断捨離も着々と進んでいます。
懐かしくなったのが、25年前の中国一人旅の日記。
3週間かけて、北京・ウルムチ・クチャ・カシュガル・トルファン・成都・南京・鎮江・蘇州・上海と一人で放浪していた時のもの。
北京ーウルムチ、ウルムチー成都、成都ー南京間は飛行機を日本で予約していたけど、宿は行き当たりばったり、移動もバスや鉄道を地元の人や偶然出会った日本人留学生に助けてもらいながらチケット買って移動。
トイレに扉がないどころか、壁もない穴だけのぽっとんなんかもあって過酷だったー(笑)
ネットもなく「〇球の歩き方」というガイドブックしか頼れなかった。
若くて元気があったから、手間がかかる旅行も楽しんでる。
当時は日中友好ムードで出会う人々がみんな親切だった、とある。
私がノートに中国語を書くと回し読みされて、返事を書いてくれて、また私が書くのをみんなが見守る、という感じで。(「クチャ行きのバスチケットはどこで買うか?」「〇番でチケットを買え」「ありがとう」程度ですけどね)
日記は一人旅で時間があるからかすごくマメに書いてあって読み返すと面白い。
紙が劣化していて、ペンが裏抜けしているけど一生懸命描いてる(笑)
ウィグル族の子供はトルコ系が混ざっているからか彫りの深い顔立ちの子もいて可愛らしい子が多かった。おばちゃんになるととてつもなく体が大きくなるのだけど。
子供の頃見たNHKの「シルクロード」に影響されて大満喫。当時は鉄道がなかったウルムチ~カシュガルはバス旅行で。途中のクチャで1泊。
日記によると市場でシシカバブーを食べていたらウィグルのおじさんたちに話しかけられチャイをごちそうになっている。
私の持っていた中国語の本を見て「一緒に飲もう」と誘ってきたけど、私はお酒が飲めないのでかたくなに拒否とある。ウィグル族ってイスラム教の人が多いからお酒飲んでもいいのかな?
懐かしさからアップしてしまったけど、冷静に見ると下手だなー。絵も字も。
成都では三国志オタクの私は、武侯伺(劉備の廟)の臣下たちの人形の配置をめちゃめちゃ細かく書きとっている。
蜀よりは呉や魏のほうが好きなので鎮江にも行きました。
食べ物の絵もけっこう書いてました。半端なく辛くて戦いだったというメモも。
この絵のそばには、「写真を撮れる雰囲気じゃなくて一生懸命思い出して描いた」とある。当時は地方に行ったらカメラを持っている地元の人はほとんどいなくて、店内で料理を写真に撮るなんて変な目で見られそうでできなかったような・・・
まあ、日本でもSNSが流行りだしてからですよね、
料理の写真を撮るようになったのって。
天袋の中に入れっぱなしで読み返すこともなかったけど、
久しぶりに見て懐かしかったです。
若いころの向こう見ずな私が元気に旅してる。
清潔じゃなくても無秩序でもお金がなくても生きていけるんだーとなんか目からウロコだった。
「~じゃなきゃいけない」というのは思い込みなんだと思ったり。
穴しかないトイレに他人と並んで用を足すなんて体験、
今の中国ではできないですよね。私ももうしたくはないけど。
上海へ向かう列車の中で、若い女の子たちが生のレンコンをおやつにかじっていた。それを見て「上海で就職してケーキやアイスを食べちゃったら、もう二度と故郷の暮らしには戻りたくないんじゃないか」と思った。「こんな子たちが何億人といる国に日本はかなわないんじゃないかな」と。(私は上海で31アイスを食べることができてすごく嬉しかったー。それまではアイスもジュースも怪しくて手を出せなかった。お菓子もあんまり美味しそうではなくて食べなかったから旅行中に3kgもやせた)
あれから25年。中国は発展してそのことはいいことだけど民度の成熟というか・・・香港の逃亡犯条例反対を発端とするデモへの対応とか・・・
いいたいことはあるけれど、うまくまとまらないので控えます。
本当は、この旅行の後で子供が欲しいねと当時の夫さんと話していた。
「お母さんは昔一人で中国に行ったんだよ、色々な経験ができて楽しかったよって言えたらいいな」なんて思ってた。
でも、吉報が我が家に訪れることはなく、私は非常勤講師をしながら夏休みに一人旅をしていたのでした。
今もお金と時間の許す限り旅行は続けています。
一人旅だけでなく友人とだったり、ツアーに参加したりさまざまですが。
歴史の舞台を見に行って、色々な景色を見て、色々な価値観を知ることが楽しいです。
旅行記もスキャンしてHDに落としたので、
HDが壊れさえしなければ読み返すのも楽そうです。
残りスキャンするのは、卒業旅行の初ヨーロッパ旅行記と、スペイン・イタリア一人旅3週間のみ。ゴミ袋も45Lが満杯です。
スッキリしました。