しゃおれんの旅日記

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足立区にも古墳はありまーす。白旗塚史跡公園・伊興遺跡公園

私の物件の共用部分の掃除に行ったついでに、我がふるさと足立区にも古墳があることを知って行ってきました。
とかく23区内では評判の悪い足立区ですが、住んでみればそんなに悪くないですよー。
師匠(夫さん)が定年退職後はいずれ足立区に戻りたい。
 
西口から3分くらいの竹ノ塚西自転車駐車場で「あだちゃり」というレンタサイクルを借りました。
1日200円、区内3か所のどこで借りても返しても良い自転車ということです。(身分証明書必須)
 
自転車で5分ほど線路沿いに進むとあります。
 
白旗塚史跡公園
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公園内にあった石碑(新編武蔵国風土記)によると、
ここが白旗という名前になったのは、八幡太郎義家が奥州討伐の時にここに旗を立てたかららしいです。
祠があったが近づくと咎あると畏れて村人たちは近づかなかったので、後に祠は壊れて松も枯れてしまった。
枯れて倒れた松の根元から鉄の太刀が出てきて、村人が持ちかえったらその家人は大病になったので、
再び埋め戻し、松を植えて、二本松というようになったとのこと。
 
その後、松は増えて、周りに堀もできています。
東京都教育委員会の説明板によると、
白旗塚古墳は直径12m、高さ約2.5mの円墳です。この付近の毛長川南岸には、擂鉢塚古墳、甲塚古墳、白旗塚古墳など7基からなる白旗塚古墳群が形成されていたそうですが、現存するのはここだけで、擂鉢塚古墳から出土したとされる馬形、円筒埴輪から、古墳群の築造は6世紀と推定されます。
が、白旗塚古墳自体は未調査のため主体部の構造や年代はわかっていないそうです。
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公園内には、はにわのレプリカもありました。
国宝の挂甲武人埴輪がなぜここに?こちらは確か群馬出身のはず。
家形埴輪はどこのものかよくわからないけど・・・
 
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船型埴輪と馬の埴輪もありました。
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この日は晴れていたけれど、風がとても強くて公園で遊んでいる子供もいなくて、
私もうっかり埴輪に触ってくることを忘れて残念。(材質が何か今になってとても気になる。樹脂かな?)
 
さて、その次はここから自転車でさらに5分ほど行ったところにある伊興遺跡公園。
 
伊興遺跡は、以前から遺物が出土していると一部の研究者や地元では知られていたけれど、昭和30年代に入り国学院大学の先生が学界へ紹介してくださってから世に知られるようになったとのこと。
公園の隣の氷川神社を北限として南北660m、東西690mというなかなかに大きな古墳時代の遺跡です。平成に入り調査が進み、祭祀遺跡ばかりでなく、毛長川流域の政治経済の中心的な役割を果たした遺跡であったとも考えられるようになったそうです。
 
公園内には復元された古墳時代の竪穴式住居。
竪穴式住居は、縄文時代だけでなく、平安時代中期まで庶民の間では利用されていました。
(寺社や貴族の住居は瓦ぶきや板葺きになっても)
採光や水はけが悪くても、温度変化を受けにくいため。
 
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中を見たら当時の生活様式が再現されていました。
古墳時代になると、かまどができているのでした。(加曾利貝塚の竪穴式住居は真ん中に炉があった)
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公園内には方形周溝墓もありました。
弥生時代に出現した墓で、やがて、強大な権力者は大きな古墳を作るようになるのですが、古墳時代になっても地位が低いと古墳ではなく方形周溝墓に祀られていたと考えられます。

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無料の展示館があります。

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レプリカですが、子持ち勾玉がありました!

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よくできたジオラマ。こういうの大好き♪
毛長川を準構造船で行き来したと思われます。
準構造船というのは、木をくりぬいて作った丸木舟に板材を足して作った船で、丸木舟より容量が増えています。
弥生時代から利用されたと考えられているのですが、これではそんなに人や物は運べないですよね?
北朝鮮の木造船のほうがはるかにちゃんとしていると思います。大陸や半島と行き来していたという海人族はどんな船に乗っていたのかとても気になります。もっと勉強しないとなー。
 
 
伊興遺跡では祭祀に使われたと考えられる飾りや土器が多く見つかっているためか、展示館には祭祀を行う巫女の人形がいました。この対面には武士など男性の人形もいましたが、写真がピンぼけで使えず。すみません。

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公園をうろうろして寒かったので、展示館で少し温まれて良かったです。
寒いためか公園も展示館も貸切。事務室のおじさんに挨拶をして出ました。
 
隣にある氷川神社
東京湾の海中にあった足立区が陸地化していく過程でこの付近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が武蔵国一の宮である大宮の氷川社から分霊を勧請したものと考えられると案内にありました。当時はまだ淵が入り組んでいたので「淵の宮」とよばれていたそうです。

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境内にあった日露戦役記念碑。
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日露戦争の勝利の記念に全村一丸となって募金を募り大金を集め、それを乃木将軍に伝えたら自ら揮毫してくれたそうで、記念碑の完成の時には出征軍人はもとより遺族の方も喜んで、提灯行列でお祝いしたそうです。ただし、終戦後は占領軍に解体・廃棄するように命令されたけれど、記念碑を残したくて費用が無いと拒否しているうちに朝鮮戦争が始まって進駐軍が撤退したので不問となりこの立派な記念碑が今日まで残っていると、日露戦争終結後百周年に氷川神社総代一同により建立された表示板に由来が載っていました。
 
複雑な気持ちでこの由来を読む。
 
 
 
さて、最後に寄ったのは前から気にはなっていたけど、わざわざこのためには来ないと思っていた「光の祭典」
竹ノ塚の駅から徒歩20分(でも、あだちゃりなら10分足らず)の元淵江公園のイルミネーション。
もちろん無料です!
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点灯時は音楽にあわせて色が変わって見ている人も心浮きたつ(笑)

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なかなか頑張ってます。

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親子連れも多くてほのぼの。
都会に行かなくてもイルミネーションが楽しめるのっていいかも。
 
車いすで連れてこられていたおばあちゃんが風が吹いた時に「たーすけてー」と言ったのには笑う。
良かれと思っても、おばあちゃんは暖かいお部屋にいさせてあげたほうがいいのかも(笑)
 
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じいじとお孫ちゃんが手でハートを作って写真撮ったりしててかわいい。
おばちゃん一人なので、私はこの♡で写真を撮る列には並ばず。イメージ 16
元淵江公園と竹ノ塚駅までの道もライトアップされています。
 
子供はこれで十分。表参道は大人になってからねー。
私ももう人混みが苦手なので、これくらいがちょうどいいです。
引越してから住んでいる今の町は、イルミネーションもないし、スーパーでもクリスマスケーキの予約も無いし、季節感が感じられなかったのですが、なんとなく嬉しくなった冬の一日。