長かった西国巡礼もとうとう結願いたしました。
谷汲山へは大垣駅で樽見鉄道へ
この日は名古屋駅を8:31発で大垣へ。いつもに比べてゆっくりで、ホテルでブッフェのモーニングを食べました。
樽見鉄道はIC対応していないので、名古屋からSuicaで乗ってきた場合はここで証明書(返してしまったので正式名称忘れました)をもらって、後で帰りにSuicaの使える駅で精算してくださいとのこと。
一日券を購入する人も多かったです。そして、1両の車内はほぼ満席。
谷汲口からバス
9:48谷汲口駅発のバスで8分。谷汲山の門前につきました。
門前には、巡礼グッズを売るお店や飲食店も多数並んでいます。
しみじみと谷汲山参拝
しみじみ「これで満願成就だあ」と感慨深い。
ご本尊 十一面観音菩薩
御詠歌は3首あります
万世の 願いをここに納めおく 水は苔より 出る谷汲(過去)
世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびを 消えぬなりけり(現在)
今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎ納むる 美濃の谷汲(未来)
延暦17(798)年、大口大領が京都の仏師に観音像を彫らせ、故郷の会津まで持ち帰ろうとすると観音像が自ら歩き出し、谷汲の地で歩みを止めて動かなくなったのでここに安置したそうです。花山法王が寛和2(986)年、満願成就の寺と定めました。
ここは満願成就のお寺で混んでいたので、印が一つにくっついていて、印を押す人、御朱印を書く人、お金と納経帖をやり取りする人と分業になっていました。
他のお寺は印を一つずつじっくり押して、ご住職が達筆でさらさらっと書いて、たまに「どこから来たの」「ご主人も同行されてますよ」とか声かけてくれたのにここはそういう感じは全くなかったです。
しかたないか。
並んでいる時にたまたま話した人に「亡くなった夫さんと来ようと話していたので」なんて言ったら、「家も二人で始めたんですけどね、途中で主人が亡くなってしまって・・・」と言うので二人して泣く。
いろんな出会いがありました。
狸の奉納石像は満願成就したものは他より抜きんでているに由来します。
巡礼に使った笈摺や菅笠などが奉納されています。
私は、巡礼の装束などせず普通の恰好で周っていましたが、とにかく歩いたので靴だけは履きなれたモンベルのウォーキングシューズにしました。
一日最高35,000歩くらい歩いたこともありましたよ。
なんでこんなことになったかな?
しみじみと参拝を終え、10:50のバスに乗るつもりでバス停に。
バスは影も形もない。
よく見ると10:42にバスは出て、10:50というのは谷汲口に着く時刻でした。
次のバスは12:12。
戻って、ゆっくり門前のお店を見たり食事をすれば良かったのに、なぜか私は「巡礼だから最後も駅まで歩こう!」と思ってしまったのです。
「もしかしたら、(12:12で行くより)一本早い電車に乗れるかもしれない」とか「途中にカフェもあるみたいだし、天気もいいから歩いてみよう」などと。
これがバス旅番組の太川陽介さんならどうするかな。チームメンバーはこの失態をなじることもできずに歩くかな、なんて考えながら歩いていました。
4.5km、一時間程度です。
途中で使われ亡くなった谷汲の駅がありました。
2001年に廃止になったんですね。
Googleマップに載っていたカフェは営業している気配なし。
途中で出会った地元の方に「駅まで歩いているの?あと30分くらいだよ」などと声をかけられる。
結局、駅には11:50頃にはついたものの電車はなく。
バスの時間は電車に合わせた設定だったのですね。
ぼんやりと日向ぼっこして休憩。
駅前には何もないので、早く参拝が終わってもバスの時間まで門前ですごすことを推奨します。
散華の意味
納経印をお願いすると一緒にくださった蓮の花びらのかたちの散華。
(こちらは期限があるようで来年くらいには配布終了とのこと)
台紙は三十三か所のお寺でも売っていますが、持ち歩いていて折れたら嫌だと思ったので私は帰宅後Amazonで購入。1650円、送料550円でした。
散華を並べると観音経の一部になります。(台紙についてきた解説文による)
観音力(1~3は観音様の下にあります。続きは右上から)
汝聴観音行(にょうちょうかんのんぎょう) 汝、観音の行の
善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ) 善く諸の方所に応ずるを聴け
弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい) 弘誓の深きこと海の如く
歴劫不思議(りゃくこうふしぎ) 劫を歴とも思議しえざらん
侍多千億仏(じたせんのくぶつ) 多千億の仏に侍えて
発大清浄願(はつだいしょうじょうがん)大清浄の願を発せり
分かったような分からないような・・・
きっかけを振り返る
思えば夏に友人が1番の青岸渡寺の御朱印を持っているのを見て、夫さんと「いつか西国三十三か所めぐりをしたいね」と言っていたことを思い出し、
別の友人が須藤元気の「幸福論」(お遍路さんの記録)を貸してくれて「お遍路は大変だけど、西国三十三か所ならできるかもしれない」と決意し9月に始めたのでした。
夫さんが亡くなって、毎日目が溶けるかと思うほど泣いていたけど、巡礼の周り方(特に辺鄙な寺への行き方)を調べている間は集中していたので、泣くのを忘れていました。
一人で歩きながら泣いていたこともあるけど、観音様と夫さんに祈りながら歩いたおかげで、眠れない夜が減りました。
坂東三十三霊場や秩父三十四霊場はゆっくり花の季節に合わせて周ろうと思います。
長い巡礼編にお付き合いいただきありがとうございました。