古市古墳群めぐり後篇スタートです。
市役所の裏にあるのが、向墓山古墳。
この碑には、恵我藻伏崗陵とありますが、この陵は近くにある超巨大な応神天皇陵のこと。
このあたりがまだ古墳探索初心者にとってはわかりにくいところです。
私の記事を読んでいて、すでにお気づきだと思いますが、
恵我藻伏崗陵(えがのもふしおかのみささぎ)は「延喜式」に基づく呼称。
宮内庁方式の名前は入力しづらいし、地名による名称だと私にはわかりづらくて・・・
今、研究が進んで被葬者の疑義が多いようなのでこれから御陵の名前も変わっていくかもしれません。
やっぱりお役所仕事だけあって、平日10時から16時のみの開門。
見られませんでした(涙)
全長225m、後円部の直径135m・高さ21m、前方部は幅153m・高さ19mの三段築成です。
この後、この墓山古墳の陪塚の野中古墳(すぐそばにあり、ここからは大量の鉄製武器や鉄製の農具が発見されました)を見て、警察署の前を通って、誉田八幡宮へ向かいます。
(幕末の「文久の修復」で取り壊されました。
幕末には尊王の気運が高まり、あちこちで陵墓の修復事業を行ったそうです。
ただし、この時の修復は復元ではなく、壮麗にすることが主目的だったそうです。
こちらの場合は陵墓に庶民が気軽に登るなんてーーということでしょうか)
誉田八幡宮のHPで由緒・沿革を見てみると、
その前に社殿を建立されたとあり、その後歴代天皇がお参りされた」と続きます。
(ざっくりですみません、本当はもっと丁寧に書かれています)
本殿。
境内にお稲荷さんも。いつもながら商売繁盛を祈願します。
菅原道真公の祈座石と朝鮮国王奉納灯篭。
放生橋の説明と国宝の神輿の写真。9月15日の秋祭りにはこの神輿に応神天皇の御霊が乗ってこの橋を渡られる神事が行われるそうです。
説明の看板には神輿は現在は横の道を通るとありました。この反り方、けっこう危険です。
思ったよりも八幡宮が広くて説明書きも興味深く、お参りに時間がかかり、
気が付けばあと1時間ほどで電車に乗らないと義父の家に間に合わないことが判明。
嫁としては観光してて遅れたとは言えない。急いで、残りの行程を行かなくては・・・
この後、拝所を探しながら北上したのですが、住宅街の家の向こうにこんもりした林のようなものは見えるけれど、全貌が分からない。
ウォーキングマップをよく見れば、西側に外堤があり、全貌を見ながら散策できたようです。
陪塚の「二つ塚古墳」も見たくて、東側を歩いてみたのに、住宅街をさまよい見つけられませんでした。
(この「二つ塚古墳」は応神天皇陵の前方と後円の間のくびれにくいこむように造られていて、しかも成立年代が前と言われている。もともとあったところにわざわざ作るってどういうことなんだろう?)
途中グラウンドなどもあり、拝所はどこー?!と思いながらうろうろして、
西名阪自動車道の高架にぶつかり、
これは違う!と思って左折したらありました。
手前の柵から鳥居までがかなり遠い。この規模となると遠いのですねェ。
途中にいくつか古墳があります。
大鳥塚古墳。でも、この頃はかなり焦ってやや小走り。
古室山古墳。説明の看板を写真で撮って帰ってきてから読むほど焦っていた。
そんな中やっとたどり着いた仲姫陵古墳(宮内庁の看板には仲津山陵とあります)。
奥に見えるのが御陵です。
境内の中を電車が走る沢田神社を教えてくださったりしました。
確かに鳥居と本殿の間に線路があります。
ご婦人は親切に電車が通るまで付き合ってくれそうでしたが、
「大丈夫です」と笑顔でご遠慮しました。
親切なご婦人が帰っていく姿を見てから駅まで猛ダッシュ。
本殿と鳥居の標高差がすごいですよね。このあたりは誉田断層とよばれる断層です。
ちなみに前篇でもお伝えしたモズフルカード(百舌鳥・古市古墳群の古墳や施設を訪れ写真を撮って、配布施設で見せるともらえるカード。全60枚)は、今回は写真をかなり撮ったのに、配布施設に時間切れで行けなかったのでもらえていません。
私のお薦めのコースは、土師ノ里駅からスタートし、
允恭天皇陵→(唐櫃山古墳)→(鍋塚古墳)→仲姫命陵→小室山古墳→大鳥塚古墳→(誉田丸山古墳)→
( )は今回訪れていませんが、()以外の行程ぷらす峯が塚古墳から白鳥神社へ戻るという行程を入れて、2時間半ほどで踏破しているので、4時間あれば多分大丈夫かと。
やっぱり、これはリベンジしないと(笑)