古代史上最大の内乱ともいわれる壬申の乱。
大化の改新(今は事件そのものは乙巳の変といい、改革を大化の改新といいます)の
中心人物中大兄皇子(天智天皇)の後継者大友皇子を、
中大兄皇子の皇太弟とされていた大海人皇子が倒し天武天皇となりました。
学生の頃、たくさん読んだ小説や漫画の影響で古代史ヲタクになりました。
語り出すと長くなるので行った場所だけさっくりご紹介。
近江神宮のご祭神
近江神宮は667年に大津京に遷都した天智天皇をご祭神として、1940(昭和15)年に創建された新しい神宮です。
天智天皇は、大化の改新、白村江の戦の敗戦後などの困難な時期に優れた指導力を発揮したことから「導きの神」「開運の神」とされ、
「産業・文化・学芸の守護神」「時の神様」でもあります。
手水舎の左手には万葉歌人ほか多くの歌碑があります。
映画やマンガの「ちはやふる」のゆかりの地
拝殿に若い女性がちらほら。私は全く知らなかったのですが、こちらはマンガ・映画「ちはやふる」のゆかりの地だったのですね。
近江神宮で競技かるたの大会が行われるとか。
境内にはグッズもたくさん売られていましたし、着物レンタルもできるそうですよ。
競技かるたの殿堂と呼ばれる近江勧学館は、天智天皇が現在の南志賀に勧学堂を建てたことに由来するそうです。
天智天皇は学問も奨励していました。
近江神宮がかるたと結びついたのは、百人一首の一番最初にご祭神である天智天皇の御歌が載っているから。
キャラクターの「おおつ光ルくん」もあちこちに。
光ルくんのプロフィールの特技にローラースケートがあったのに笑ってしまったのは私が昭和の子だから?(光源氏とローラースケートって・・・)
「ちはやふる」のマンガは知らないですが、古代史好きな私はとても楽しいです。
天智天皇は日本で最初に時計を作らせた天皇
天智天皇は671年に日本で初めて漏刻(水時計)を作らせ時報を始めました。
天智天皇が作った漏刻はどのようなものかは詳しくは分かりませんが、中国の文献を参考に作られています。
時の記念日(6月10日)は近江朝廷で初めて時報が開始された日を記念して大正9(1920)年に制定されました。
時計館・宝物館がありますが、時計によほど興味がある方以外はちょっとかも(笑)
大正天皇と天智天皇の御尊影にはおどろきましたが、他は珍しい時計がたくさんあったくらいだったので。
境内にも時計の模型があります。
この火時計は、約4000年前の中国で、主に夜間の時間を計るものとして用いられました。龍の背に計14個の銅珠が吊り下げられていて、糸の下を燃え進む火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられた銅鑼がなって時を告げるものと説明がありました。
中国4千年の歴史おそるべし。
ちなみにこちらの時計は昭和54年にロレックス社から奉納されたそうです。
旧大津裁判所の車寄せ
大津地方裁判所は、明治24(1891)年には大津事件の公判が開かれた有名な裁判所ですが、昭和に入り取り壊されることになり、この建物が無くなるのを惜しんで移築されたそうです。
それは、天智天皇が日本の法律の源になる「近江令」を制定し、法律の神様とも称えられている由縁によります。
近江令の存在は近年では研究家の間で疑問視されているとかはさておき、
天智天皇の魅力がいやというほど伝わる素晴らしい神社でした。
時のお祭り(漏刻祭り)や献菓献煎茶祭、燃水祭り(日本書紀に記録のある燃える水とは石油のことで、天智天皇に献上されました)、弘文天皇祭りなど例祭以外にも天皇ゆかりの行事がめじろおし。
実は私は天武天皇推しなので「敵ながら天晴れ」という感嘆の気持ちでした(笑)
お参りだけであれば近江神宮前駅から約1時間もあれば足り、
再び電車に乗って移動できると思います。