新青森駅も大混雑
新青森駅の一階にお土産屋さんとフードコートがあるので、ここで何か食べようと思っていたのですが、全国旅行支援割のためか飲食店はどこも激混み!
ホタテ丸ごとコロッケとエビまるごとコロッケ、ホタテおにぎりを買って、
電車を待つ間の待合室で慌ただしく食事。
弘前まではボックス席ではなくロングシートなので流石に車内で食事はしづらい。
大きなコロッケですが、この大きさを構成しているのはホタテではなくジャガイモなので、それが分かる大人には美味しいと思います。
私は大きなホタテが入っているのかと期待しすぎてちょっと反省。ホタテフライではないのに。
ホタテ入りおにぎりは美味しかったです。
昨夜青森でホタテの貝焼きを食べたかったのに、見つけたお店はのれん下げてて適当に隣の店に入って失敗したので、未だに心残りです。
弘前観光開始
弘前では駅前のアートホテルに宿泊。荷物を預けて観光開始。
弘前の目的は現存十二天守の弘前城の登城とアップルパイ食べ比べ。
観光案内所で地図をもらったら歴史的建造物、明治大正期の洋風建物など建物散策が楽しそうとわかる。
まずは弘前城へ向けて、ケーキ屋さんと建物を探しながら散策開始です。
ケーキについては別記事で。
最勝院五重塔
最勝院は、京都五山、鎌倉五山にならって定められた津軽真言五山の筆頭寺院で、江戸時代には隆盛を誇っていたのですが、明治の神仏分離令で支配下の多くの寺院を合併して現在の場所に移転したとのこと。
この五重塔は藩祖津軽為信の津軽統一の際の戦死者を敵味方区別なく供養するために、三代藩主信義が着工し、四代信政の時に完成。高さ31.2m。とても美しい五重塔でした。
旧東義塾外人教師館
弘前公園の近くには洋館が多いです。
外人教師館のそばに旧弘前市立図書館や、ミニチュア建造物のコーナーなど楽しかったです。
東武ワールドスクウェアや鉄道ジオラマなどミニチュアが好きな私は偶然見つけたこの展示を嬉しく見学しました。
ところで、なぜ弘前に洋館が多いかというと、明治以降「学都 弘前」を目指し教育に力を入れ、外人教師なども積極的に招きキリスト教の布教も盛んで、文明開化の波にのって洋館が作られたからとのこと。(弘前市観光情報サイトから)
安寿と厨子王と母の像
何かの像があると思って近づいてみたら「安寿と厨子王と母」の像でした。
安寿と厨子王といえば、山椒大夫にさらわれて酷使されたのち、姉の安寿は亡くなり弟の厨子王はなんとか逃げだして、無実の罪で陥れられた父親の名誉を回復し、丹後の領主となり後に生き別れの母親とも再会する話でしたよね。
しかし、津軽に伝わる伝承では、なんと!安寿は無事に逃げ岩木山に戻り神になっているそうです。
そして、江戸時代には安寿を苦しめた山椒大夫と山岡太夫は丹後の人だったので、弘前藩領に丹後の人間が入ると安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめるとされたそうです。
「津軽」の中で太宰治はこの話を引用しながら「へんな話である。丹後の人こそ、いい迷惑である」とツッコミ入れてます。
安寿が岩木山に逃げ込んだ話はまゆつばとしながらも、
「しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、にっくき山椒大夫を呪うあまりに、丹後の人が入りこめば津軽の天候が悪化するとまで思いつめていたとは、私達安寿厨子王の同情者にとっては、痛快でないこともないのである」
と書いちゃうあたり笑えます。
今回の旅行は直前に太宰の「津軽」を読んでいたので影響受けまくりです。
藤田記念庭園の大正浪漫喫茶室
藤田記念庭園にある洋館は喫茶室になっています。
ここでは食事もできますが、市内のアップルパイのうち数種を扱っているので、休憩がてらアップルパイをいただきます。
庭を見ながら、洋館でお茶なんて私の旅行にしては珍しく優雅。
ただ、人気があって30分ほど待ちました。
アップルパイについては食べ比べ記事をまとめて書きますね。
弘前城
これで現存十二天守はコンプリート。
以前岩木山・八甲田山・八幡平に登るツアーに行きながら、弘前城はまだ行っていなかったので、夫さんと行こうと言っていたのです。
見学自由とあったけれど、夕暮れが迫っていたので中には入らず。
後からガイドを見たら「ステンドグラスには岩木山、りんご、津軽三味線などが描かれてとてもきれい」とのこと。惜しいことをしました。
明治8年に創立された東北最古のプロテスタント教会。クリスチャン棟梁桜庭駒五郎が設計。
翌日、この日は駅でレンタサイクルを借りられたので、急ぎ建物巡りの続きと太宰の学びの家だけ行っておきます。
自転車なら行くのも楽です。
観光地図に載っている善林街の長勝寺の山門。
城下町なので、枡形の道があったり、黒門はかつての城の遺構の一部だったりと歴史を感じます。
長勝寺は津軽家の菩提寺で当初鯵ヶ沢にありましたが、弘前城築城と共に南西の守りとして現在地へ移転。
山門は修復中でした。
東京の下町育ちだと、山は身近ではない。もちろんお城もない。
常に見上げると山があるとか、お城の天守閣があるとかって少し羨ましい。
栄螺堂は天保10年弘前の豪商中田嘉兵衛が寄進。八角形の内部は右回りの回廊と直進階段を併用して昇降する珍しいものだそうです。
太宰治の学びの家
駅まで戻る途中に太宰治の学びの家に寄ります。
親戚の藤田家に弘前中学に通う間下宿していたそうです。
太宰の使っていた部屋が見られます。
今回の旅行も本当は弘前の後、金木に行き斜陽館に行き秋田に抜けるつもりだったけど、五能線が豪雨で不通になっているので、そちらは次回にお預け。
でも青森に来たら太宰ゆかりに行った方がいいかなと思って訪問。
中学生の団体と一緒になり、太宰の写真を見て「かっこつけとるな、こいつ」と言っていました(笑)
こうして、弘前には1日弱いて観光終わり。
歴史的な建物もお城、寺社と洋館と多彩で歩いて見て回るのが楽しかったです。