しゃおれんの旅日記

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魏志倭人伝の旅その3ー吉野ケ里歴史公園①

ひとり古代史愛好会と称して、古代史関連の場所を適当に訪ねる旅をしています。

しかし、今回は途中から友人も一緒。「ひとり」ではないってとても楽しい。

吉野ケ里遺跡は「魏志倭人伝」とは直接関係がないのですが見逃してください。

吉野ケ里遺跡と歴史公園

吉野ケ里遺跡は大正時代末期にはその存在を知られていました。

昭和61年に工業団地の建設計画により発掘調査が行われ、平成元年に大規模な環濠集落や墳丘墓が発見され、平成3年5月に特別史跡に指定されました。

邪馬台国ではないか?!」と一気に注目を浴び、工業団地計画は白紙となり、「国営吉野ケ里歴史公園」として整備保存され、復元施設などが公開されています。

ガイドさんが言っていましたが、

・もともと何もないところから、大規模な遺跡が見つかったから、国に買い上げてもらって公園として整備することになった。遺跡は文化庁の管轄だけど公園は国交省の管轄で国営公園として運営。

・公園として整備しているので、物見櫓の階段もハシゴではなくて、しっかり階段で安全を確保しているし、内郭(住居の復元跡)にも本来の入口以外にも消防車など緊急車両が入れる入口を作らないといけないなど、安全の基準を満たしている。

・でも、私有地ではないから、今も発掘が続けられる(実際、発掘現場の見学できました。伊都国の遺跡が調査できないのとは大違い)。

 

そうだ、この発見があったから、なんとなく「邪馬台国九州派」なんだ、私。

発見当時、史学科日本古代史ゼミに所属していた私は、ゼミ旅行で岩戸山古墳と吉野ケ里遺跡にも行っているはずなのですが、当時のことを全く覚えていませんでした。

教授のコネで発掘現場を見学させてもらえた?なら覚えているはず。

 

新鮮な気持ちで見学を楽しんできましたよー。

 

見学は環濠入口から

東口の駐車場に停めて、天の浮橋を通り環濠入口広場から見学開始です。

中に入ると弥生時代の集落に

クニの入口に鳥の乗った門あり

弥生時代の土器などに棟飾りに鳥が描かれていたり、鳥の彫刻が見つかったりしているので、入口に鳥形門を設置しているそうです。

数か所に拠点ガイドさんがいて、説明を聞くことができます。

私たちは伊都国歴史博物館のガイドさんがとても良かったので。ここでもガイドさんに色々お聞きしました。

鳥居の中は夥しい逆茂木

友人曰く「雑草が伸びてる中、こんな逆茂木あったら大変」

たしかに、今は冬だし公園だから逆茂木見えてるけどねぇ。環濠は空堀でした。

この外堀で囲まれた範囲は南北1Km以上、東西は0.5km以上もあり約40haあるそうです。濠も幅2.5~3m、深さ2mが一般的で、最大は幅6.5m、深さ3mもあるとのこと。

イノシシのオブジェ(乗っちゃダメです)

展示室を見て南内郭へ

小さな展示室があり、出土品が展示されていました。

九州で初めて見つかった銅鐸や銅剣、鏡もありましたが、気になるのは服装。

男性は経糸が日本茜、緯糸は貝紫で染色。女性はどちらも日本茜

巻貝の内臓(パープル腺)で染色した糸

貝で染めようってどうやって思いついたんだろう、すごいなあ。

展示室を出て南内郭へ向かいます。

ガイドさんの話を聞きながら歩く

昔はよく鉄剣みたいなものを拾ってチャンバラしたそうです。もったいないーーー。

小さい男の子ってみんな枝とかふりまわしてるけど、昔からなんですね。

写真右手にある大きな建物が王の家

南内郭の中には四方に物見櫓があり、中には王の家を含む20棟の建物が復元されていました。

王は顔色悪いと思ったのは私だけ?

他の家にはない武器や布や器もあったけど

物見櫓から記念撮影

南内郭の西側には倉庫がたくさん並び、市があったそうです。

その中でも柵に囲まれているのは国の倉だったとか。

 

雲仙岳が見えるそうですが、この日は残念ながら見えず。

ここで、一人目のガイドさんとお別れして、ブラブラと歩いて北内郭(祭殿などのある聖域)へ向かいます。

 

北内郭

住居部分だった南内郭と違い、入口が複雑で二重の柵と環濠に囲まれていました。

ここにも鳥形門

環濠

三階建ての巨大な祭殿

遺構から高さ16.5mで復元されています。

二階は政治の場

3階は祭祀の場

ここで、友人と「どうして北に向かって祈っているんだろう?」と話していると、北内郭の拠点ガイドさんが教えてくれました。

この北内郭の北側に墳丘墓があり、その前に祖霊の宿る柱が建てられています。

弥生時代の後半には墳丘墓はお墓ではなくて、祖先の霊を祭る祭壇として信仰の中心となっていたそうです。

北墳丘墓と祖霊の宿る柱

墳丘墓と柱と祭殿を結ぶ線は雲仙岳に繋がる

 

巫女だけはなりたくない

祭殿の前に高床住居がありました。

高床式倉庫じゃなくて住居です

窓もないこの建物は最高司祭者の女性の住居でした。

最高司祭者の生活空間は網代と衝立の中

帳の手前には食事などするスペースがあり、衝立の手前には侍女が控えていたらしいのですが、窓がなく外光が入らず昼でも灯をともしていたようです。

入口の外に閂あり

友人が「あれ?どうしてこの建物、閂が外側にあるの」と言う。

「遺跡の防犯じゃなくて?」と私は適当に返事していたら、これまたガイドさんが教えてくれました。

最高司祭者が逃げないようにだそうです。

巫女さんは幽閉されているようなもの。他の人が竪穴住居で夏涼しく冬暖かく暮らしているのに、高床式倉庫なんて人が住めるところではないそう。

それでも生き残れる人は「神」に近いとでもいうのでしょうか。

貝の腕輪をした女性の人骨が発見されていますが、おそらく巫女ではないかと。ただ、貝輪を幼い時からつけていると腕が育たず老女のような細さだったとか。

巫女だ、司祭者だと崇められても人間として生きられないなんてつらいー。

弥生時代にタイムスリップしても女王以外は絶対嫌だ。(タイムスリップしないけど)

戦士の遺体にも石鏃が骨に刺さったものなどもあって、鉄剣で切られるのも痛くて嫌だろうけど、石のやじりが刺さって死ぬってどれだけ長く痛かったのかと思うと辛すぎる。

 

それにしても、友人はするどい。今回の旅行中、たびたびこういうことがあった。

私は覚えるのは得意でも、細かいことに気が付かない、というかあんまり気にしない。これからは、友人を見習って「ん?なんだこれ」と思ったらすぐに調べるようにしよう。

 

吉野ケ里歴史公園、続きます!