しゃおれんの旅日記

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群馬観光ー足利学校と石拾い

皇海山登山の前に、足利市を通ることにして、足利学校に行きました。
日本最古の学校というけれど、実はよく知らなかった。
 
平安時代奈良時代国学の遺制とか、小野篁の創建ともいわれるけれど、確実なのは室町時代関東管領上杉憲実の時代に鎌倉円覚寺から僧を招聘し庠主(校長)とし、現在国宝とされている書物を贈り経営を支援したところからです。
 
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入徳の門を入ってすぐに孔子像。
隣に霊験あらたかなお稲荷さんがあったので、姪っ子の合格祈願。

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学校の扁額をくぐります。
 
足利学校は、当初は儒教を中心に教えていたのですが、戦国時代には易学と兵学も合わせて学び、ここで学んだ学生は全国で軍師として活躍したということです。戦いに勝つためには、吉日を選び、兵法を駆使する必要があったのですね。

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孔子廟。来月の釋奠のために、孔子像も小野篁像も方丈に移されていました。
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方丈で小野篁像と孔子像も見られました。

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これは、宥坐の器。このぶらさがっている器は空でも傾き、
水をいっぱいにしても傾いてこぼれてしまう。
足りな過ぎても慢心もいけないという中庸の戒めのための器です。

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南庭園も素敵ですが、北の庭園のほうが好み。
 
明治初期には、保管されている貴重な書物が廃棄されそうになったりしましたが、町民のための勉学の場所とされ、蔵書も図書館として保管されることになりました。
お庭や建物は昭和63年から平成2年にかけて江戸時代当時の復元工事がなされたということです。
今は生涯学習の場としても使われ、論語素読の会など催しも行われています。素敵ですね。
 
明治初期に失われた史跡や文化財が多い中で残ってよかったと思います。
 
 
さて、その次はすぐ隣にある鑁阿寺に行きました。
 
私はあまり室町時代に詳しくない。というのも高校時代の日本史の老先生が、楠正成を大楠公と呼び、
足利尊氏国賊呼ばわりするような方だったので、室町時代は本当にあっさり終わってしまったから。
一応進学校なので、授業で学ばなくてもみな勝手に勉強するから受験は大丈夫。
受験が終わったあと、私の興味は日本古代史に移ってしまったので室町時代はあんまり・・・
 
高校の先生は個性的な先生が多く、楽しい授業が多かったです。
古典の先生はとにかく活用と品詞に拘り、漢文の先生は朗々と詩をお読みになる。
日本史と古典と漢文、好きな先生の授業しか印象に残ってないかもーー。
 
 
鑁阿寺は、足利氏の氏寺で、足利氏邸ということで日本百名城となっています。
雰囲気としては武田神社みたいです。
 

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大銀杏と多宝塔。大銀杏が本当に大きい。

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国宝の本堂。
秋のお天気の良い日に散策するのにとても良かったです。
 
さて、お昼を食べて、まだ宿泊先のチェックイン時間には時間があったので師匠(夫さん)の意向で桐生市渡良瀬川へ。川原に降りられるところがあったので降りて石を拾いました。
 
渡良瀬川では桜石(石の中に小さな花のようなもようが見える石)が見つかるということで石の採集です。
 
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でも、川原にある石って結局石ころですよね。黒っぽい石はクロムが多く含まれているとか、門前の小僧は覚えてしまったけど、でも、黒っぽい石、灰色の石、緑色の石、と色々あっても石ころにしか見えない。
でも、とりあえず珍しい色の石を探してみる。桜石は見つけられなかったけど。
「お、ええのんひらったなあ」とお褒めいただく。
「拾う」の読み仮名は「ひろう」であって、「ひらう」ではないのに、関西出身の師匠は「石をひらった」と言う。
 
結局20分ほど二人して色々探し、厳選して持ちかえってきたのがこちら。

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鉱物だけでなく、地質学にも興味がわき出したのか、これらの石が何かを研究するそうです。
貴重な石でなくても、標本として集めるそうです。
一体、どこを目指しているのーーー?
 
本当はこの秋、登りたかった雨飾山。台風であきらめざるをえなくて残念。
その近くの姫川や海岸はヒスイ海岸と呼ばれヒスイが見つかるところらしいです。(簡単には見つからないと思うけど)来年は登山とからめてヒスイ探しをしたいという師匠。私は歴ヲタとしてそこに春日山城を抱き合わせたいところです。