しゃおれんの旅日記

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米沢で歴史を堪能♪

先月友人たちと米沢観光してきました♪
米沢は水とお米が美味しいということで日本酒が美味しいところだそうです。
そして、たくさん酒蔵もあるとかで、日本酒大好きな友人たちと我が師匠(夫さん)も参加しての旅行となりました。
途中でお酒を買って、部屋で飲み比べしようという話らしい(私以外はみんなお酒が飲める人たち)
 
私の友人たちは、私が歴ヲタということを知っているので城とか歴史関連施設見たいと言って別行動も了承してくれる。だけど、今回はその前後に百名山登山をつけてしまい、友人たちとの旅行のはずがあまり一緒にいられず残念でした。
 
 
金曜に西吾妻山に登り白布温泉に泊まった私たちはまず小野川温泉に向かいます。
もう一家族前日から夏休みの旅行に出ている友人家族と土曜の宿泊地で待ち合わせ。
金曜日しっかり働いて土曜の朝の山形新幹線で米沢入りする美女たちを待つ。
 
早く着いてしまったので、気になっていた田んぼアートを見に行きました。
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おおぉー、初めて見たけどすごい迫力。米沢は上杉だけでなく伊達政宗ゆかりでもありますしね。
  
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小野川温泉小野小町が開湯したそうです。美人の湯として知られていますが、病気になった小町がこの湯で療養したらすっかり元気にきれいになったとか。実際、成分的にも美肌成分があるそうです。
そんなことを聞いていたので、友人家族を師匠と足湯に入って待つ。
ただね、この足湯を出るときに、足を拭こうとして東屋の梁に思い切り頭をぶつけて、目から星が飛びました。その日一日中なんとなく頭も痛かったし、夜も起きていられなくて本当に残念でした。つい、貪欲に温泉を飲んだりしたのも良くなかったのかなあ。「美人の湯」の響きにやられたー。
 
さて、友人家族と出会い、美女たちが新幹線でやってくる間に観光を一つ。
歴ヲタの私だけど、みんなをつきあわせるのが悪いなーと言いだせなかった「上杉家廟所」。
町の中心の上杉神社から少し離れているので。
つきあってくれるというので行ってしまいまーす。
 
小野川温泉からは8:47のバスで市内へ。これを逃すと次は10:17までありません。
御廟前のバス停で降りてすぐ。
 
ここは藩祖上杉謙信から12代までの藩主の墓所となっています。
米沢藩の初代は上杉景勝では?と思われますが、ここ上杉家廟所では初代は謙信とされています。
真ん中奥に謙信公、むかって右側に奇数の、左側に偶数の代の藩主が祀られています。
明治以後の当主の方は上杉家下屋敷そばの白金のお寺に代々お墓があるそうです。
 
 
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門をくぐって杉並木の奥に御廟が見えます。
  
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この杉並木は戦中に伐採されてしまい、一部しか江戸当時のものは残っていないそうです。
御廟でボランティアガイドさんの懇切丁寧な説明を聞くことができて本当に楽しかったです。
実は、戦国武将で一番好きなのは謙信、といいつつ通りいっぺんのことしか知らなくて、景勝以降は鷹山公までの知識は皆無。
ところが、吉良家や黒田家から養子をもらったり、甲州夫人や真鍋家との関連などなど
とにかく「そうだったの?!」というような話の連発。
メモ取っておけばよかったー。
ガイドのおじさんにも「奥さん、よく知ってるね」と褒めていただいたのに、
知っていたのは登場人物の名前だけで、せっかく教えてもらったことをすっかり忘れてしまって大変ごめんなさいです。
 
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この毘のマークの兜以外にも、いくつか種類があり博物館でももらえました。
 
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謙信公の次に人気?鷹山公の前にだけ生花あり(笑)
 
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今見ると整然と並んでいるのでうっかり初めからこの形のように思うけど、実は亡くなると次の藩主が廟屋をたてて祀るようにしていたそうです。途中までは火葬だけど、途中から土葬に。建物も入母屋作りから宝形つくりにと変化しています。
 
謙信公の廟の前でお参り。「神社じゃないから手は叩かないでねー」とガイドさん。そうでした、ここはお墓詣りですよね(笑)神様としてお参りするなら謙信公は上杉神社に行かなくちゃ。
 
 
この後、待ち合わせ場所とした城史苑(特産品を売っているお店)まで歩く。
暑いし、約2キロくらいあるし、小学生の男の子もいたけどバスが無いのでタクシー、と思ったけどタクシーもなくて残念。その子とストップウォッチで「心の中で10秒を測る」ゲームをしながら歩いていたが、
私の体内時計は全くだめで10秒どころか8秒くらいだし、30秒なんててんでダメだったのに、
その子はなんと「9秒94」とか「30秒12」とか出せる。いつかランナーになったらいいペースで走れるよー。
 
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米沢城址のお堀にはきれいな蓮
 
 
城史苑で色々お土産を見る。山形のお酒コーナーがすごく充実していたらしい。
 山形はサラミが好きなのかな?やけにサラミを見ました。
 
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上杉鷹山公は借金で傾いていた藩の財政を自らも質素倹約をして再建させた藩主。
「為せば成る」の句が有名ですよね。J・F・ケネディは最も尊敬する日本人として挙げたそうですよ。
ただ、鷹山公の像はこの公園だけで5つくらいあるそう。人気なんですねー。
 
 
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「成らぬは人のなさぬなりけり」と言われても・・・・
 
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上杉謙信祠堂跡 
かつて謙信公は亡くなった際に甲冑を着て甕に入れて埋葬(一種のミイラのような)されて、米沢城(当時は舞鶴城)の南東に祠堂を建てて祀られたそうです。このお城の守り神として、参勤交代で戻った藩主はまず謙信公の祠堂をお参りしたとか(御廟のガイドさん談。うろ覚えなので違っていたら大変申し訳ございません)。
その後明治になり、米沢城が廃され、上杉神社が創建される時にご遺骸は御廟のほうへ移されたそうです。
 
一見何もない広場で遠足に来た幼稚園児のお弁当の場所といった感ありますが、歴史ある場所ですねぇ。
 
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別格官幣社というのは明治時代に定められた神社の格付けで国に尽力した人物を祀る神社だそうです。(ちなみに湊川神社日光東照宮靖国神社談山神社など「国に尽力した」基準は時代を問わずなのですねぇ。ネットで見ていたら全国に28社しかないのでいつか参拝してみるのもいいかも。
 
本殿は大正時代の大火で焼失するも、国からの援助金と市民の労働奉仕で無事再建。設計は米沢出身の(知らなかったー)伊藤忠太氏(平安神宮築地本願寺も設計した寺社建築の大家)です。
   
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参拝した後は、城址公園内の「伝国の杜米沢市上杉博物館」へ

 

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ここには国宝の「洛中洛外図屛風」があります。と言っても本物が見られるのは特別展示の数日間だけ。
普段は精巧にできたレプリカを見ることができます。映像解説などもあり面白いです。
私は説明の紙を見ながら、「おぉー、東福寺清水寺八坂の塔かぁー」とか言いながら建物を探したり、
出てくる人物たちの動きに見入ったりと堪能しました。師匠が「あ、カマキリの山鉾がある」と祇園祭の山鉾を見て感動しておりました。(師匠は関西出身、東京下町出身の私は祇園祭りを見たことがない・・・)
 
 
お昼に「熊文」のラーメンを食べる約束をして、その前に師匠と私だけ「東光酒造」に行く。
ここは、酒造資料館として日本酒のできるまでの説明や、昔の商家を移築して中を見ることができたり、試飲即売場もあります。お酒が飲めないのに、日本酒、ウィスキー、ビール・・・お酒の作り方だけは詳しくなってきました。

 

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お酒の神様 奈良の三輪山にある大和一之宮三輪明神大神神社の分社があります。
この後、師匠は無料試飲と有料試飲をしていましたが、やっぱり有料試飲のお酒のほうが美味しいと申しておりました。
 
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お昼は「熊文」の冷やしラーメン。この時期しかないのかな?友達がお薦めしてくれたのですがあっさりとしていて美味しかったです。(当の本人は普通の暖かいラーメンを食べていました)私はラーメンはあっさりよりもこってり派ですが、冷やし中華ではなく普通のラーメンが冷やされていて新鮮でした。酢の要素がないひんやりはいいものです。ガリも入っていてそれがまたよろし。
 
ただ、東光酒造からタクシーで来た私たちもそのタクシーの値段に驚きましたが、
伝国の杜博物館から、歩いてきた友人たちは汗だくでした(土曜はバスがないようです)。
 
そう、米沢観光のプランを立てようとして驚いたのが、公共交通機関がほとんど無い!こと。
バスの本数も少ないし、タクシーは呼ばないと来てくれないし。車が無いとちょっと無理かも。
今回は試飲をしたかったので、あえて車を使わなかったので大変なことに。
 
 
その後、美味しいお酒を買い込み、小野川温泉に戻り、温泉に浸かったり、お料理をおいしくいただいたり、その後部屋で美味しいお酒を飲みながらおしゃべりして楽しい一日でした。(私は頭痛で早寝したのが残念)
 
温泉名物のラジウム玉子が気になっていたけど、10個入りで食べ切れないなーと思っていたら
朝食で食べられたので良かったです。見た目温泉卵だけど、ラジウムが浸透していてきっと何かの効能があるのでしょう・・・(笑)
 
翌日は朝食後、私たちは磐梯山へ向かいましたが、友人たちは上杉伯爵邸に寄ったり、高畠町のワイナリーへ寄ったりしたそうです。楽しそう。帰りの新幹線では「牛肉どまんなか」のお弁当を楽しんだと言っていたし・・・

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lineに上がってきた「上杉伯爵邸」。
と、
上杉神社近辺で見かけたという「愛の武将隊」
「謙信公がかっこいいかどうか確認して」と返事したら「誰が謙信かわからない」とのこと。
先頭の人が日月の前立てなら謙信公なんだけど、うーん「毘」の旗印だから謙信公でいいんだよね?
私みたいな歴ヲタ(最近は歴女というのかな)向けに色々サービスしてくれるのですね(笑)
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