日本最古の学校というけれど、実はよく知らなかった。
平安時代の奈良時代の国学の遺制とか、小野篁の創建ともいわれるけれど、確実なのは室町時代の関東管領上杉憲実の時代に鎌倉円覚寺から僧を招聘し庠主(校長)とし、現在国宝とされている書物を贈り経営を支援したところからです。
学校の扁額をくぐります。
これは、宥坐の器。このぶらさがっている器は空でも傾き、
水をいっぱいにしても傾いてこぼれてしまう。
足りな過ぎても慢心もいけないという中庸の戒めのための器です。
南庭園も素敵ですが、北の庭園のほうが好み。
明治初期には、保管されている貴重な書物が廃棄されそうになったりしましたが、町民のための勉学の場所とされ、蔵書も図書館として保管されることになりました。
お庭や建物は昭和63年から平成2年にかけて江戸時代当時の復元工事がなされたということです。
明治初期に失われた史跡や文化財が多い中で残ってよかったと思います。
さて、その次はすぐ隣にある鑁阿寺に行きました。
一応進学校なので、授業で学ばなくてもみな勝手に勉強するから受験は大丈夫。
受験が終わったあと、私の興味は日本古代史に移ってしまったので室町時代はあんまり・・・
高校の先生は個性的な先生が多く、楽しい授業が多かったです。
古典の先生はとにかく活用と品詞に拘り、漢文の先生は朗々と詩をお読みになる。
日本史と古典と漢文、好きな先生の授業しか印象に残ってないかもーー。
鑁阿寺は、足利氏の氏寺で、足利氏邸ということで日本百名城となっています。
雰囲気としては武田神社みたいです。
大銀杏と多宝塔。大銀杏が本当に大きい。
国宝の本堂。
秋のお天気の良い日に散策するのにとても良かったです。
渡良瀬川では桜石(石の中に小さな花のようなもようが見える石)が見つかるということで石の採集です。
でも、川原にある石って結局石ころですよね。黒っぽい石はクロムが多く含まれているとか、門前の小僧は覚えてしまったけど、でも、黒っぽい石、灰色の石、緑色の石、と色々あっても石ころにしか見えない。
でも、とりあえず珍しい色の石を探してみる。桜石は見つけられなかったけど。
「お、ええのんひらったなあ」とお褒めいただく。
「拾う」の読み仮名は「ひろう」であって、「ひらう」ではないのに、関西出身の師匠は「石をひらった」と言う。
結局20分ほど二人して色々探し、厳選して持ちかえってきたのがこちら。
鉱物だけでなく、地質学にも興味がわき出したのか、これらの石が何かを研究するそうです。
貴重な石でなくても、標本として集めるそうです。
一体、どこを目指しているのーーー?
本当はこの秋、登りたかった雨飾山。台風であきらめざるをえなくて残念。
その近くの姫川や海岸はヒスイ海岸と呼ばれヒスイが見つかるところらしいです。(簡単には見つからないと思うけど)来年は登山とからめてヒスイ探しをしたいという師匠。私は歴ヲタとしてそこに春日山城を抱き合わせたいところです。