しゃおれんの旅日記

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熊本古代史旅⑥鞠智城跡

これまで、下関の友人を訪ねると、決まって雨に降られていた。

(多分私が当時安倍元首相や長州藩の悪口ばかり言ってたからだと思う)

今回は、初日は晴れ、二日目は曇りだったが、とうとう最終日は曇り時々雨になってしまった。

最終日は、山鹿市の古代山城と装飾古墳館に行きました。

鞠智城

復元された八角形鼓楼と米倉。

嬉しくて駐車場に友人を置いて一人先に行く

以前の職場のパート仲間に城好きのお姉さまがいて、「日本100名城」を制覇し、ついでに「続日本100名城」も周っていた。

が、戦国時代のいわゆる普通のお城好きにとっては、「たまにある古代の城が興味ないから困る」とのこと。

例えば、福岡の大野城(100名城)やこちらの鞠智城(続100名城)など。

しかし、私にとっては、古代の山城のほうが興味関心があります。

 

鞠智城は、白村江に敗れたヤマト王権が、7世紀後半に百済からの亡命貴族の協力を得ながら作ったという山城です。

鼓楼は、遺構を傷つけないように場所をずらして、平成11年度に復元されました。

高さ15.8m、三層作りで、屋根の瓦の総重量は76tにもなるそうです。

復元に使用している木材は、すべて県産の檜で、避雷針もつけてあるそうです。(多くの塔が落雷で焼失しているため)

テンションあがる鉄人くん(嘘。無理やり連れてこられた)

地図を見ると、玄界灘からかなり遠く、唐や新羅が攻めてくるにしても、ここがそんなに重要だったのか?など色々妄想が膨らみます。

有明海からの進路を想定?隼人に対する防衛線?

校倉作りの米倉

見張りや太鼓の音で時間を知らせた「鼓楼」と、一部の建物が復元されています。

礎石のあとから大きな建物だと思う

本当は、鼓楼の向こうに阿蘇の外輪山が見えるのですが、ものすごい霧で全く見えません。

ゆるキャラはころう君

鞠智城ゆるキャラ「ころう君」

帰宅後、ころう君のYouTubeを見てしまった(ころう君がなんか色々やるチャンネル)。

ころう君は頑張っていましたよ。

たまたま見たのは、同じく古代山城の岡山の「鬼の城」に行き、岡山のゆるキャラたちが友情出演してました。再生回数の少なさからいつまでころう君が頑張れるか心配です。

ちなみにころう君は防人で、語尾に「~ころ」と言います。

資料館前にあった銅像

防人のうたというと萬葉集にもせつない歌がいくつも載っていますが、

私は世代なのか、さだまさしの「防人の歌」を連想してしまいます。

子どものころテレビで映画見ながら泣きました。今の子にはなぞの歌詞ですよねー。「♪海は死にますか 山は死にますか~ 教えてください」って言われてもね。

温故創生館

入ったらまず、私たち二人しかいないのに、ミニシアターのような立派な鑑賞室で、紹介映像を見せてもらいました。

地元の小学生とそのお父さんが、鞠智城を紹介しているいい映像でした。

(後で、サイトを見たら、三池崇史監督、根津甚八石橋蓮司大杉漣、はた三恵、江守徹が声優をつとめ、ナレーターが竹中直人という「鞠智城物語 防人たちの唄」という30分もの映像もありました。

この映像は、熊本県立装飾古墳館でも見られます。昔はお金をかけてたんですねー。)

熊本県立工業高校の生徒が作ったジオラマ

鞠智城は、周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもち、昭和42年度からの県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡などの遺構が発見されています。

土塁が整備され歩けますが、猪なども出るから単独行動は慎むようにとのことです。

発見された鼓楼の基礎の跡

復元されている鼓楼は、掘立柱の跡が発見されたので復元されました。

国内の古代山城には、八角形建物はなく、韓国の二聖山城(ただし、こちらは礎石建物)の影響を受けているのではと推定されます。

八方位を宇宙の象徴とする道教の宇宙感の影響があると思われます。

同時代の牽牛子塚古墳(斉明天皇陵ではないかと注目を浴びている)や、御廟野古墳(天智天皇陵)が八角墳と言われています。

県立球磨工業高校製作の模型

さすが工業高校の建築課。

構造模型もあり

三層作りで、一層目に49本(芯柱含む)、二層目、三層目に16本ずつの柱があり、屋根の重みで建物本体が支えられています。中心部を突き抜ける芯柱は最上部のみで接合していて、やじろべえの軸のようで、地震のときは揺れを吸収し、建物の倒壊を防ぎます。

出土品の展示もあり。

銅造菩薩立像(復元とレプリカ)

現物ではないですが、こちらの山城から、百済系の銅造菩薩立像が出土しています。

ほぞを含む高さ12.7(像のみ9.7)cm、幅3.0cmの小型仏。百済製と推定されるので、「百済の亡命貴族の指導で築かれたとする鞠智城の歴史的背景を物語る貴重な資料」と説明文にありました。

こちらは新羅系の耳飾り

これは、出土品ではなくて韓国から贈られたものコーナーにあった気がします。

新羅の耳飾りは、耳につける部分が太いのが特徴です。(日本や百済は細環が主流)

これで、見学を終えて次に向かったけど、二階にもくまもんや鞠智城の写真や兵馬俑の展示コーナー、園内を見渡せる休憩所などがあったようです。

 

妄想ができて、なかなか楽しい時間でした。