友人たちと京都旅行してきました。
シャオシャオの朝食
東京発7:12ののぞみ9号で京都9:23着。
関西のご実家に前泊していた友人と京都駅で待ち合わせてタクシーでシャオシャオへ。
ここは、冬に香港式お粥定食のモーニングを食べて気に入っていたので、友人たちを誘ってみました。

予約必須なので、リンク貼っておきました。
後白河天皇陵
友人たちと楽しく美味しく朝食を食べた後で、すぐ近くの後白河天皇陵へ参拝。
友人たちは三十三間堂に行きました。
三十三間堂の出口で待ち合わせして、しばし別行動。



後白河天皇は、後白河法皇といった方が聞きなじみがあるかも。
保元平治の乱で平家を重用したかと思えば、源平合戦の頃は院宣を出して武家を利用しまくり。戦は上手でも政治力の低い木曽義仲や義経は結局消されてしまうことになったのもこのお方のせい。

角を曲がります。

後白河天皇以外にも、後伏見天皇九世公孫常胤親王など七名の親王が合葬されています。

朝食後、天皇陵にお参りすると言ったら、友人たちに「なんの御利益があるの?」と聞かれました。
天皇陵に御利益は多分無いと答えたら、「修学旅行以来かも」という三十三間堂に友人たちは向かいました。
私が天皇陵を参拝するのは、以前御陵印を集めたので、一応参拝はしておいたほうがいいのではという個人的な理由。
古墳は興味あるけど、平安時代以降は古墳ではないので特にねぇ。
事績を思い出し(江戸時代の天皇などあんまりよく知らない天皇もいるけど)、一応国家安寧を祈念しているけど、個人には特に御利益はないと思います。

扁額には「白鷹龍神」の他に「赤桃明神」と「白玉明神」の名前も。
中に立派なご神木がありました。

説明書きは特になかったけど、霊験あらたかな感じです。
七条甘春堂の抹茶パフェ
朝食にごま団子や杏仁豆腐はついていたけど、かき氷でも食べたいねーと三十三間堂そばの七条甘春堂へ。季節的にかき氷はまだでしたがパフェを食べました。
(ここで友人の一人が京都在住の旧友に会うためにしばし離脱)


靴を脱いで上がると、ちょうどお昼どきだったためか空いていてラッキー。

栗や小豆、寒天など和風のパフェで美味しかったです。
京都国立博物館
この後、友人の一人が見てみたいというので、一緒に京都国立博物館へ行きました。
「北野天神」展が最終日直前で、「北野天神絵巻」が国宝の承久本だけでなく、弘安本、光信本、光起本などなど数種類が展示されていました。
期間によって、見られる部分が違ったようですが、全巻全場面公開は史上初!

菅原道真が学問の神様というのは知っていたけど、どうして神様になったのかは知らなかった友人は「へぇー」と言いながら見ていました。
内裏に雷が落ちる有名なシーンを、友人は「日本のマンガの原点みたい」と言っていた。
確かに絵巻物って、絵と物語を交互に読んで楽しむもので、雷様なんて現代でも同じようにギザギザの光線を放って太鼓をしょってるしねぇ。
承久本は大きくて、見たことのあるシーンが多かったけど、
室町時代の光信本と江戸時代の光起本は、時代が下るほど色も鮮やかだし、絵画表現が柔らかな感じでした。
同じ場面が展示されていたので、見比べることもできました。
当初は時平(道真を讒言で流刑にした人)の最期は、僧侶に髪を剃ってもらって出家するシーンで表されていたのに、
光信本と光起本では、時平の耳からヘビがにょろりんと出ていて、なんかかわいそうな感じになっていました。
屈輪(ぐり)紋様という渦巻き状の模様の入れ物とか、硯とか菅原道真の遺品とされるものも興味深かったけど、
菅家文章、扶桑略記、大鏡、寛平の御遺誡とか「おぉー、これがそうなんだ」と思いながら見ました。
お経のように楷書で書いてあれば読めるけど、仮名が交じっているとさっぱり読めないのが残念です。
他にも蒔絵のお道具や刀の展示もありましたが、私は刀剣の美しさが分からないので適当に見ました。
友人も刀剣乱舞はよく知らないらしく、素通りでも大丈夫でした。


右側の女性は天女様に見えなくもないけど、左側の男性が西洋人ぽい顔をしているけど、服装が東洋風。
<こみちさんからコメントいただき教えていただきました!>
「おもての彫刻は、左はノミと槌をもった毘首羯磨(びしゅかつま)、
右は巻物と筆を手にした伎芸天(ぎげいてん)だそうです。
毘首羯磨とは、帝釈天の侍臣で種々の道具・工芸品をつくる神。
また、建築の神だそうです。
そして伎芸天とは、容姿端麗で器楽の技芸が優れていた天女だそうです。」
こみちさん、ありがとうございました。
男性の神様が、帝釈天の侍臣で道具・工芸品の神、建築の神なら東洋風の衣装も納得です。女性の神様は伎芸天だったのですね。
まさに、博物館を飾るにふさわしい神さまです。

博物館まで一緒だった友人と、七条駅で別れ、私はその後天皇陵めぐりの続きをしました。
仲恭天皇 九條陵
京阪線で鳥羽街道駅下車、徒歩16分。Googleの案内に従ったら、参道にたどりつけなくてウロウロしてやっと見つけました。


曇ったり晴れたりでしたが、この日は暑かったー。

崇徳天皇の御陵は流刑先の香川県にあるけど、皇后はこちらだったんだーと思いながらの参拝。




仲恭天皇は後鳥羽上皇の孫、順徳天皇の子で、父と祖父が倒幕計画を立て行動しやすくするために譲位したのを受け、4才で即位。
ですが、承久の乱で天皇側が敗れたので廃位(在位70日で史上最短)。「九條廃帝」と呼ばれ、明治時代に認められるまで、諡号もなく、天皇の系図にも乗っていなかったというかわいそうな天皇。
諡号の「仲恭」も3男だったから「仲」で、父に恭順だったからという。

九條陵から一段下がったところの広場に、細い石碑が並んでいました。
ちょっと見たところ怖い雰囲気のこちらは、鳥羽伏見戦防長殉難者の墓だとGoogle先生は言います。
長州藩の方たちに思い入れは特段ないので(私はどちらかというと幕府側を応援したい。福島に親戚もいるし)、回り道までしてお参りすることはないなーと上から見ただけで帰りました。
花園天皇陵
再び鳥羽街道駅まで戻って、京阪で三条駅へ。そこから20分歩いて花園天皇 十楽院上陵へ向かいます。

が、ここでびっくり。

青蓮院の中にあるので、参拝時間があるみたいです。
着いたのが4時25分くらい。張り紙を剥がしたら四時半だったぽいんだけど。
以前ならギリ間に合ったのにと思うけど、とりあえず門の外から遙拝したことで済みにしました。

古墳なんて年中無休24時間営業が当たり前だと思っていたから、京都の御陵は違うんだなあと少し感心(?)しました。
花園天皇は、鎌倉末期の持明院党の天皇。大覚寺統の後二条天皇の崩御により、12才で即位して(父の伏見天皇と兄の後伏見天皇が院政を行う)、22才で後醍醐天皇に譲位して、のちは出家して仏道と文人として暮らしていたそうです。
これにて、本日の予定は終了。
二条城のそばの一棟貸しの町屋を6人で借り切っての女子旅です。
買い出しチームもいて(センスのある子に任せた)、仕事を早退して合流する子もいて、夕食を楽しみにしながら宿に向かいました。

ハモや穴子、漬物、湯葉、鯖寿司など京都っぽいものがメイン。
昔は部屋飲みの買い出しに行くと、「足りないと困る」派が焼きそばやおでんまで買ってきて(いつもたどりついたことがない)、「余ったらもったいない」派の私なんかが注意しちゃうんだけど、年取って適正量が分かったみたい。
しゃべりながら飲んで食べて楽しかったです。