しゃおれんの旅日記

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世界遺産と乗りもの九州旅10-佐賀の七賢人

いよいよ今回の旅行も最後の目的地。

これまで佐賀県内を何度か旅行してきましたが、佐賀駅に降りることはありませんでした。

薩長土肥といわれる幕末の雄藩、佐賀藩についてあまり知らなかったけど、予習をしてから行きましたよ。

佐賀の見どころとしては、徴古館(鍋島家伝来の宝物を展示、現在建物修復のため休館中)、佐賀城跡、大隈重信記念館、県立博物館・美術館、武家屋敷などですが、3時間弱しかなかったので、佐賀城と大隈重信記念館、佐賀神社に参拝と絞って見学しました。

佐賀城

佐賀駅隣のバスセンターから佐賀城跡バス停までバスに乗って、降りるとバーンとそびえる石垣。

天気が悪いのが残念です。

佐賀城跡公園

佐賀十代藩主鍋島直正

名君と名高い直正公が佐賀城前でお出迎え。

佐賀城鯱の門

鯱の門には佐賀の乱の銃痕ありです

ガイドさんに聞いたのですが、鯱って口を開けているのが雄、閉じているのが雌って知っていました?

歴史の舞台という感じがします

天守閣は江戸時代に焼失して再現されませんでした。

天守台は残っていますが、30×25.5m、そこから推定すると、小倉城に次で、熊本城よりも大きいそうです。

熊本城の天守は大きいという記憶があるので、それよりも大きかったというのは結構大きいのではないかとビックリ。

 

その後、火災にあい残っていた本丸御殿も焼失したため、1835年十代藩主直正が本丸御殿を新築します。

明治初期に佐賀の乱で本丸御殿は焼失を免れたのですが、その後役所や学校として使用されたり、解体されて別の建物として利用されたりしていました。

空襲で全焼失したわけではないようです(ガイドさんの説明でははっきりわからなかったです)

本丸の敷地内に礎石が残っていて、図面もきちんと残っていたので復元ができました。

日本で最初に復元された木像の本丸御殿だそうです。

2004年に本丸御殿が一部復元され、「佐賀城本丸歴史館」として開館しました。

本丸歴史館見学

本丸歴史館

無料のボランティアガイドさんの方に説明をお願いして見学しました。

佐賀城の本丸は、一部の復元とはいってもすごく広いです。

南廊下は84畳

45mもあって、江戸城の松の廊下よりも長いそうですが、幅は狭いようです。

畳敷きの廊下だと足が冷えなくていいですね。

外御書院の大広間は320畳もあるそうです。

直正公のパネル


藩主は上座に座り、大広間の次の間、その次の間と身分によって座る場所が違います。

本丸完成披露の時には1000人の藩士が集まったとのこと。

これじゃあ、下座の藩士は声が聞こえないんじゃないかと思ったけど、ガイドさんが言うには廊下に、藩主の言葉を伝えてくれる人がいるとのこと。

(でも、その人は事前に藩主から原稿もらっているの?それともすごく耳がいいの?ガイドさんに聞いたけど、ガイドさんはご存知なかったです)

外御書院

昔の人は小柄だったとはいえ、いくら広くてもここにびっしり1000人が座って藩主のお声を聴くのはキビシイ・・・

庭を見ると建物の跡がわかります

ここから考えると、建物ってすごくびっしり建っていたんですね。

屋根のあるところが復元済

これだけの建物が密集していたのでは夏などはかなり暑かったそうです。

(江戸時代は、現代より若干寒冷期で平均気温が低いのに)

本丸歴史館は、内部が資料館になっています。

直正公が若くして藩主になったとき、佐賀藩は膨大な借金を抱えていたのに、ほとんど踏み倒す形で解消し、蝋燭やお茶、生糸の輸出で財政を改善して、工業を興しました。

反射炉や大砲を造り、西洋医学を取り入れ、嫡男に牛痘の接種をしていたりとなかなかの開明派。

佐賀藩は長崎警備の役割があったので、海外からの情報が入ってきやすかったので、海外情勢に詳しかったからだとか。

絵巻物や複製の図なども多くてわかりやすい展示でした。

 

佐賀の七賢人

幕末から明治維新にかけて、著名な佐賀の七賢人がいますね。

観光パンフレットでも、町中の看板でもすごく推しています。

鍋島直正佐野常民島義勇副島種臣大木喬任江藤新平大隈重信

名前は知っているけど、詳しいことを忘れていたので勉強し直しましたよ。

佐賀神社にあったライオンズクラブの碑

郷土に誇れる偉人がいるというのはいいですね。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」しか知りませんが、「葉隠」って佐賀藩の武士の精神の基本だったのですね。

佐賀藩は学問を重要視していたので、子供が成績不良だと親の石高が減らされることもしたそうです。

葉隠」と朱子学中心の学問に大隈重信は反発して藩校「弘道館」を退学してしまいます。

そして、蘭学に励むのですが、それを許す藩主もまた器が大きいですよね。

大隈重信記念館

佐賀城本丸歴史館から近いところに大隈重信記念館があったので見学しました。

大隈重信記念館

玄関の上のステンドグラスは、早稲田大学のスクールカラーの海老茶色を、濃い赤色のひし形は早稲田大学の角帽をあらわしているのだとか。

撮影禁止があったので内部で写真をあまりとりませんでしたが、講演が多かった大隈重信は肉声が残っていて、へえーと思いながら聞きました。

幕末から明治の人って少し前の人だと思っていたのに、肉声が残っていることが驚き。

知的な感じというより、大声で力強く話してました。

 

テロにあって、右足を切断したので義足を使っていました。
義足の展示がありましたが、足が長いかも?

身長が180cmもあったというから当然?この時代の人にしては大きいですね。

ガウンの展示あり

早稲田大学総長時代のガウンの展示がありました。

それほど大隈重信に思い入れがなかったので、見学したのに記憶にあまり残っていません。

見学を機に興味が増すこともあるけれど、今回は響かず。

旅の後半は疲れているから新しいものを吸収する力が落ちているのかも。

大隈重信旧宅

旧宅の展示がありました。重信の母の三井子さんは賢母のようで、母の薫陶を受けてこその重信らしいです。旧宅の二階に母が増築した勉強部屋もあり、毎月5、15,25日に公開されています。

お城に近い所に家があることからも、大隈家は割と上級の家だったようです。

勉強中に気が散らないように外が見えないようになっていたり、居眠りしたらぶつかるような位置に梁があったりとスパルタな勉強部屋になっていたそうです。

 

雨も強くなってきたし、そろそろ駅に戻ろうかと思いながら旅の最後に佐賀神社にお参りしました。

 

佐賀神社

佐嘉神社

 

明治4年に亡くなった鍋島直正公を祀り、明治6年に祖神を祀っていた松原神社に合祀され、昭和8年昭和天皇が直正公の功績を評価して「佐嘉神社」として別格官弊社に列せられました。

今回の旅も楽しく無事に過ごせたお礼を申し上げて、今回の旅行もおしまい。

駅に戻って、旅行割のクーポンでお土産を買い、遅めのランチを食べて福岡空港へ向かいました。

夫さんにお供えしてから私が食べる

さが錦

小豆が練りこまれたカステラが美味しかったです。
こういう個包装でばら売りのお土産って自分で食べるにもちょうどいいですよね。

福岡空港の新しい楽しみ

早めに空港に着いたら、カードラウンジで時間調整もいいのですが、TSUTAYAラウンジというのができていて、今回そちらでちょっとゆっくりしました。

お菓子が充実

ソフトドリンクプランは30分660円です。飲み物やお菓子がたくさん。試し読みの本やマンガもあります。ワーキングスペースもありますよ。

飛行機を見ながら休憩

これで今回の九州旅行の旅ブログはおしまいです。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。