今回の旅の目的の一つは、韓国の世界遺産めぐり。
ソウルから日帰りで扶余に行ってきました。
(今回の旅は、知り合いのお姉さまとその息子さん(社会人)と
お嬢様(女子大生)と私というとりあわせです)
お嬢様は「白村江!行きたい!教科書で見た!」ということで今回の旅に参加、
お兄ちゃんは前から扶余に興味があったそうですが(なぜかは知らない)
一人で行く自信がないからと着いてきました。
無事ご一行を案内してきましたよー。
同じように日帰りを考えている方のための記録です。
日帰りなのでこのうちの扶蘇山城と定林寺跡を見学しました。
さらに、国立博物館と文化団地というテーマパークにも行きました。
ソウルから日帰りでも十分楽しめましたよー。
「百済の歴史地区」として登録されているのは、
公州の(公山城、宋山里古墳群)、そして益山の2箇所(王宮里遺跡、弥勒寺跡)の合計8箇所ですが、
この中でも扶余に行こうと思ったのは、扶余の都(当時はサビという)であり、
扶余に白馬江が流れているから。
白馬江は、日本史で出てくる、百済&日本連合軍が、
扶余滅亡のさい、扶蘇山城から宮女たちが川へ身を投げたなんていう話から
うっかりここが戦場かと思っていましたが、
戦いの場所は白村江(現在の錦江)の河口だそうです。
ですよねー。
地下鉄3号線「南部ターミナル」駅にある南部ターミナルから扶余市外バスターミナルまで163KM、2時間。
(ネットでは2時間半とありますが、往復ともそれぞれ2時間で着きました)
ソウル南部ターミナルの時刻表はネットでは確認できませんでしたが、
始発が6時で30分間隔くらいでバスがあります。(韓国観光公社公式サイト参照。)
11,600W(約1,160円)、切符売り場に「부여(扶余) 직행(直行)」と書いて人数を告げれば、その時一番速いバスの切符を出してくれます。
(もしかしたら混んでいる季節は切符がないこともあるかもしれませんが、
私たちの行った2月は土曜でも半分くらいしか埋まっていませんでした)
バスの切符。右がソウルから扶余、左は帰り。
出発日、出発時間、座席番号、ホーム(ちゃんと英語でも書いてあります)が記載。
ソウルの南部ターミナルは切符を買ったら、
外に出てホームの番号に行けばだいたい5分前くらいには乗れます。
(10分前くらいだとまだバスが無かったり、ドア閉まっているけど不安にならないでくださいねー)
扶余の方は、ターミナルが小さいのでホームは書いてありませんが、
バスはすぐ見つかります。
高速バスは座席が大きく、リクライニングもきくし、足載せもあるし、
(私の足載せは壊れていたけど)とても快適。
初めて地方へのバス旅に出るお姉さま一家も大満足でした。
ターミナルの中には、コンビニ、バーガーキングなどもあり、
ターミナルの外には24時間営業のロッテリアもあります。
ただ、私たちの時は早くてバーガーキングがあいていなかったので、
ダンキンドーナツで朝食。
途中SAに寄ることも無く一気に扶余に到着。
帰りのバスのチケットを買おうかと思いましたが、
韓国観光公社のサイトでは終バスは18時台だったのに、
ターミナルのチケット売り場の時刻表を見るとソウル行のバスは20時台まであることが判明。
(と、言っても、紙に書かれて貼られていたので、
その後もあるかどうかわかりません)
帰りのチケットは買わずに観光開始ー。
まず、市外ターミナルから歩いて15分ほどのところにある「国立扶余博物館」へ。
途中のロータリーに「階伯(ケベク)将軍像」があります。
「善徳女王」では新羅を苦しめる敵方の将軍として登場しますねー。
楽花岩も見る。うーん。やっぱりここから落ちるのは嫌だわ。
国立博物館は撮影禁止のようなので展示物の写真はありません。
無料です。
蓮の花の瓦や銅鏡なども日本と同じ。お姉さまたちとあれこれ言いながら見学。
門のそばにはキッズミュージアムなどありますが、子供向けなので
ひたすら奥の展示館を目指した方がいいです。
お嬢さまが「百済の聖王!知ってる!仏教公伝の王様だよねー」と。
さすが、一年前まで受験生だっただけあるねー。日本では聖明王と習います。
展示室の入り口には、ハングルだけでなく英語、中国語、日本語の解説もありわかりやすいです。
ミュージアムショップに「亀甲船」の紙の模型があって、お嬢様がすごく食いつく。
「そんなに欲しいなら買いなさいよー」とお姉さまに言われてた(笑)結局買わず。
屋外にあった仏像。
次に、10分ほど歩いて定林寺跡(世界遺産)へ。
国立博物館を出て右側に進めば、看板があります。
土曜の午前中だというのに街に人影無し。
観光客もいないので不安ですが、駐車場の左側の道を進むと入口があります。
入場料2000W(約200円)。
入ってすぐの建物は博物館です。
かつての百済の繁栄や定林寺の様子や仏像作りなどの様子も人形を使って分かりやすく解説してあります。
とにかく、日本には百済から、僧を始め技術者も多く渡ったということが分かります。
ここ(だったか午後の資料館で見たか忘れましたが)で見たアニメはハングルだったけど、お嬢様と一緒に見て笑う。
用明天皇が病気で快癒を祈願するために寺を建てようとするも
うまく行かなくて百済から王子と技術者がやってきて、寺を建てて、
用明天皇がちょんまげに着物姿で布団に寝ていたから。
ちょんまげはないでしょーーー。もう少しちゃんと作ろう。
博物館をでて、見えてくる石塔。
石塔の周りは発掘調査がされており、中門、石塔、金堂、講堂が一列に並び、
周りに回廊があった百済式伽藍配置とのこと。
日本では四天王寺式伽藍配置と同じですねー。
講堂(復元)の中にいらした石仏座像。体は摩耗していて印もよくわからない。
(もらったガイドブックには「智拳印」かもしれないとあったが)
こちらは、高麗時代に寺を再建するときに建てられた本尊仏と推定されるそうです。
この定林寺跡、この講堂まできたら、そのまま北側に抜けられたら次の目的地の扶蘇山城まで近いのに、
また先ほどの出口まで戻らないといけないのが残念。
みなでのんびり見学しながらあれこれボケたりツッコんだりしていたらすでに11時すぎ。
백제로(百済路)をそのまま北上。
信号を渡ったところで、右に折れると扶蘇山城入口の案内があるのですが、
そのまま進んでも山城入口がありそう。
なにしろ、扶余情報が少なくて「地球の歩き方」の地図もかなりざっくりしてるのでどう進むか迷いましたが、
こんな形の建物の右横を突き抜け塀に沿って左に進むと山城入口があります。
(こちらは古都文化事業所という博物館で、
その隣のワークショップのおじさんに道を聞いた)
この建物、みんなで「日本の神社みたいだねー。やっぱりこれも『日本に伝えた』シリーズなのかなー」と話していて、
帰国後調べてみたら韓国の有名な建築家がデザインしたものの、
日本の神社様式に似ていると批判を浴びたものだそうです。ひゃー。
そんなこんなで山城に着いたらすでに11時半に。
お兄ちゃんは昨晩の激辛トッポギでトイレが心配になっているし、
ずっと歩き詰めで疲れてもいたし、で山城をくまなく見学することを放棄し、
とりあえず登って下ることに。
入場料は4000W(約400円)。市民は無料のためか散歩している人もちらほら。
観光客もやっと見かけるようになりました。
「案内書ください」と言ったら(もちろんハングル)、これをくれたけど結構立派なので有料なら返そうと思って聞くと「特別」という。ほんとかなー?読んでみたら意外と丁寧に詳しく書かれていました。(帰国後読んだ)
雨も止んできて、とても暖かくコートを脱いでお散歩気分。
三忠祠などを割愛して、サビ楼を目指します。
舗装されているので靴は汚れないけど、けっこうな坂道。
サビ楼。扶蘇山城の一番高い嶺にあります。
ここは元々百済時代に月見をした送月台があったところだとか。
白馬江が見えます。曇っているのであまりよく見えないのが残念です。
龍の形の梁。色彩が鮮やか~。
お次は百花亭。百済滅亡と落花岩から身を投げて死んだ宮女の慰霊のために建てられたものだそう(1929年)。
「百花亭」というのは蘇東坡の詩から取ったものだそうです。
この百花亭のすぐ下に「楽花岩」があるのですが、
(宮女たちが花のように落ちたところからその名がついた)
見下ろすと切り立った崖ではなく、川に落ちるまでに何回かぶつかりそう。
お姉さまとここからは飛び降りたくない、と話す。
百花亭を過ぎたところからひたすら石段を降りていきます。
つくりが雑な石段なので、足腰が悪い人は無理かも。
私は大丈夫だったけど、もし降りたところの遊覧船が動いていなくて来た道を戻れと言われたら泣くわ。
それに、ここまで来るのに1時間近くかかっているので、また1時間かけて戻るのは嫌ー。
降り切ったところから遊覧船がほんの5分ほどのクドレ船つきばまで出ています。
(往復6000w、片道4000w)
百済時代のようなこんなのも動いていますが、私たちが載ったのは普通の船。
時間は特にきまっていないらしく、客が集まったら動くみたいです。
私たちの時は小学生の集団が一緒でそれはそれはけたたましい。
船着き場を出て、ふもとの皐蘭寺を見ながら
楽花岩も見る。うーん。やっぱりここから落ちるのは嫌だわ。
すでに昼の12時半。ずっと歩き詰めだったので、ほんの5分の川下りでも座れて嬉しい。
クドレの船着き場で降りて、やっとご飯です。
「日帰り扶余旅行」後篇に続く・・・