと思われます。

 

津軽五所川原駅にあった看板

どれだけ太宰に乗っかっているんでしょう。

去年青森旅行の前に友人に太宰治の「津軽」を借りて読んだのですが面白かったです。

太宰の旅行した当時(戦前)は、津軽鉄道沿線は今よりは栄えていた様子。

津軽五所川原駅から金木までは560円です(けっこう割高な感じ)。

津軽鉄道の車掌の女性が、車窓からの景色についてガイドをしてくれたり、金木の観光マップをくれました。

昔、香取慎吾さんが描いたというしんご列車

途中の駅に「しんご列車」や吉幾三さんゆかりの駅があったのですが、これまでの韓流ロケ地巡りに比べると、興味関心が全く起きず静かに車窓からの眺めを見ていました。

 

金木駅から「斜陽館」へ

金木駅

ほとんどの人が金木駅で降りて、そのまま「斜陽館」に向かいました。

金木では、「斜陽館」の他に「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」、津軽三味線会館、観光物産館「産直メロス」がありますが、私たちは「斜陽館」をゆっくり見学しただけで、物産館はちらりと見て帰ってきました。

 

斜陽館

国指定重要文化財に指定されています。

太宰治の父津島源右衛門が建てさせ、明治40年に落成します。

設計は弘前で色々な名建築を建てた堀江佐吉で、日本三大美林「青森ヒバ」使用で、総工費4万円(現在の7-8億円)。

津島家は庭園まで合わせると宅地約680坪の大豪邸です。

津島修治(太宰治)は「風情も何も無い、ただ大きいのである」と書いているけど、なかなか素敵です。

戦後津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として町の観光名所となり、その後平成8年3月に旧金木町が買取り、平成10年から太宰治記念館「斜陽館」として公開され、平成16年に国の重文に指定されました。

広い和室

中に入ると土間だけでも広くて、さらに和室、板の間の台所と続いています。

豪華で大きな仏壇

板の間の台所から見る

旧家の高い天井が見えます。

一階だけで11室278坪、二階は8室116坪もあるんですって。

 

太宰の父は「金木の殿様」と呼ばれるほどの大地主で金融業も営み、後に貴族院議員になって東京の別宅暮らしとなり、家に戻るのは1.2か月に一週間程度だったそうです。

 

太宰は11人兄弟の六男(生後すぐ亡くなった兄もいます)。

当時の金持ちの奥様は家事も育児もしないだろうし、夫は政治や仕事に夢中で、もしかしたら東京に愛人もいるかもしれないし、ただ子どもを産むためだけの存在のような気がして(勝手な妄想です)、しんどいなあと。

11人も産んだら、ほとんど体の休まる間がなさそうだし。

一人も産んでいない私が言うか?!

 

金融業を行っていた店部分

最盛期には小作人が300戸もいたという津島家。

太宰治は家業が好きになれず、また東京に進学してから大正デモクラシーマルキシズムの影響を受けて、こじらせていきます。

大地主で貴族院議員になった父のように、なんの疑問もなく暮らせたら幸せだったのに、色々考えちゃったんですね。

 

階段ホールは二方向から降りてきて一階と使用人控室へ続く

 

階段ホールにはシャンデリア風照明

階段も大きくて不思議な造りでした。階段ホールの照明は外から見えます。

洋間

応接室として使われていました。

太宰治は青森中学時代、ソファーに寝そべってサイダーをがぶ飲みしたと「津軽」に書いてあるそうです。さすが「殿様」の子は違いますね。

書斎・母の居室

書斎と呼ばれていた母の居室。実際は子供たちの勉強部屋、遊び部屋だったそうです。右から三番目のふすまの漢詩の最後に「斜陽」の文字あり。

一階の休憩室にあった文机

休憩室にあったコスプレ

ハリーポッターじゃないですよ、太宰治の二重のマントですよ。

巨大なぺんと、小説の中のセリフが吹きだしを使って、写真を撮って#つけてあげてくださいとありました。

出たQRコードを読み込む方式のおみくじもありました。

 

「凶」ってそんな・・・遊びのおみくじなのに

なんか嫌だったのでもう一度引いても同じで、さらに引いたら

三度目の正直は「吉」

他にも蔵の中に遺品や原稿などの展示もありました。

これにて「斜陽館」の見学はおしまい。

太宰治は有名な「人間失格」や「斜陽」「ヴィヨンの妻」とか読んだけど、イマイチはまれず。

津軽」と「女生徒」は割と好き。調べたら明るい青春小説「パンドラの匣」なんていうのもあるんですね。学生の頃と違って年をとったらまた違った感想を抱くかもしれないから読んでみようかな。

 

五所川原で休憩

この日の夜の飛行機で東京に帰る予定でした。

「斜陽館」の見学を終えて、16:12金木発の津軽鉄道で帰ろうと思っていましたが、このままなら15:11発に乗れそう。

(15:11だと五所川原で1時間以上待つことになるので16:12を当初予定していました)

でも、金木駅にはあんまり休むところがなさそう(探せばあったのかも)

津軽三味線会館に行けばいいのかもしれないけど、初日に三味線は聞いたのでもういいかなと、早い電車に乗り五所川原駅近辺で休むことにしました。

五所川原駅には「立佞武多の館」や「吉幾三ミュージアム」などがありますが、特に心惹かれず、駅前のケーキ屋さん兼喫茶店(ケーキも焼き菓子もどれも美味しそうでコスパ良し。近所にあったら通いたい)で、休憩しました。

ソーダフロートと珈琲フロート

のんびりと休みながら、この三日間の旅行を友人と振り返る。

充実していたな―と大満足です。

弘前駅にいたつがにゃん

弘前駅前のポスト

17:37に弘前駅につき、コインロッカーから荷物を取り出し、リムジンバスで青森空港に向かいました。

17:51弘前駅発18:45空港着。

国道沿いをバスが進んでいたら、千葉とほとんど変わらない景色。

(それまで、駅前にパチンコ屋もないし、大きな量販店もないし、控えめな街だと思っていたのですが、青森が車社会だということを忘れていました)

車の運転ができなくなったら、パチンコも卒業ってことなんでしょう。

そんなことを思っているうちに寝てしまいました。