実は今回の旅行でかなり楽しみにしていたのが、
山全体を土塁で囲いいざとなったらそこに籠城できるような巨大砦のイメージです。
近いのは、韓国ソウル郊外の南漢山城かも。
7世紀に遠の朝廷(大宰府のこと)の守りとして、水城と合わせて建設されました。
今回見ようと思っているのは、その土塁及び石垣。
当初、友人につきあわせるのは悪いと思い、自力で行くことを計画。
大宰府観光の後、車で「四王寺県民の森センター」を目指します。
大宰府の観光案内所でもらった地図には、桜の絵が。
「もしかしたら、この道、来たことあるかもしれない」と友人。
岩屋城跡もありますが、九州地方の戦国武将に全く造詣がない私はスルー。
(ここは、大友氏配下の武士が島津氏に攻められ全員討ち死にしたという激戦の地。)
県民の森センターの駐車場に停めて歩こうかと思いましたが、その先も車が行けそうなので、(というより、宇美の方に抜けられるそうです)
そのまま車でGO!
しかし、それらしい石垣がない・・・
このままでは山を下り切ってしまいそうと不安になるころ、
もしかして?!これ?!
なんだか、階段があるところが。
これを登れば石垣?
とりあえず登ることにします。
途中に「スズメバチ注意」の看板がありビビるけど見たい!
登ってみると、あれ?石垣?
石が積んであります!!
土塁に石が!
スズメバチはいませんでしたが、普通のスニーカーで来てしまいこれ以上の散策は難しそう。
さっきの階段も実は崩れかけていて降りるときに冷や冷やものでした。
車に戻って振り返ると、石垣らしいものがあります。
あの角まで行ってみます。
あ、小さい看板が・・・車で通り過ぎていました(笑)
ここが見たかった「百間石垣」です。およそ180m残っているためです。
この横に「登山道」と書かれた看板もありましたが、そこまで行く道がありません。
前にネットで見たときは、壮大な石垣だったのですが、草に覆われていて全貌が分からず。
来るなら虫もいなそうな冬がいいのかもしれません。
友人が「この城に来るのは年に何人くらいいるの?」と聞かれる。「百名城攻城団」のサイトでもちょっと人気はないけれど、でも確実に訪れるマニアはいるわけで・・・行くのが大変なところなだけに非常に嬉しかったですよ。
昭和48年の水害で川が氾濫して被害を受け修復を兼ねて調査をし、
平成13年度から保存の工事が始まり、礎石が発見されるなどしていたのですが、
平成15年の集中豪雨でまたも崩れ、その後復旧工事のおかげで現在の状態になっているそうです。遺跡の保存も難しいですね。
この後、飛行機の時間まで時間があったので、観世音寺に寄ってくれることになり来た道を戻る。
すると、駐車場らしきところがあり、数人が写真を撮っています。
私たちも降りてみると・・・
お、ここはどうやら土塁の跡らしいです。草で斜面が分かりづらいですが、切り立った崖で落ちたら危険。
写真の中央、奥に九州国立博物館が見えます。
土塁を散策。
看板発見♪
焼米ケ原の礎石が残る場所のようです。
この倉庫群遺跡から炭化した米が見つかったので焼米ケ原と呼ばれています。
木立の中に礎石発見♪
写真を撮る私のために足で落ち葉をかき分けてくれる優しい友♡
礎石の間には石が敷いてあります。
あわせて10棟。礎石の大きさからしてそれなりに大きな倉庫があったと推定されます。
ちょっと降りたところにも礎石が見えます。
ここからは、海は見えません。この四王寺山(大城山)から博多湾はけっこう遠いです。
まあ、あんまり海に近いと攻められたら一瞬なのかもしれないけど、これだけ離れていたら
大宰府政庁は守れるかもしれないけど、宗像の方から入って瀬戸内に抜けられたら近江朝廷大ピンチなんじゃ・・・(またまた妄想です)とか、
ここは山なので、けっこう規模が大きいなーと車で走ってその規模を実感したり、
本で読んだだけでなく実際にその場に立って色々妄想するのが楽しいーー。
非常に満足なのであった。つきあってくれて車を出してくれた友人に感謝♪
その後、観世音寺にも寄る。
西日本随一の戒壇院も備えていました。
私たちが行った時は、近所の学生さんたちが境内をお掃除してちょうど終えて帰るところでした。
五重塔の礎石。
こちらの梵鐘は国宝です。京都妙心寺の鐘と兄弟と言われているそうです。
この写真は看板がメインになってしまいましたが、けっこう大きかったです。
空港までの道すがら、水城を見る。おぉー♪
友人は「知らなかったらただの並木道だよね」と。確かに。
昔学生の時、ゼミ旅行(私は日本古代史専攻)で大宰府政庁や水城の跡などを散策したことがありました。
でも、その時は車じゃなかったから大野城は来れなかったなぁ。
本当に友人には感謝です。私は隣でただしゃべっているだけで1秒も運転変わろうとしてない。
良く調べると、鴻臚館跡や国分寺跡など心惹かれる言葉がちらほら。
北部九州は古代史の舞台ともいえる場所がたくさんあって、ちゃんと勉強しなおして(最新の研究成果を学んで)
再び訪れようと思います。