しゃおれんの旅日記

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憧れのミャンマー旅行 その⑦バガン マヌーハ寺院とタビニュー寺院そして夕焼け

ホテルでしっかり昼寝した後、バガン観光後半戦です。
 
まず、漆工房見学。伝統工芸の工房見学ってパック旅行だと必ず組み込まれているけれど、
見学するだけなら楽しい。その後のお買いもの時間が苦痛なんだけどミャンマーの店員さんは全く押しが弱かったので気楽でした。ガイドのヨンちゃんはさっさと車に戻っていたし。
 
次に訪れたのが「マヌーハ寺院」
ここはヨンちゃんが言うには、「バガンの王様がモン族のマヌーハ王様にさんぞうきょうというお経を見せてと言ったのに、マヌーハ王が見せなかったのでバガンの王様が怒って戦争になり、マヌーハ王様が負けて捕虜になってバガンに連れてこられて閉じ込められたところで、マヌーハ王様が『自分も寺院を建てたい』と言ったのをバガンの王様が許して作ったところ。だから、つらい生活での苦しさが分かるようになっています」とのこと。
 
バガン朝の王様の名前もちゃんと言ってくれていたけど書き取れず。アノーヤター王でした。
「さんぞうきょう」についても帰国後調べたところ、
三蔵経(パーリ語の経典)とは上座部仏教の経典で世界最大の経典ともいわれています。ミャンマーの古都マンダレーには、729枚の大理石に三蔵経を刻んで納めた納経塔としてのパゴダもあるそうです。
 
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「閉じ込められて苦しかったので、仏像も狭いところに建てたので苦しい気持ちが現れている」とのこと。
確かに、両肩は壁についているし、頭も天井いっぱい。
でも、自分が幽閉されて苦しかったら、せめて仏像は広々作ってあげたいんじゃ・・・
 
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巨大な仏像の指の爪が私の顔よりもでかい。
膝と壁との間がとても狭いので太った人は通れないんじゃないかしらん。
このお隣の巨大仏もやっぱり苦しそうな空間にいらっしゃる。
 
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建物裏側の涅槃仏もとても狭い中にいらっしゃる。
涅槃仏は、足が揃っていて、足の裏に御経が書いてないそうで、
足が揃っていないで足裏に御経が書いてあるものは涅槃仏ではなく(亡くなっているわけではない)、
寝ているお釈迦様ということでした。目が開いているとか開いてないは関係ないそうで、
こちらのお釈迦様は長し目ですが涅槃仏ということでした。へぇーーー。
 
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こちらの人形は、ナッ神様の親子。
 
ナッ神様とは、無念の死を遂げたりしてこの世に強い思いを持っていた人は強い霊力を持っているため精霊となると考えられているそうです。真ん中の女性は、マヌーハ王の妹で、ポッパ山に逃げて祈りを捧げていたけど、邪魔をする人が多かったので鬼に見えるようにしていた(写真ではよくわからないけど、鬼のお面を頭につけています)。その後、アノーヤター王の臣下と恋に落ちて息子が二人生まれて幸せに暮らしていたものの、アノーヤター王はこの親子の人気を恐れて夫と息子を言いがかりをつけて殺してしまった。そのため、息子とこの女性はナッ神様となって、ポッパ山とその周辺を守っているそうです。
 
ヨンちゃんの説明もざっくりしていて微妙なところがあるけど教わって良かった。
師匠(夫さん)と、「聞かなかったらこの微妙な三人組はなんだろう」って適当に流していたよねー」と話す。
この像のお隣には金の孔雀に乗った弁財天様もいました。
 
深く仏教を信じているのに、精霊の神様も信じていて、インドの天文学から来たという八曜日の占いというか考えも信じていて・・・仏教は生まれ変わった来世でのため、精霊や曜日の考えは現世でのご利益的なようです。
なかなか大変だけど、信じるものがたくさんあるというのは日本人も同じ。
八百万の神様、仏様、困った時だけでもお願いしていいなんて日本の神様もおおらか~(と思っているのは私だけ?)。助けてくれる存在が多いというのは嬉しいですよね。
唯一つの神様以外は認めない(他の神様を信じることを許さない)という宗教よりも寛容でいいんじゃないかなぁ。
 
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タビニュー寺院。61mもの高さを誇るバガンで一番高い寺院。
 
前はこの2階のテラスから景色を見ることができたのに、2016年の地震で崩れたので今は登れず。
一階のみの見学でした。被災当時の写真を見ると壁が落ちて大変そうでした。
今はとりあえず壁を塗りましたー的な補修は終わっています。東西南北にお釈迦様がいます。
 
 
タビニュー寺院はバガン朝の4代目の王アラウンスイトウ王が建てました。この王の息子は、父王が長命で長期政権だったので、父王と兄王子を暗殺し即位したそうです。そして、父王よりも大きな寺院を作ろうとしたけれど、スリランカ出身の王妃を殺したため、スリランカのスパイに殺されたそうです。
「悪いことをしたら必ず自分に返ってくるんです」とヨンちゃん談。
 
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タビニュー寺院の隣のパゴダからタビニュー寺院の伽藍をバックに。
このパゴダでも境内は裸足。私が持っているのはサンダルです。
ミャンマーの寺院はどこも境内はすべて裸足、着脱しやすいようにサンダルが便利です。
掃除してあるとはいえ普通に外なので痛いこともある。そして当然ながら足裏は真っ黒です。
 
 
 
帰国後、タビニュー寺院の向かいに日本人のための戦没者慰霊碑があったことを知りました。
ヤンゴンには日本人墓があるそうです)
ヨンちゃんにはわがまま言えそうだったから行きたかった。
慰霊碑を管理してくれている僧侶の方にお礼を言いたかった。
そして、以前ラジオで知ったアウシュヴィッツの生存者で収容所博物館の元館長の言葉
「君たちに戦争責任はない。でもそれを繰りかえさない責任はある。」
のように、私は再び戦争でおきないように努力すると、この地で亡くなった多くの日本人の方の魂に約束したかった。遅ればせながら南西の方角に黙祷。旅の下調べは念入りに。反省です。
これからバガンへ行かれるみなさま、ぜひ訪問されてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
 
タビニュー寺院だけでなく今はどのパゴダも保全のため登れなくなったので、今は夕日を見るスポットとして人工の丘を作って、観光客はそこから夕日を見ています。
バガンには、入域料といって空港で25000MMKでチケットを買い(5日間有効)、外国人観光客は常に携帯し、求められたら提示しないといけないのですが、この夕日の丘に登るときもこのチケットを見せました。
 
5時半くらいに来たもののまだ日が高くて夕焼けにはならない感じ。
でも、木々の間に点在するパゴダの数々にうっとり。
多くの観光客と一生懸命な物売りの子供たちの間を右往左往しながら写真を撮りまくりました。
 
でも、目で見るほどにうまく絶景を切り取れない。
師匠のカメラに任せて私はぼんやり見とれていました。
 
 
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右の上が金色の寺院はアーナンダ寺院です。
 
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30分以上粘ってみたけど、お天気が悪いのか、この後太陽は雲の中に入り、夕焼けを見ることはできませんでした。この丘のまわり、街灯がないので、日が暮れたら危なそう。舗装もされていないからものすごい土埃でした。
観光馬車のみなさまはみな目をつぶってハンカチで口を覆ってました。景色が見られずかわいそう。
 
 
 
夕日観賞のあとは、「ナンダ」というレストランで中華を食べながら伝統芸能の人形劇を見る。
この日は録音された音楽だったので「本物とは全然迫力が違うんです!」と申し訳なさそうなヨンちゃん。
すごい人形裁き(?)のおじさんのドヤ顔は見られたから、演奏がテープでも問題無しですよー。
中華料理は美味しかったです。この店は欧米人の団体さんも多かったです。
日本人のテーブルと欧米人のテーブルでは料理の量が全然違う。
あれだけ食べられる人たちと戦争したら勝てるわけないよーと思ったりして。
 
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デザートは揚げバナナをなぜかテーブルでさらにフランベ。
いきなり火をつけるから写真を撮るのに慌てました。間に合ってよかった~。
 
朝4時半起きでヤンゴンからバガンへ移動。途中ホテルで昼寝したものの、この日ホテルに戻ってきたのは夜の8時過ぎ。長い一日でした。本当に充実した大満足の観光でした。
バガン旅行記だけで4回もかかるほど、見どころ満載でした。
 
ホテルではNHKが見られたので、東日本大震災関連の番組を見て、のんきに旅行している自分に罪悪感を感じ、その分働いて社会に何かの形で還元しようと思ったのでした。(パゴダで「善行する」と誓ったし)