今日はパートが休みなのでどんどん旅行記アップしちゃいます。
バガン観光の目玉といえば、「シュエズィーゴンパゴダ」♪
いよいよシュエズィーゴンパゴダへ到着です。
シュエは黄金、ズィーゴンは「勝利、栄光の地」という意味だとか。
王様が白象を放して最初に座った地に建てて、このパゴダにお釈迦様の骨と歯を納めたと言われています。
この歯というのは、ガイドのヨンちゃんによると
歯は本物の歯と長い間一緒に置いてパワーを写した複製です」と言っていた。
あらら、複製って言っちゃっていいの(笑)
入り口は獅子が守っています。ミャンマーの寺院は入口から境内の中はずっと裸足。
靴下もダメなので、大理石が熱くなる昼間は参拝できません。
掃除は丁寧にしてあるけれど、若干の小石や砂利に軟弱な足裏の日本人は四苦八苦です。
回廊を抜けたらまばゆいほどの金のお堂とパゴダ。(ビルマは金が取れるそうです)
多くの人が参拝に来ていました。でも、「今は夏なのでお客様が少ない」とのこと。(3~5月は暑季、6~10月が雨季、11~2月が乾季、旅行には乾季が最適)
お釈迦様の骨と歯がおさめられているパゴダ(仏塔)。
ヨンちゃんによると、「パゴダは中にお釈迦様の歯などを納めて祈るもの。だけど、天気が暑すぎるとお参りできないので、寺院を作った。寺院は中に空間があって、お釈迦様の像を納めている」仏塔と寺院という区分なのですね。雲一つない青空に黄金のパゴダが映えます。バガンは乾燥地帯なのでとても暑いです!
パゴダの四隅を守る獅子。どちらの面から見ても体が見えるように二つに分かれている。
香の良いジャスミンのレイがたくさんかけられています。
熱心にお祈りしている人たちを写真に撮っては失礼な気がするので、
たくさんお参りしている人がいるのを避けて写真を撮るのも一苦労。
熱心にお祈りしているけれど、実は自分のために祈るのではなく、
「お釈迦様、経典、お坊さん、親、師匠(先生に限らず人生において色々と教えてくれる人)」のために祈るとか。
「他の人のために祈ることで、その祈りが自分にも帰ってくる」そうですよ。
日本でも、お寺や神社でつい自分のお願いばかりしていて、感謝の気持ちが二の次の私には耳が痛い話でした。
11Cの様式の仏像。螺髪、顔はインド風、体のラインがあらわになる薄手の袈裟。
ヨンちゃんが私のカメラで一生懸命撮ってくれているのは・・・
こちら↓
泉に映るパゴダ。ここは泉で、ここで祈った時にパゴダが見えれば天国へ、見えなければ地獄に行くそう。
だけど、人が写真を撮るために並んでいて祈るどころではありません(笑)
もともとここは水準器の役割だそうです。
とても細かい木彫で彫られたお釈迦様にまつわるお話し。柱は鏡張りでキラキラです。
お堂の中にあるお金がたくさん入った透明な箱。こちらは寄付の箱。
金箔用・修復用・電飾用などなど用途別に寄付をすることができます。
箱ではなく事務所で寄付をすると領収書がもらえるそうです。
この世で功徳を積むと生まれ変わった時に良い人生になるそうで、寄付も功徳の一つです。
事務所の壁には内訳別の寄付金額集計が月ごとに掲示されていて、金箔用が一番高かったです。
なんとミャンマーの人は収入の二割くらいは寄付をするそうです。
強制ではないそうですが、たいていそれくらいするとのこと。
これは良い事をしたときに鐘を鳴らして、世界に善行をシェアするとのこと。
ヨンちゃんに「どうぞ鳴らしてください」と言われるも、善行してない私たちは
「これから良いことをします」と心の中で思いながら鳴らしました。
そして、ニャウンウーの村からオールドバガンへ向かう途中。
ここは、無数の仏塔が多くある地域なのですが、民家がありません。
「軍事政権の時に、この辺に住んでいた住人は全部追い出されてニューバガンができた」そう。
追い出した理由はヨンちゃんもよくわからないそうですが、「当時は反対なんてできないから」
「でも、そのおかげで今は塔の観光にも保存にもいい。昔のように住んでいたら人が増えて、
パゴダが壊されたり、観光をするにも景観の邪魔になったと思う」
そんな中、ガイドブックには載っていないケーミンガーという地域で下車。
ここは、ある一族の建てたパゴダが密集しているところです。
色々な形があって、目移りします。
左手奥の塔は2016年の地震で傾いてしまったそう。
私は中央左よりにあるような下にファサードがついているようなタイプではなく、
こちら↓の真ん中奥にあるような釣鐘型が好みです。
これらの仏塔は煉瓦作りだけど、これは基礎であって、本当は上に漆喰を塗って彫刻の装飾があったそうです。
上の写真は黒いけれど、これは長年のカビによるもので本来はベージュ色で、金の装飾もあったりしてとてもきれいなものだそうです。シュエズィーゴンパゴダのような大きなものは王様が建てるけれど、それ以外にもこのように貴族や金持ちが自宅の周りに塔を建てていたようです。どうして、そんなに経済力があったのかと聞いたら、カンボジアのクメール王朝と戦争をするくらい勢力範囲が広かったからと言っていた。え?ここからカンボジアと接するところまで制圧していたの?それは広大かも・・・・
奥に見える金色の塔はこれから見学する予定のアーナンダ寺院。
夏なので、草木が乾いていますが、雨季には緑が青々と濃くてとてもきれいな写真が撮れるそうです。
(ただし、スコールの時は観光どころではありません)
これだけ、色々な形のパゴダと装飾の技術がありながら、
いくつかのパゴダの内部に残っている仏像を見るとどうもいただけない。
壁画の色などきれいに残っていたりするけど、建築や彫刻の技術はすばらしくても絵画の技術は・・・?