しゃおれんの旅日記

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壬申の乱ゆかりの旅③関ケ原歴史散歩

 関ケ原といえば、天下分け目の大決戦が行われたところですが、
実は壬申の乱にもおおいに関係しています。

関ケ原にある壬申の乱ゆかりの場所を訪ねてみました。

壬申の乱は672年に起きた古代の内乱なので、何かすごいものが残っているわけではありません。

 

スタートは関ケ原駅

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関ケ原駅前観光交流館

本当ならこちらでレンタサイクルを借りて、壬申の乱関ケ原の戦いの地をめぐろうと思っていましたが、コロナショックで交流館の営業時間が短くなってしまい、徒歩でスタートしました。

(10時から開いていたので、まずは徒歩で行けるところをまわりその後自転車で関ケ原の戦いの地めぐりをしました)

 

8:50 関ケ原駅スタートです

関ケ原観光ガイドの「観光マップダウンロード」から「壬申の乱 史跡めぐり」を参考にしています。(関ケ原戦い版は多様なコースが案内されていますよ)

www.sekigahara1600.com

美濃不破関の鍛冶工房跡

天武天皇は、西国と東国の要衝である不破を抑えて戦況を有利に進めることができたため、不破道の重要性・危険性を感じて、勝利後、不破道に関所を設けました。

東山道不破関東海道鈴鹿関、北陸道愛発関は大宝律令で定められた「三関」といいます。

 

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鍛冶工房跡

関の東南角にあたる地点で、土塁の内側からは炉壁や鉄片などが発見されていて、鍛冶場のあった場所だといわれています。

そう、今回は看板はあるものの「跡」だらけ。

 

井上神社

新幹線の高架をくぐるとすぐに見えるのが井上神社です。

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ご祭神は大海人皇子

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拝殿と本殿

 

大友皇子大海人皇子が藤古川をはさんで対峙したと言われています。

川の東側の松尾地区の村人が大海人皇子を称え神社を建立しました。

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摂社として天神社と若宮社

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壬申の乱に関した碑

 

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碑の裏面

散策コース

井上神社から不破関跡へは徒歩の場合、散策コースがあります。

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徒歩は右手へ誘導されます

まっすぐ進むと名神高速道路に出て藤下の若宮神社に行くことができます。

脇坂安治の陣跡もまっすぐ行って右です)

この徒歩コース、ちょっと一人だと不安になるような道を通ります。

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チキンなのでちょっと怖い

我が町足立区だったら、こんな道一人で通ってはいけません。

壁には「○○極悪(不良グループのサイン、○○は町名が入る。最近はだいぶ減りました)」とかないけどダッシュで走り抜ける。

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トンネルを抜けたら案内があってほっとします

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林の中の散策コース

この散策コースがどこまで続くか不安でもありますが、10分ほど歩くと突然住宅街に戻り、不破関不破関守跡に出られます。

不破関守跡

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不破関守跡

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関守の屋敷跡

大海人皇子の兜掛石・沓脱石

大海人皇子が兜を外してかけた石「兜掛石」と沓を脱いだとされる「沓脱石」があります。

1300年以上前の戦争のゆかりとしてはすごい場所。

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先ほどの関守跡からほんの数十m先に案内版あり

こちらの案内板が示しているのは、普通のお宅のお庭。
常識人としては入っていいのか迷います。
が、せっかくなので静かに見学させていただきます。

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静かに入らせていただきます

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普通にお庭なので節度をもって

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ありました!

不破関関庁跡と兜掛石を示す看板。石は祠の中にありました。
1300年以上も伝説の場を伝えてくれていたことに感謝です。

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沓脱石

 藤古川・黒血川

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藤古川(関の藤川とも)

関所のそばを流れているから関の藤川とも呼ばれていた藤古川。

壬申の乱では川を挟んで東側に大海人皇子軍、西側に大友皇子軍が陣取り、激戦を繰り広げたと伝えられています。

 

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黒血川の看板

山中藤下の激戦で両軍の兵士の血で川が黒く染まったことから、ここを黒血川と名が付き激戦を伝えています。

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黒血川は藤古川よりも細い

藤下の若宮神社

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ご祭神は大友皇子

井上神社もそうですが、こちらも新幹線の線路のすぐそば。もっと静かな場所に神社を作って差し上げたい・・・

 

 

 

矢尻の池(井戸)

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矢尻の池の看板

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池(井戸)の痕跡はわずか・・・

 

自害峰の三本杉

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矢尻の池からすぐ案内板が見えます

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また散策コース?!と思いきや違います

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案内板に従って階段を登ります

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弘文天皇御陵候補地とされています

乱に敗れ、25歳の若さで自害された大友皇子の頭を葬ったとされる場所です。そのしるしに杉を植えたと伝えられ「自害峯」と称しているそうです。

この前日に弘文天皇の御陵に行きましたが、こちらも御陵候補地なんですね。

 

藤下まで来たら、大谷吉継関ケ原の戦いで、石田三成の友情から西軍として参戦した)の陣址が近いので、そこまで向かいました。

(詳細は別途)

大谷吉継の陣址・墓まで周って、再び藤下に戻り、不破関資料館が月曜で休館だったため見学せず、関ケ原駅まで戻って10時10分ほどでした。

壬申の乱ゆかりの場所だけなら、それほど時間をかけずに周れるかもしれません。

 

そして、関ケ原駅前交流館で自転車を借りて、足を延ばします。

桃配山

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桃配山の看板 

この看板は桃配山のそば、中山道に落ちていたものです。

駅前交流館からレンタサイクルで10分弱。道は下りなので楽々です。

桃配山は、徳川家康関ケ原の戦いのときに最初に陣を置いた場所として有名ですが、そもそも壬申の乱大海人皇子が勝利したためそれにあやかったようです。

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国道21号線沿いに目立つ看板

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葵の御紋の幟がはためきます

関ケ原は、圧倒的に「関ケ原の戦い」ゆかりの観光地なので、今回紹介した場所の合間合間に、関ケ原の戦いゆかりの地がちりばめられています。

でも、逆にいえば「関ケ原の戦い」ゆかりの地の隙間に「壬申の乱」の場所もあるので、訪れる方は少しは興味をもっていただけたらと思います。

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桃配山古戦場の碑

パネルもあって、関ケ原の戦いの東軍・西軍の陣地の方向などを示していました。

 

野上行宮

壬申の乱ゆかりの地めぐりとしては最後の場所。

大海人皇子が隠棲の場吉野を出て挙兵し、伊勢・桑名を過ぎてここ野上に陣をかまえ、大和、近江大津宮への攻撃の指揮を執ったとされています。

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野上行宮跡の看板

ここは、先ほどの桃配山から自転車で国道沿いに7~8分下ったところにあります。

中山道の松並木を気持ちよく下って行ったら目印がないため行き過ぎちゃいました。

国道から、看板を見て急な坂を上った墓地の中にあります。

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駅前交流館で借りた4h550円のレンタサイクル

関ケ原の街はゆるやかな勾配があるので、自信がない方は電動自転車も借りられます。

(4h 1100円。要予約)

野上行宮から関ケ原駅まではゆるい登りなので頑張って下さい。

20分くらいはかかるかもしれません。

私はこの後、関ケ原の戦いのゆかりの地を自転車でめぐりました。

 

これにて、関ケ原町にある壬申の乱ゆかりの散策はおしまい。

今年は5月ごろ奈良や飛鳥に行こうと計画していたのに、このままではどうかしら・・・・

早くコロナが終息して、旅行に安心して行けるようになってほしいです。

 

ちなみに「関ケ原の戦い」編の旅行記も後日アップする予定です。

長らくお付き合いいただきありがとうございました。