しゃおれんの旅日記

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沖縄県立博物館・美術館

先日、父と妹たち姪・甥と行った沖縄旅行。
最終日の3時の飛行機まで70代の父と何を観光するかということになり、
世界遺産の中城城跡(他にもあるけど遠かったので)は「城は歩くのが疲れる」と、
世界遺産識名園は「庭園なんて見たってしょうがない」と却下。
 
それならと「沖縄県立博物館・美術館」に誘うとすんなりOK。
建物の中なら休みたい時に休めるし、涼しいしね。
 
博物館は、古代から琉球王朝の成立、ペリー来航を含む近現代、戦中戦後と通史が学べます。
資料映像も充実していて、(父はいちいち画面で立ち止まり全部の資料映像を見ていた)
沖縄の歴史がよく分かります。
重文の「旧首里城正殿鐘」があるくらいで、他に国宝レベルの展示物は無かったようです。
 
民俗部門で神の声を聞く巫女さんのようなおばあさんの人形があったのですが
とてもリアルで怖くて近くに行けなかったです。父も「本物の人間かと思った」と言っていた。
戦前の沖縄には「軽便鉄道」という汽車が走っていたというのも初めて知りました。
 
 
「方言札」というものもその時初めて知りました。
就職などで不利にならないように沖縄の言葉を使ったら、
木の大きな札を首から下げる罰を先生が考えたとか。
その札は昭和40年代のものだったけど、今はまさかそんなものないよね。
師匠は関西出身で、本人は標準語のつもりだけどしっかり関西弁というように
関西弁は直さない人が多いのに、
それ以外の言葉は差別されるってどうなんだろう。
妹のダンナさんは実家に帰った時だけ南部弁を話すけど普段はその片鱗も見せないらしい。
 
考古部門や自然史部門などを飛ばしても、総合展示室をじっくり見ると1時間半は軽くかかります。
70歳以上は無料だったことに帰ってきてからパンフを見て気づく。
 
 
美術館のほうは父は興味ないだろうと思っていたら、
「報道カメラマン 大城弘明×山城博明 写真展
二人が撮らえた沖縄 終わらない戦後」の写真展が企画展として開催されていて、
「これを見たい」と父が言う。
イメージ 1
 
 
チラシから
「本展覧会では、沖縄戦終戦から七十年を経てもなお消えない痕跡と今なお続く不条理への憤りを、二人の写真でたどります。一方、人々のくらしのなかで受け継がれてきた習俗や祭祀から、根源となっているものを探ります。(略)」
とあるように、基地闘争や米軍機の墜落の事故の様子、弾痕の残る壁、
お祭りや、針突と呼ばれる女性の入れ墨など様々な写真がありました。
 
ちょうど辺野古への基地移設をめぐって沖縄の民意と政府の考えの対立をニュースで見ていて、
色々考えながら見学する。
父も色々話しかけてくるので二人であれこれ話しながら見る。
(平日の午前中ですいていたので。うるさくしてすみませんでした)
 
遺骨収集のボランティアの活動を写した写真もあり。
 
集団自決から生き残ってしまった人の証言と写真を見てこの日も涙する。
米軍が上陸したと聞いて、女性は暴行されるし、男性は皆殺しになると教えられていたから
そうなる前に親が子供を殺して自分も自決したという話に、
それって、「日本軍が大陸でしてきたことだから自分もそうされるって思ったんじゃないか」と父に言うと
「そうかもしれないなあ」と。
傷跡が残る体を写真に残して伝えようとすることは「二度とこんなことを引き起こしてはいけない」ですよね。
子を殺さなきゃいけないってどんな気持ちなんだろうと親の気持ちを思い、
親に殺されかけたって思う子供の気持ちはどうなんだろうと。
生き残った人たちは、それでも生きて家族を作って・・・強いなあと思う。
 
「壕に避難してて子供が泣くからうるさいって言われたら、お父さんはすぐに私たちを殺すでしょ」と言うと
「うーん」と煮え切らない。そこはきっぱり「そんなことない」と言うところなのにー。少しへこむ。
 
 
壕の中の遺骨の写真などショッキングな内容もあるけど、
こうした報道写真は見た方がいいのではないかなあ。
戦争はゲームのように華やかなものではなくて、
陰惨で、追い詰められたら人間は酷いことをするんだって。
だからこそ、戦争にならないよう努力をすべきなのではないかって。
どんな努力が必要かをみんなで考えるべき時になっている気がする。
 
 
総理大臣なんて「女の国の門」の戦士になって一人で存分に戦ってくればいいのに。
私は「女の国」で平和を満喫するよー。
(テッパーの「女の国の門」という小説は、ディストピアもので、あり得ないけど発想が斬新で好き)
そんなことまで考えてしまう見学でした。
 
後半の写真展は精神的にものすごーく疲れたけれど、
博物館の常設展については面白かったです。
父のことをせっかちで短気と思っていたけど、熱心に見ている姿に感心(上から目線で失礼)。
中学しか出ていないで職人になった父だけど勉強できる環境にいたら案外出来る人だったのかも。
 
父がいつまで元気か分からないけど、これから父が出かけたいという場所があったら
なるべくお供しようと思ったのでした。