しゃおれんの旅日記

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歴史マニア韓国旅 その6 漢陽都城博物館

3日目の午後、お昼にお酒を飲んでないのに師匠(夫さん)が疲れたとか言いだす。
本当は昌徳宮の後苑ガイドツアーに行きたかったけど、90分歩くなんて面倒と言う。
昌徳宮の後苑は、よく歴史ドラマで王様が散歩したりして出てくるから見たいんだけど、
初めてソウルに来た時にも行っているけど、あの時はあまりドラマ見ていなくてほとんど覚えていないから。
とはいうものの、午後は日本語のガイドツアーが無くて英語かハングルになるので、
疲れを押して無理に見学をするよりも、休憩しようとプランBを考えることに。
 
万歩計を見たら2日目は34568歩、3日目も最終的には35000歩を超えていた。
(師匠は途中寝ていたからこれより少ない。そもそも足が長いから私より歩数が少ないはず)
 
Wi-Fiがつながる珈琲チェーンで色々調べる。
昌徳宮の観光はやめて、夕食までどこに行こう。
夕食が東大門の予定だったので、東大門の「漢陽都城博物館」(無料)に行きました。
 
東大門駅を降りるとすぐ公園になっていて、城壁に登ることができます。
そう、私は城壁好き。登れるものなら登りたい派です。
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疲れているはずなのにつきあってくれる師匠。えらい!
この後、城壁にそってしばらく行くと健康遊具などがあるので運動しました。
夕食までにお腹をすかせないと。
 
 
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振り返ると東大門。こんな公園あったかな?久しぶりに来たら東大門ずいぶん変わっていた。
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いつのまにかこんな立派な建物が。この1階から3階までが博物館です。
3階が常設展示。2階は会議室や休憩室、1階は企画展示室です。師匠は2階で休憩。
Wi-Fiがバリバリつながるそうで、ネットして待ってくれました。一方私は、じっくり見学しました。
日本語の説明もあるにはありますが、ハングルをなるべく読もうと。でも、難しい・・・
朝鮮王朝の初代イソンゲがソウル(当時の漢陽)を都にして築城が始まり、途中の修復のこと等々。
近代になり、植民地時代に近代化の元に城壁が壊され、韓国戦争後はさらに壊されたと。
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城壁の模型。今の場所と比較しながら見る。南山の中に城壁があるのですね。
 
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宮殿の屋根の端にある飾り。三蔵法師孫悟空沙悟浄猪八戒だって知ってました?
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レゴでできた東大門の模型。
 
 1階の企画展示室で、「都城一観」という企画展をしていました。
近代の城壁の変遷をまとめてありました。
初めに「洋の東西を問わず、城壁は近代化の妨げになるもので、それを壊すのは一種の通過儀礼だった。
ただ、朝鮮の場合はそれが外からの圧力で行われた。・・・障害にはなるけど、自らは壊したくないもの云々」というような趣旨の説明があり、ハングルの部分を読んでも出だしが同じだったので、おそらく同じように事実を書いてあるだろうと、作為的なものはないだろうと思いながら展示を見ていきました。
 
19世紀末には、都城は観光名所となっていた、とあり写真のはがきや、旅行の手引きなどがありました。
日本からの修学旅行の様子の映像もあったり。
旅行の手引きは日本語でした。ソウルの観光のモデルコースは「南大門、朝鮮神宮、京都郵便局、昌慶宮大温室、朝鮮総督府景福宮、光化門、美術館等々」
「ソウルでは、地上20m以上の高さから写真などを取ることは禁止されています」といった趣旨の注意書きが旅のしおりにあったっけ。(この辺は全部日本語)
 
展示室の一部の映像室で、城壁に関連した昔の映画を上映しているらしく、
おばあさんとその嫁らしい人が係の人に案内されて中へ入っていきました。
 
そばを歩いていた私も「中へ入りなさい」と係のおばさんに言われて
入ってしまったけどよく分からずすぐ出ました。
おばあさんが「ああ、○○だわ」と俳優さんの名前を呼んでいて、
嫁が「ハンサムねえ」とあいづちをうち、またまたおばあさんが「本当にハンサムだねえ」というやりとりを微笑ましく見る。これくらいは聞き取れる。
なんだかほっこり。
 
城壁といっても、日本の城はどちらかというと君主の居城を示していて、
韓国や中国のような町全体を包む城壁ではない。
韓国や中国のそれはヨーロッパの中世の城壁に似ているかも。
 
古くからの街を壊したくなくて、鉄道を離れたところに敷いて新市街と呼ばれる街がヨーロッパには多いし、
古くからの街は旧市街とか歴史地区として残っている。
ソウルは今は城壁を「放置されて邪魔なもの」としてではなく、修復して「共存していく誇らしいモノ」にしようとしている印象を受けました。
 
前回の扶余(古代の百済の都)に観光したときは、
やたら「日本に伝えた」シリーズが続いていて、
今回は近現代の関連の観光が多かったので、「日帝強占期(日本の植民地時代のことをこういうらしい)」の文字を見るたびに複雑な気持ちになっていました。
 
私は、楽観的すぎるのかもしれないけど、
最近増えてきた嫌韓・反中の意見にはどうにも賛同できない。
こんなにあの国はダメなんだ、とか暴露本的なヒステリックな見出しの雑誌を見ると驚く。
色々な意見があっていいものだけど、そういった本を見て溜飲を下げる人はどんな人なんだろう?
まあ、一方で韓流スターの雑誌もまだまだ隆盛だし、その点では表現の自由がある日本はいい国なのですよね。
 
反日運動があっても、なんだかんだ言って日本に来る外国人は減らないわけだし、
それって、日本製品が好きだったり、日本に来たくて来るわけでしょう?
国の政策としては良くないけど、市民のレベルでは特に反日的な印象も無い。
一部のヒステリックな人たちが騒いでいるのはお互いさま?
 
できれば近い国どうし、もっと仲良くやっていけたらいいのにと思うわけです。